百年前の音を探し、甦らせ、聴く(その3)

ラッパァァァァァ~16時すぎからはいよいよ本日のメーンイベント「1900年パリ録音」の全トラックを聴いた。

瞑目しながら聴く。105年前の録音とは思えない。音声はとても明瞭でロウ管特有のノイズも回転ムラ(ワウ・フラッター)も少ない。

7月20日に録音された茨城県出身の男性55歳(氏名不詳)は、都都逸、常盤津、長唄、義太夫を歌ってゆく。「君にぃ~別ぁれ~て~松原ゆけ~ば~」てな具合だ。本来は三味線などの楽器のサポートがあって歌えるものだが、それをアカペラで歌いこなしてゆく。しかも音程にブレが少ないのだから大したものだ。もしあなたが海外へ行って、いきなり「歌声を録音するからアカペラでミスチルを歌え」と言われたら時のことを想像すればよい。

それだけではない。次第に調子付いてきたこの男は、自分で「ペペ~ン」と三味線の合いの手まで入れてくるのだ。「酒でも入っていたんじゃないか」なんて、解説を担当された児玉助教授が茶化していた。職業は「商人?」となっているが、相当の遊び人だったのかもしれない。

8月31日の録音では18歳の芸者と17歳の芸者(新橋鳥森の料亭扇芳亭の一行と判明)が、それぞれ三味線と鼓の演奏を録音している。三味線の音を聞いていると、構えた場合に上にくる一の弦(一番太い弦)の音が明瞭にとらえられているのに対して、下にくる三の弦(一番細い弦)の音は気のせいか一の弦よりはボンヤリとしている。鼓の音に至っては大変ボンヤリとしている上に、鼓の音の合間に時折「ボスッ」という音が入っている。

051105_b.jpg幸いなことに僕は大学の教授ではないので、想像や妄想の範疇でモノを語ることができる。できるから語るのだが、彼女らの演奏を録音するために彼女らに向けられていたラッパ(蓄音機のマイクに当たる部分をこう言う。実際にラッパのような形をしている)は、彼女らの胸元あたりに向けてポジションされていたのかもしれない。彼女たちが正座して演奏したのか、立って演奏したのかはわからないが(僕はテーブルの上に置かれていた蓄音機に向かって、椅子に座りながら演奏したと推定する)、胸元にラッパが向けられていたからこそ、そのポジションから遠ざかるほど楽器(弦)の音像がボンヤリとしてしまったのではないだろうか。たとえば膝の上に乗せて斜めに構える三味線は一の弦がラッパに近く、三の弦がラッパに遠いことになる。肩の上に乗せて叩く鼓の音に至っては、ラッパとズレた位置で鳴らされたことになる。そして鼓の音の合間に聞こえた「ボスッ」という音は、鼓を叩いていた17歳の芸者の手がラッパに当たった音に他ならない。

とまぁそんな想像(妄想?)を抱けるぐらい、105年前の録音群の保存状態は良好だった。録音が流れる瞬間だけは、105年前の空気の中にいることができたし、あの小さなロウ管の中に105年前の空気が凝縮されているのだということは、感動的でさえあった。

今回のシンポジウムの面白い点は、学問のクロスオーバーな交流の中から生まれたという点だろう。清水教授は国語学、伊福部教授は工学という全く異なる分野にいる。これ以外にもフランス語文学や古典文学など様々な分野の研究者が入り交ざっている。しかも外国から来た方々はウィーンの録音アーカイブとフランスの民族音楽学の研究者だ。「研究結果を独り占めする教授」なんていうのはよくある話なのだが、清水教授はその逆で幅広く知を集めることで、ご自分の研究に役立てている。これが実りのある研究結果に結びついているのだろうなぁと、そんなことを感じながら帰途についた。

田中角栄邸最後に余談。昼食を食べるのに、近くにお店らしいお店が全然見当たらなかったので、一人で日本女子大の学食で食べた。カルボナーラのスパゲッティが美味しかった。僕が大学生の時分にはサスガにこれをやるのは勇気が必要だったろうなぁ。今だからできる技かもしれない。
それと...会場となった建物(新泉山館)の隣だが...田中角栄のお宅でした。

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