中内功

人間は一旦成功のパターンができあがると、それを踏襲しつづけるものだ。とりわけ最初の発想が大胆であればあるほど、その発想に固執するものだ。

中内功さんは、スーパーマーケットという新しい概念を日本に取り入れ、流通大革命を起こした。「よい商品をより安く」という姿勢で消費者を味方につけ、価格破壊をもたらした。それまでメーカー主導型だった販売価格の決定権を、小売業へと奪いとったのである。そしてこの潮流は現在も変わらない。

1990年、僕は食品メーカーへ新入社員で入社したのだが、当時の中内さんに対する信仰というものは、絶大なものがあった。何しろ買い叩かれる側のメーカーであるにもかかわらず、社内には中内さん信仰者がいくらでも存在したのだ。それはそうだ。ダイエーには「売る力(BP)」がある。メーカーというものは「売る力」のある企業には、とことんヘバリつくものだからだ。

幸いなことに大阪勤務であったため、大阪市旭区の千林商店街にあるダイエー発祥の地へも連れていってもらったことがある。昭和32年、このゴチャゴチャした商店街の中に「主婦の店ダイエー1号店」は誕生したのだ。

僕を連れていってくれた係長(今の僕と同い年ぐらいだったと思う)は、車中で「お前も中内さんの本を読んだほうがいいよ」と語っていた。実際僕は本屋で何冊か購入して読んでみた。だが、不思議とその内容は忘れてしまっている。なぜかイオン・グループ(ジャスコ)の創設者だった岡田卓也(民主党の克也さんの父)さんの文章の方が、今でもよく覚えている。「大黒柱に車をつけろ!」とか言ってらっしゃったよなぁ。

今から15年前の話なので、現状と合致しているとは思わないが、当時のダイエーは出店に際して土地を購入していたんだそうだ。一方ジャスコは土地を賃貸して出店していた。だから店舗の売上が悪化した場合、ジャスコがさっさと撤退することができたのだが、ダイエーは巨額のテコ入れをしてまで、店舗の存続を図っていた。つまり「ジャスコの店舗の大黒柱には車輪がついていた」というわけだ。

当時ダイエーがディスカウントストアの形態に転換をはかった「トポス」の八尾店も見に行ったことがある。たしかに値段は安いが、「良いものが安い」のではなく、「安そうなものが安いだけ」という印象を受けた。ひとり暮らしを始めたばかりだったので、仕方なく購入した「チャチな」目覚まし時計は、今だに動いている。

ダイエーは、倒産企業をどんどん買収することで、どんどん肥大化していった。そのいっぽうで「カテゴリー・キラー」と呼ばれる専門ディスカウント店(家電=ヤマダ電機、服飾=ユニクロ)に次第に足元を侵食されていった。

あれだけの大企業に育て上げたのも、あれだけの借金企業に追い込んだのも、中内さんの判断だった。弱体化しつつあったダイエーをテコ入れするために、味の素の鳥羽薫さんを社長に据えたこともあった。だが、鳥羽さんの進言をひとつも取り入れなかったため、ダイエーはますます窮地へと追い込まれてしまった。

老朽化した店舗と、なんだかパッとしない品揃えが、現在のダイエーを象徴している。

在野の信仰者を得ていた中内氏も、最後はダイエーを追われるようにして去っていった。そして一昨日、わずかな近親者に看取られながらひっそりと亡くなられた。いい意味でも悪い意味でも日本の歴史に残る革命家だった中内さんの死に、心から哀悼の意を表したい。

もう一度自分の心に刻むとしよう。

人間は一旦成功のパターンができあがると、それを踏襲しつづけるものだ。とりわけ最初の発想が大胆であればあるほど、その発想に固執するものだ。その固執から逃れるには、老兵は去るしかないのである。

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