ジョン・レノン伝説

京都に住んでいた頃、
この街には「ジョン・レノン伝説」というのがあった...

ジョンは京都が好きで、しばしば家族でお忍びで訪れていた。京都に住んでいる人たちの中には、様々な形でジョンと接する機会があったようだ。

●「サインをくれたジョン」
Aさんは、右京区の太秦に住んでいた。
ある日、誰かから「ジョンとヨーコが子供と一緒に嵯峨野の旅館に宿泊しているらしいぞ」という情報を入手する。ジョンの大ファンだったAさんは、万が一のチャンスを狙って色紙を持ってその旅館の前に張り込んだ。
やがてジョンとヨーコがまだ小さかった息子のショーン・レノンを連れて旅館から出てきた。
あらかじめAさんはこういうチャンスのために作戦を考えていた。
彼はまず、ヨーコに向かってこう言ったのだ。

「僕はヨーコさんのファンなんです。サイン下さい!」

そうしたらジョンが喜んでヨーコにサインを即し、ついでに自分のサインもくれたそうだ。

●「砂浜で遊ぶジョン」
京都府の丹後半島の海岸は京都人にとっては数少ない海水浴場なのだが、いかんせん物凄い僻地だ。土用波の季節ともなると、訪れる者も減り、たちまち閑散としてまう。
B子さんはそんな閑散とした時期に、友人とともに丹後半島の海岸沿いの小さな町へと旅行に行った。特に何をする旅行というのでもなかったそうだ。
日本海に面した砂浜で友達と遊んでいると、3人連れの親子が海岸に降りてきた。彼女らはその3人を見てギョッとした。ジョンとヨーコとショーンその人だったのだ...

その時の彼女らの偉い点は、知っていても知らないフリをしたこと。

そして砂浜を駈けずりまわっているショーンに話しかけ、砂のお城を作ってあげることにした。そうしたらジョンとヨーコがが寄ってきて一緒にお城を作り始めた。5人はそこでいつまでも砂遊びをしたのだそうだ。
「私達もこのあたりに泊っているのよ」とヨーコが言い、ジョンはカタコトの日本語で「タノシイネ」を連発していたそうだ。

これらの話は、僕が京都CDショップに勤務していた時に、親しいお客さんから聞いた話だ...

12月8日(日本時間では12月9日)はジョンの命日だった。
25年前の1980年、彼はニューヨークの自宅の前で射殺されたのだ。

遠く離れた異国の寂びた砂浜が、彼にとって安全な場所だった。
そして、住み慣れた自宅の前がもっとも危険な場所だったということになる。

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