善光寺地震と小松原断層

御嶽山は牙をむいた。桜島は派手に噴火を繰り返している。阿蘇山では20年ぶりに火山性微動が確認された。蔵王では小規模な噴火が懸念されている。吾妻山、草津白根山、箱根山では噴火警戒レベルが2(火口周辺規制)に上がっている。もう何がなんだか滅茶苦茶だ。これで浅間山でも噴火しようものならば、絶対に国は何かを隠しているに違いない。

それと関連があるわけではないけど、相も変わらずの今回の長野行きでは、たまたま善光寺地震の痕跡を2か所辿ることができた。ひとつはこれから紹介する「小松原断層」。もうひとつは「臥雲の三本杉」だ。

善光寺地震っていうのは1847年(弘化4年)5月8日に長野盆地を襲った直下型地震だ。ちょうど今と同じように善光寺の御開帳のまっ最中で、全国から参拝客が集まる中、マグネチュード7.4という激しい揺れによって「建物の倒壊、火災、土砂災害、崩壊土砂による天然ダムの形成と決壊による 水害など各種災害が複合的に発生し、1万人前後の人々が死亡したと推定される(内閣府防災情報のページより)」。

近年、長野では二つの大きな地震(2011年北部地震、2014年神城断層地震)が記憶に新しいけど、いまだに長野では「大地震」といえばこの善光寺地震を指すことが多い。
(ちなみに京都では「先の大地震」といえば慶長伏見地震のことを言う)
少なくともこの記事を書いている時点までは....

さて、小松原断層。長野盆地の西側には北は飯山から南は筑北村に至る約74kmの間に複数の断層があって「長野盆地西縁断層帯」と呼ばれているんだそうだ。善光寺地震の時はこのうち飯山⇒千曲間において断層の北西側が2~3m隆起したと言われている。

小松原断層は長野市小松原地区(篠ノ井小松原=JR川中島駅が近い)を中心とした断層で、その象徴的な痕跡と言えるのが、この場所だ。
小松原断層
(小松原断層の痕跡)

いきなり「この場所だ」と断言しても、画像からは何のことやらさっぱりわからない。
善光寺地震の際、この道路(県道383号)に沿って断層が生じた。家がある西側が1.6m隆起したのだ。その段差が崩壊しないように組んだのがこのお宅の石垣だった。

路地の奥の解説板によれば、後年になって県道の拡張で多少の移築(やや西側に後退したのだろう)し、近年ではお宅の建て替えがあったにもかかわらず、現在もこのように断層の遺構として石垣のみを保存しているというわけだ。
小松原断層の石垣
(石垣部分)

小松原断層解説板
(路地の奥の案内板)

この場所以外にも長野市には善光寺地震の痕跡が残っている場所が何か所もある。そういう場所も含めてGoogleマイマップに「長野の隠れスポット」という地図を作っている。今回の小松原断層は、この日の宿泊先である長野市中条地区へ向かうのに、たまたまうってつけの抜け道上にあったことで、こうしてBlogの題材となってしまった。