歯医者さん

子供の頃、歯科医にあこがれたことがある。
といっても、自分がなりたかったわけではない。

あのさまざまな形状の医療器具、
色とりどりの小瓶に囲まれた空間に、
えもしれぬ楽しさを感じたのだ。

もし世の中のありとあらゆるモノが、
早いもの勝ちで自分の財産にできるのならば...
そんなアナーキーな思考を70年代の子供は
誰もが持っていた。

もし世の中のありとあらゆるモノが、
早いもの勝ちで自分の財産にできるのならば
まずは歯医者さんを乗っ取りたい
こんな想像をしていた記憶がある。

さて、海外の映画を見ていると、
歯科医=サディストみたいな表現によく出会う。
典型的な例は「Little Shop of Horrors」に出てくる
プレスリーそっくりの歯医者さんだが、
それ以外にも、「おまえ残酷な奴だな、歯医者にでもなれ!」
みたいな表現はしばしば見ることがある。
僕の知っている歯医者さんは、決してそんなのではなく、
むしろ職人的なやり甲斐を感じさせる歯医者さんだ。

そんな歯医者さんに今日も行ってきた。
僕には「良いお医者さんの条件」というのがあって、
毎回治療経過をキチンと説明してくれるということなのだが、
そうしたことをしっかりやってくれるいいお医者さんだ。

今日も予約時間に行ったら、
「すいませんねぇ、ムネさん。
まだ金歯が届いてないんですよ。
いま届けにくるらしいんで、お待ち下さいねぇ
蕎麦屋じゃねぇってんだ~ねぇ~ムネさん」
いつもこんな調子だ。

事故によって僕の歯は上下の前歯7本が欠け、うち4本は脱臼、
うち3本が神経即死という状態になっている。
あと治療費だけでも25万円近くかかりそうだ。
しかし彼にとっては、上得意であるという認識よりも、
「やり甲斐」のある患者だという気持ちが優先しているようだ。

そして、「8月は治療強化月間とします」と言った僕の宣言を、
嬉しそうにいつもつぶやきながら、治療してくれる。

さて、数日前から上唇の右裏側に突起物のようなものを、
感じるようになった。口内炎の一種かと思ったが、どうもそうではない。

早速診てくれたのだが、恐ろしいことがわかった。

「ガラスか歯かはわかりませんが、
5ミリ程度の破片が、唇の裏っかわに埋まっていますよ。
事故の衝撃で刺さったのでしょう」

今度簡単な手術をやるそうだ。
切って、とりだして、縫うらしい。
「なぁに、30分間で終わりますよ。
2日連続で来て頂くことになりますがね。」

そう言ってニヤリと笑った彼の笑顔は、
サディストのそれではなく、
新たなやり甲斐を発見した職人の笑顔だった。

何となく、うらやましかった。