嘘を嘘って見抜けなかったら一緒じゃん

高校1年の次女に「お父さん、もう朝日新聞やめようよ」って言われたのでこう答えました。

「うんいいよ。でもどこの新聞にする?」
「どこでもいいよ。朝日以外なら」

そこでこう言いました。

「でもね、どんな新聞読んでも嘘を嘘って見抜けなかったら一緒じゃん。大切なのは新聞でもネットの情報でも自分の目でフィルターをかけることだと、お父さんは思うな」

実は朝日を取っているのもそれが理由なんです。
「新聞報道」と「真実」が必ずしも一緒ではないことは、とっくの昔70年前にバレているんです。太平洋戦争は敗戦となり、国民は今までの新聞報道が嘘八百であったことを知りました。まあ厳密に言えば終戦前から嘘だということにうすうすは気づいていたんです。あっ、いま僕は「終戦」って書いたけど、この二文字をとっても「敗戦」と表現せずに「終戦」と表現し始めたのは誰なんだろう?そうさせたのは誰なんだろう?今でも「終戦記念日」って言うよなぁ~と考えると、色々と面白そうです。

戦争が終わると、新聞各社はそれまでの報道に関して「すいません大本営発表に騙されていました」と言い訳したわけです。でも実際に現場に記者もいればカメラもあった。いくらでも感じることはあったし、考えることはあった。でも、そこで実際に目にしたこと、耳にしたことは国民には届かなかったわけです。そりゃあ当然でしょう「我が帝国の敗色濃厚」なんて見出しの記事を書いたら即時発刊停止処分を食らいますからね。新聞だって営利企業なんです。紙だって配給割り当てだったわけです。

結局のところ敗戦後に新聞がメディアとしての責務を全うできなかったこと…自分の目と耳で報道できなかったこと…に対して謝ったというのは聞いたことがありません。当時の感覚でみればそれは普通のことだったと思います。
140911
ですから本日の朝日新聞記事「自分の記事を取り消して謝罪したことをトップで報じる自分」というのには、前代未聞だと思いました。でも取り消さなきゃいけない記事を取り消していない新聞社の数を数えたら、日本の新聞社全部がそうなっちゃうかもしれませんね。
朝日に関して言えば、これが一種の社内クーデター的な動き(幹部の押しこめと若手の台頭)とかになったら、より紙面が面白くなるかもしれません。

「朝日新聞」という新聞は、僕に言わせてみれば非常にわかりやすい思考アルゴリズムを持っています。ほらクラスに一人はいたでしょう「正論を吐く奴」。アイツに似ています。なまじ「正論」なものだからバカな僕には反論ができない。あるいは暴論で返すヤツもいるけど「正論」で返されてしまう。だから学級会がいつまでたっても終わらない。放課後はカラスが鳴くまで学級会が続きます。

その「正論」に対して反論できない悔しさは今でも覚えています。だから朝日新聞を購読しているのかもしれません。「いやぁ~ちょっと違うんだけどなぁ~。でもまてよ、どこがどう違うんだろう。論破されないように反論するにはどうしたらいいんだろう?」と考えることは大切だと思うんです。人間は正論を是とする時もあれば、異論を是とする必要がある時もあるわけですから。

また、そういう朝日新聞だからこそ報道記事に関しても冷静な目で、時には批判的な目で読むことができます。こういった点が飽きもせず購読を続けているポイントなんでしょう。むろん他社の新聞でも似たようなことはできると思いますが、少なくとも我が家ではカミさんがトラキチなので第一に読売は却下されると思います(笑)

そんなことを言いつつ女性に弱い管理人は、どうも小保方さんのことをいまだに信じているフシがあります。
だって彼女に涙目で「STAP細胞はあります!」って言われたら「うんうん、あるよな~」となるじゃないですか。

ああ、自分はまだまだです。