げんぱつ

聞いた限りのことを書く。あくまで個人の感想なので信憑性については保証できない。

先日、急に呼び出されて、親父とお袋と叔父のひとりとで祖父母の墓参へ行った。

霊園は桜が満開。ようやく春が来たことを実感できた。
そうか母方の祖母が亡くなってもう4年になったんだ。そんなことに気づく。こういうことは親父たちの方が歳時記のように正確で、こうした際に唐突に思い出させてくれるわけだ。

親父たちが宮城県出身の祖父母に今回の震災のことをどう報告したのかはわからない。だけど、お参りの後の会食で自然とその話題になった。

そんな会話の中で、叔父がこう言った。
「いまの東電の社員に福島第一原発のメカニズムを知っている人はいないんじゃないかな?」

この叔父が昭和30年代から昭和60年代にかけて水力発電所や火力発電所の開発にかかわっていたってことを思い出した(むろん東電の社員じゃない)。
僕が「それはどういう意味なんですか?」と尋ねると、叔父はニコニコしながらこう言った。

「"唐様で貸家と書くなり三代目(創業者の苦労を知らないで、その上に胡坐をかいている3代目ともなると会社は傾いてしまう、という意味)"って言葉があるだろ?それと一緒だよ」

さっぱりわからない。叔父の話は続く。

「要するにああいう原発を作った時代の技術者っていうのは、福島第一を作った技術者もそうだけど、我々みたいにとうの昔に爺さんになって引退しちゃったか、死んじゃっているかなんだよ。第一あの頃は戦前から核分裂の研究をしていましたって人もザラにいたしね。あの頃は東電の社員でも何でも、地元のおじいさんやおばあさんにわかりやすく原発とは何かを説明するために、鬼のようになって勉強したもんだよ。そういう人はみんな引退しちゃったからね」。

たしかにそうだ。日本初の原子力発電所が着工したのは僕が生まれる前だし、福島第一原発の着工は僕が2歳(昭和42年)の時のことだ。当時は30代に入ったばかりで若々しかった僕の親父が今じゃすっかり爺さんなのと一緒だ。当時リアルタイムで福島第一にタッチした技術者たちが今なお現役というのは考えにくい。

叔父の話さらに続く。

「今いる東電の社員が、あの原発の仕組みを知っているとはとても思えないよ。だって彼らは電気料金の集金が業務であって、原発の管理屋じゃないからね。先人はゼロからはじめて苦労して原発を作ったわけだけど、今の連中はそのインフラの上にただいるだけだからね。わかるわけないよ。だってほら、福島第一には東芝とか日立の社員が沢山いるでしょう?あれは自分たちじゃあさっぱり原発の仕組みがわからないから、わかる人に応援に来てもらっているんだよ」。

なんだか乱暴な話だ。そんなもんなのかね~と思った。だけど、その一方で叔父の話には老人特有の「俺の若い頃は」的な話とも思えないリアリティを感じた。
当時の東電は現在よりもずっと小さな組織だったと思うし、現在のようにヒト・モノ・カネを高度なシステムで管理したり、ノウハウを外注に廻して支払いのみを管理する会社でもなかっただろう。痒いところへもっと手が届く、あるいは目を配ることのできる、何よりも社内の技術者が技術を開発したり、管理したり、そして監視できる組織だったんじゃないだろうか?

そんなことを思った。
自分が小さな会社の長をやっているだけに、なおさらそう思った。

最後に叔父はこんな恐ろしいことを言った。
「渇水期に発電能力が低下する水力発電は、日本の総発電量の10%以下に抑えなきゃいけない。全部を水力にしたら日本の美しい清流なんかなくなっちゃうよ。火力は火力で資源に限界があるしね。残り90%を全部原発でまかなうとすれば、あと90基は必要ってことになっちゃうんだよね」