1999年3月、「だんご3兄弟」の頃

月日がたつのは早いもので1999年3月26日に生まれた次女が16歳になった。
彼女、実に印象深い月に生まれたものだ。

何しろこの99年3月っていうのはCDショップに勤めたことがある人間にとっては、一生忘れられない月となったからだ。
だんご三兄弟
まず3月3日に「だんご3兄弟」がリリースされた。NHKの教育テレビ(ETV)「おかあさんといっしょ」から火がついた曲だ。

この時代、かつてないほどNHK教育テレビが盛り上がっていた。
サブカルチャーを愛する世代がお父さんお母さんとなり、そういう視点から子供向け教育番組を楽しんでいた。
インターネット黎明期に東京福袋さんが開設したウェブサイト「きょういくてれびのたまてばこ」は、それを楽しむための強力な道しるべとなった。

僕には2歳半になる長女がいたけど、「うたっておどろんぱ!」のじゅんじゅん(内田順子)のハイテンションさに圧倒され、「今日の踊りの、ポイントっ!」という満面の笑みに壮絶な何かを感じた。娘も大好きだった「いないいないばあ」では小学校高学年のかなちゃん(田原加奈子)が着ぐるみを着て、棒読みっぽいセリフ使いで必死に幼児の世話をする姿にけなげさを感じ、「グルグルパックン」に登場するストレッチマンとその悪役たち(素人の先生がたが自らキャラクターを考えていた)の低予算ぶりに感銘を受け、「いってみようやってみよう」のなっちゃんの何とも田舎くさい雰囲気に可愛さを感じ、という具合だった。とりわけその美しさと歌唱力から「史上最強のおねえさん」と言われた「おかあさんといっしょ」の茂森あゆみおねえさんの人気は(お父さんを中心に)絶大なものがあった。

子供と親とが別々の視点から楽しむという「二重構造」。そんな視聴者の動向に敏感でなければ、とても「だんご3兄弟」は生まれなかったと思う。NECの「バザールでござーる」、湖池屋の「ポリンキー」や「ドンタコス」を仕掛けたCMクリエイターの佐藤雅彦は、そこをうまく突いて「だんご3兄弟」を生み出した。団子と「タンゴ」を引っかけたサウンド、シンプルながら子供も大人も楽しめるアニメーション、オチがあるようなないような歌詞を子供は純粋に歌い大人は面白がった。何よりも素材は団子だ。子供たちにしてみれば、やや知っているけど日常的に食べているわけではない食材。この微妙な距離感に子供たちは「食いついた」

僕がCDショップの仕入れ担当として幸運だったのは、当時2歳になる長女がいた、ということだった。
CDはリリース日の前日にお店に入荷する。これを初回入荷数という。
知らない人は驚くと思うけど、実はこの枚数って、発売の2ヶ月も前に決定する。
もちろん2週間前までは増減の調整はできるのだけど、実際の音を聞くよりもずっと前に直観で数量を決定しなければならないわけだ。

「だんご3兄弟」のリリース情報が入ってきたのは、やや発売日に近い1ヶ月と10日ぐらい前だったと思う。
僕はチラっとしか見ていなかったけど、家内が「だんごの変な歌が面白い。〇ちゃん(長女の名前)がハマっている」と言っていたので「ああ、あれだ」と思った。

通常だとNHKがらみのCDなんてジャンル的には「童謡」扱いだし初回に1~2枚仕入れておけばいい方だ。
ただ、当時の教育テレビに得体の知れない「熱さ」を感じていた。ましてや茂森あゆみおねえさんと速水けんたろうおにいさんの人気を考えると、この初リリースのシングルは「化ける可能性」がありうる。思い切って初回50枚ぐらい注文してみることにした。前述のとおり、2週間前までは様子見が可能なので「化けなさそうだったら減らせばいい」ぐらいに考えていた。

