台風22号

注:以下は以前「下山事件資料館」に「管理人のたわごと」としてUPしていたものです。

僕は横浜に住んでいる。

10月9日3時すぎ、台風22号を体感しようと夕方から江ノ島・鎌倉方面へと車を走らせた。

昼間の天気予報では夜9時ごろ関東再接近となっていたので、まだ大丈夫だろうという軽い気持ちだった。

ところが、藤沢付近から急に風雨が強くなり、江ノ島から七里ガ浜を走行中には車窓を打つ雨と対向車の飛ばす飛沫により視界が困難となる。

すでに道路はリアル・スプラッシュ・マウンテンと化していた。七里ガ浜のコンビニに駐車し、海岸へと出て「稲村ジェーン」を見物しようとしたが、あまりにも風雨が強いため断念する。

実はすでにこの段階で、台風は再接近しており、神奈川は暴風圏に入っていたのだ。

だが、昼間の天気予報が頭にあるため、僕はまだそのことに気づいていない。そのまま鎌倉を通過して、逗子の秋谷まで行ってみることにした。

おそらくパトロールをしていたのだろう。長柄トンネルから御用邸へ至る道では、数台前をパトカーが時速30キロで走行していた。

「パトカーの先導とは、ありがたい」などと無駄口を叩きながら、ゆっくりついていったのだが、台風で土砂崩れにでも巻き込まれていたらパトカーが居ようと居まいと、関係がなかったろう。

長者ケ崎を通過した際、道路に切れた電線が垂れ下がっており、間一髪でそれを避けた。目的地の秋谷の立石に到着した時は4時30分頃だったと思う。

この時、たしかかに雨は止んでいた。今思えば台風の目の中にいたのだ。

ところが「これが嵐の前の静けさってやつか」などと呑気に僕は考えていた。はるか伊豆半島方面はどす黒い雲に厚くおおわれていた。

10分程してから、長者ケ崎まで戻る。ここは普段なら江ノ島方面と富士山の雄大な風景が見れるのだが、本日は視界困難、海は河川から流入する大量の泥で茶色く濁り、荒々しい波が海水浴場をえぐるように打ち寄せていた。

雨は降っていないものの、風は10分前とは違って相当強くなっていた。時折強風に飛ばされそうになる。近くの木製電柱は風でしなり、電線がビュンビュンうなっている。多数の発砲スチロールの容器が、風に飛ばされて海へと飛び込んでゆく。

この後、横浜まで帰るのだが、再び大暴風雨と化した沿道は凄まじいものだった。倒れたバス停、地を走るポリバケツ、散乱する大量の樹木、沿道の停電、信号も停電、道路は冠水、逗葉新道では風で流されたブロックポッドに道路を遮断され、車で押しながら回避する。横横道路は閉鎖。

ようやく6時に家へとたどりついて、自分が台風の真っ只中を呑気にドライブしていたことを知ったのであった。

なお、京浜急行日ノ出町駅付近の土砂崩れにより、プロバイダのバックボーン回線が切断され、2日間インターネットができなくなってしまうというオマケもついた次第。

もう絶対しません...大人ですから...