数日後、たまたま長女と「おかあさんといっしょ」を見ていたら「だんご3兄弟」が流れた。しっかりと見たのはこの時が最初だった。アニメーションも楽曲も面白かったけど、長女がテレビの真ん前まで行ってガン見しながら歌っている姿が印象的だった。「化けるぞ、これは」と思った僕は翌日にお店でプラス200枚のオーダーを入れた。合計250枚が初回入荷数となった。

当時、僕のお店で初回250枚といえばB’zやKinki Kidsのレベルだったから、「童謡」でこの数字は本当に大博打だったと思う。

CDショップの仕入れ担当なんてアコギなもので、いつでもこういう大博打を打とうとしている。他店で売り切れてもウチには充分に在庫がありますよ的な状況を作ることに快感を感じるのだ。そして博打が成功したことは覚えているけど、失敗した場合はさっさと忘れる。発売1週間前ぐらいになるとテレビでも「だんご3兄弟」が取り上げられていたから「よしよし」とひとりほくそ笑み、手ぐすね引いて入荷日を待っていた。

1999年3月2日、「だんご3兄弟」がお店に入荷した。正面の一番いい場所に売り場を作る。
あまり知られていないけど、同時発売で「おかあさんといっしょ いっしょに歌おう大全集40」という2枚組CDもリリースされていて、こちらにも「だんご3兄弟」が収録されている。こちらもちゃっかり30枚ほど仕入れていた。
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(これが「おかあさんといっしょ いっしょに歌おう大全集40」ジャケ。これを持っている人はかなりの音楽通か、かなりの親バカ)

ところがだ...入荷日に売れた「だんご3兄弟」のシングルはわずかに30枚だった。
同一タイトルの商品の場合、普通なら入荷日(発売日の前日)が売上のピークで、そこから3日間が勝負だと言われている。だいたいこのあたりで初回入荷数の7割ぐらいを売り切れば、在庫的には消化できると考えていい。僕の予想では入荷日だけで90枚近いと予想していただけに、数字だけみればこれは大失敗だった。

そこに社長がやってきた。
「だんご、どうや?」
「いや~、意外と苦戦してますよ。今日売れたのが30枚」
「(初回)仕入れは何枚?」
「250枚です」
そうしたら社長がちょっと考え込んだ上でこう言った。
「化けるかもしれんなぁ。入荷日に買おうとするのは若い子たちやろ。あんたの世代ならば素直に発売日に買いにくるわけやから、逆に言えば入荷日に30枚売れたというのは凄いことかもわからんで」

あっ、なるほど。そうかもしれない。

「明日また様子を教えてね」と言うと社長は去っていった。

(娘所蔵の「おかあさんといっしょ いっしょに歌おう大全集40」。ケースは割れてDISC2は行方不明。歌詞カードはぐちゃぐちゃ)


そして3月3日。メディアが「発売日」と報じているその日、凄いことになった。
開店直後から「だんご」「だんご」でお客さんが列をなしてきた。内心「だんご攻撃だぁ~」と思った。
夕方には早くも売上枚数が100枚を超えそうになり、今まで体験もしたことがなかった勢いに恐怖した。朝から様子をみながらちまちま70枚ほど確定オーダー(明日かならず入荷するという意味)していたのだけど、ついに業者の在庫もパンクした。

社長に報告した。
「どうや?」
「社長の予想通りです。今で100枚を超えそうです」
そうしたら社長が言った。
「バックオーダーは?」
「70枚ほど入れたところで品切れとなりました」
「そうかぁ~、じゃあ明日70枚は入荷するんやな。うまくつなげるとええなぁ。これ、およげ!たいやきくんの時(1975年)と一緒や。いやあ~不景気な時は妙な曲が売れるもんやけど、これは長引く(長く売れるという意味)から多めにバック入れとき」
「はい」

こういう売れ方は僕も初めての経験だったけど、社長の「長引く」という言からしても、むしろここからブームが始まるという売れ方なんだろう。購入層が同世代だからわかる。最初に瞬間的にパッと盛り上がるんじゃない。初回の売れ行きが好調で大量にバックオーダーが入って、さらに話題が形成されてゆく。やや続くとみていい。朝からの売上であわてて入れたバックオーダー70枚は明日確実に入荷するけど、その先はメーカーの生産次第だ。初回数より多めの300枚をオーダーした。合計370のバックオーダーなんてありえない数字だった。

初日(入荷日)30枚、
二日目(発売日)138枚
というのが二日間に売れた「だんご」の枚数だった。合計168枚。
残り在庫は92枚で、明日の昼には70枚が入荷するから、合計162枚。
閉店前に買いにこられたお客さんが「西院の〇〇では売り切れだったよ」と言っていたから、明日も下手すれば100枚以上売れるだろう。
明後日に300枚が入荷しなければパンク(品切れ)になる。この歴史的なセールスを何とかパンクさせたくないものだと強く念じた。

この日、帰宅したところで家内に言われた。
「23時45分から教育で「だんご3兄弟」をオンエアするらしいよ」。
こんな遅い時間に子供番組の曲を流すなんて、もう何がなんだかよくわからない。というかすでに頭の中では「だんご、だんご」が鳴り響いている。
この番組を録画して、明日から店頭のテレビで流すことにした。
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(「だんご三兄弟」歌詞カード)

結局のところ「だんご」は4日目にパンクした。といっても数時間程度のパンクで済んだ。最初の3日間を品切れさせなかっただけでも上出来だったと思う。品切れ中も「おかあさんといっしょ いっしょにうたおう大全集40」があったのは助かった。シングルがなければないで、こちらが売れたのだから、あまりお客さんにはご迷惑をかけなかった方だと思う。

この異常な売れ行きの理由が、音楽の魅力だけではないことは、明らかだった。
ちょうど同じ時期、政府の経済浮揚政策として「地域振興券」というのがバラ巻かれている。15歳以下の子供を持つ全家庭には2万円の商品券が支給されたのだ。
子供がいたからこそ、支給された商品券だから、子供にも何か買ってあげようという親心が「だんご3兄弟」のセールスの起爆剤になったことは想像に難くない。
累計288万枚という数字はオリコンシングル歴代4位となった。
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この地域振興券効果は、翌週にも続いている。3月10日にリリースされた宇多田ヒカルのアルバム「First Love」は、これまた途轍もないセールスを記録した。初回入荷数は前代未聞の750枚としたけど、連日200枚近いセールスを記録して恐怖を感じるぐらいだった。お客さんが全員「First Love」を持ってレジに並ぶ光景、PCの売上履歴画面(25件分ぐらい表示される)が「First Love」だけで埋まったことが未だに忘れられない。累計860万枚のセールス(オリコン歴代1位)など普通に考えたらありえないことだ。国からの2万円助成は思いもかけぬ経済効果があったことになる。
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何とも不思議な3月だった。色々なことがあった。
翌3月17日は安室奈美恵の「RESPECT the POWER OF LOVE」の発売日だったのだけど、アルバイトの子が出勤するなりこう言ってきた。
「出がけにワイドショーで安室奈美恵のお母さんが殺されたってやってましたよ。今日発売なんですよね、かわいそうに」
スタッフで顔を見合わせてゾーッとした。
だんご、宇多田の成功、安室の悲劇と、まるで音楽はカオスなんだと言いたいばかりの月となった。

彼女はそれでも3月29日に「HEY!HEY!HEY!」出演(トークのみ)

CDを買いなれている人ならば気づくと思うけど、新譜は毎週水曜日に発売されることが多い。
「だんご(3月3日)」「First Love(3月10日)」、「RESPECT the POWER OF LOVE(3月17日)」という具合にすべて水曜日の発売だ。ショップのスタッフからみると一番忙しいのが発売日前日の火曜日となる。この日は入荷商品で売場を作ってゆくし、若いお客さんはこの日に買いにくる。絶対に火曜日は店長は休めない。とりわけ給料日前後の火曜日は月で一番新譜のタイトルが多い日なので絶対に休めない。家内は臨月で19日の出産予定日を過ぎていた。生まれてくる我が子の出産にできれば立ち会いたいと思っている親父にしてみれば、できれば避けてほしいのが3月24日だった。この年は22日が祝日だった影響で発売日が1日ずれていた。大量の新譜が入荷するのが24日水曜日だったのだ。

レコード会社の決算対策用のビッグタイトルはほぼ出尽くしていたのと、月の前半に強力なタイトルがリリースされたことともあって、この25日は鈴木あみの1st Album「SA」以外はさほど「目玉」と言える新譜もなかった。だけど、キラッと光るタイトルがリリースされている。今でも活動を続けているバンド「クラムボン」のデビューシングル「はなればなれ」がこの日にリリースされている。

(クラムボン「はなればなれ」)

そして3月26日午前5時22分、京都太秦の産婦人科で次女は生まれた。
分娩室ての旦那の立ち合いも、ビデオカメラでの撮影もOKで、わが子の誕生の瞬を映像に記録することができた。それは言葉に表現できない感動だった。それにしても映像に残っている自分は若かったなぁ~
一旦自宅に戻ろうと京福電鉄の「帷子ノ辻」へ行ったら、珍しくストライキで運休中止。義母と苦笑しながらタクシーで帰ったことを覚えている。幸い休みを頂くことはできたけど、夕方お店に顔を出して異様な売れ方をしている商品がないかどうかチェックだけした。CD業界は平穏そのもだった。

僕は我が家に支給された2万円の地域振興券をどうやって使ったか、今でもよく覚えている。
¥2,400「おかあさんといっしょ いっしょにうたおう大全集40」:社内割引で購入。「ヒット」の予感を教えてくれた長女にプレゼント。
¥3,480 スーパー大黒屋でお米10kg購入
残りは3月26日に産まれた次女の出産費用となった。
3月の増売効果のおかげで会社からは臨時ボーナスが支給されたけど、これも出産費用に充てた。
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(2000年8月の長女と次女。奈良の室生寺で撮影)

団子がバカ売れし、「〇〇3兄弟」が流行語となり、柳の下のドジョウを狙ったシングルが何タイトルもリリースされ、社会現象になった「だんご3兄弟」。そのブームのクライマックスは4月3日だったと思う。この日、NHKの音楽番組「ポップジャム」に茂森あゆみおねえさん、速水けんたろうおにいさん、そして体操のひろみちおにいさんと、ちかおねえさんが出演して「だんご3兄弟」を歌ったのだ。子供向け教育番組の音楽が、こうした形で日の目を見るというのは前代未聞のことだった。

1920年代のファッションを身にまとって4人は登場し、「よいこのみんな!元気?」「二階席のおともだち、一緒に歌おうね!」といつものノリで呼びかけだ。いつものアニメーションではなく、4人の踊りの振付つきで「だんご3兄弟」が歌われた。この時の映像をデジタル化していまだに持っているけど、とにかく会場の熱気はポップジャム史上最高のものだったと思う。

そしてこの日、ひろみちお兄さん以外は「おかあさんといっしょ」のおにいさん、おねえさんを引退している。
おにいさんとおねえさんの交代はずいぶん前から既定の出来事だったのだけど、図らずも最後になって歴史的な花道が作られたわけだ。

1998年からやや陰りを見せ始めていた日本のCD市場にとって、この99年3月という月は最後にパッと輝いた線香花火のようなものだったのかもしれない。ひとつのシングル、ひとつのアルバムが社会現象を引き起こすような瞬間というものを、僕はあの3月以降見ていない。

今でも次女にはこう言う。
「君が生まれた月はね、音楽にとって最高の月だったんだよ」