「この世界の片隅に」は日常の肯定だった

12月2日のことだ。
テアトル新宿で「この世界の片隅に」を観終わった後、スマホの電源を入れると一本のメールが届いていた。

開いてみるとそこに書かれていたのは友人の訃報だった。
同じバンドのメンバーとして5年前まで一緒だった方。いつもニコニコしている心の温かい方だった。
最後に会った時も「また当時のメンバーでプレイしたいなぁ~」と言ってくれた。

何とも複雑な気持ちで帰宅したわけだけど、今は気を取り直してこれを書いている。
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僕がこうの史世を知ったのは「夕凪の街 桜の国」からだった。
広島の原爆をテーマに、ある家族の二世代にわたる物語を3つの時間軸で扱った作品だ。

この漫画は「はだしのゲン」世代にとっては軽く衝撃だった。
自分の中では原爆をテーマにした漫画というものは、悲惨な風景を描くことで原爆を告発するというのが当たり前のパターンだと思っていたからだ。

ところがこの漫画では原爆投下直後の広島を描いたのはホンの数コマ。それすら写実的ではなくデフォルメされた世界が描かれているだけだ。それでいながら「夕凪の街」編では平野皆実を通して、続く「桜の国」編では彼女の姪にあたる石川七波を通して、原爆症がこの家族を弄んだ50年の歴史を描いてみせた。

漫画の軸になっていたのは「淡々とした日常」だ。
この漫画に登場する主人公は平凡で平穏な日常生活の中にいる。それは一見どこにでもありそうな風景だ。しかし、それでいながら時折現れる「原爆症」という悪魔に翻弄される。僕の場合、原爆症といえば喀血と嘔吐と血便というイメージが「はだしのゲン」でトラウマレベルにまで植え付けられているのだけど、作者は決してそのような情景を描写しようとはしない。あえてそうしたコマを拒否しているきらいする感じた。

「だからこそ悪魔がより一層不気味な存在感を持つだろう」というのが作者の狙いだったとするならば、それは見事にハマっている。
「対位法(コントラプンクト)」とでも言うのだろうか。黒澤映画とかで使われる手法だ。

読後に感じたのは心に響き渡る「余韻」だった。
「感動」とか「原爆の悲惨さ」というよりは長い時間引っ張られる「余韻」。
僕はこの漫画家のファンになってしまった。
この世界の片隅に
それから2~3年後だったか、同じように「原爆」いや「戦時中の広島」をテーマに描かれたのが「この世界の片隅に」だった。

主人公は….ネタバレにならないように書く。物語は昭和9年の幻想的なエピソードから始まる。主人公の浦野すずは広島の江波(※1)で生まれた。かなりのんびりした性格で絵が得意な少女だ。時の流れとともにお見合い結婚で呉の北條周作のもとへと嫁入りする。周作、その両親、出戻りの周作の姉とその娘の生活と、その傍らにある「戦争」が物語の軸だ。物語は広島原爆を経て戦後へと至る。

12月2日、ようやく仕事も一段落したので、娘とこの映画を観に行ってきた。
わざわざ新宿まで行ったのは理由があった。
来週で上映が終了してしまう「築地ワンダーランド」を観たかったからだ。11時15分から角川シネマで「築地ワンダーランド」、15時45分からテアトル新宿で「この世界の片隅に」。
運のいいことにこの2つの映画館は100mほどしか離れていない。

この世界の片隅に

原作の漫画を読んだのは今から5年も前、しかも娘の部屋にそれを持ってゆかれてしまったため、今回は読み返すことなくスクリーンに対峙したのだけど、不覚にもラストシーン(どう演出するのだろうと気になっていた)で涙腺が緩んでしまった。

「泣けました」という映画の感想が、果たしていいものかどうか自分でも釈然としないのだけど、ここまでのレベルで緩んだのは人生で2度目だった。1度目は小学校5年生の時に観た「はだしのゲン(実写版)」。被爆直後の広島で食べるに窮したゲンが、他人の家の軒先で浪曲を弁じてお米をもらうというシーンがあるのだけど、弁じているうちにかつての家族と過ごした楽しい日々が走馬灯の蘇るというシーンがそれだった。奇しくも同じ広島の原爆、ゲンが物乞いをしたのは江波(浦野すずの出身地)だったから、何とも偶然だ。そして自分がこういうのに本当に弱いというのがよくわかった。
江波から三島
(広島市中区江波から太田川方面を撮影したもの。眼下に江波の港がみえる。2009年撮影。映画で昭和10年の干潮時にすずたち三兄妹が渡ったのはこの川ではなく反対=西側の天満川河口付近と思われる。当時は川幅が四倍ぐらいあったはずだ)

三巻にわたる原作を2時間にまとめられるのだろうかと思ったのと、原作漫画の「入れ子構造」….漫画の中に漫画があったり、戦時中の生活をビジュアル的に解説した絵(両方とも浦野すずが書いたという設定)が「入れ子」状態で入っているという複雑な構成を、直線的なアニメーションでどう処理するのだろう?とも思っていたのだけど、その辺りはエピソードを取捨選択してうまく処理していた。つまり原作漫画には映画で省略されたエピソードや伏線や当時の生活がもっと詰め込まれているということだ。
江波から草津方面
(江波から草津方面。今では埋め立てられてしまったが、三菱重工の工場のある付近はすべて海だった。ここをすずたち三兄妹は徒歩で渡っていった)

だけどアニメならではの表現は、時には原作を凌駕する。
この映画では原爆投下前の広島(爆心に近い中島本町)の風景を鮮やかに再現していた。映画の冒頭、すずが「はじめてのおつかい」よろしく海苔を届けるシーンで登場する街並みがそれだ。今ここは平和記念公園の広大な緑地となっている。

ここで彼女が一休みをするモダンな建物が「大正呉服店」。
この建物だけは現存している。このブログで「ヒロシマ -被爆建物(1)- 旧燃料会館(現平和公園レストハウス)」と書いたことがある。
また映画の中では何度か「広島産業奨励館」、つまり原爆ドームも登場する。
大正呉服店
(大正屋呉服店)
大正屋呉服店(現レストハウス
(大正屋呉服店=現レストハウス)
それと、ラストシーンの方で登場した昭和20年10月頃の北條家の「空撮」が気になった。
家屋の屋根が映るのだけど、蔵に隣接する側の屋根瓦が滅茶苦茶に乱れている。実際に映画の中で屋根を突き破って焼夷弾が落ちるシーンがあるのだけど、それだったら比較的狭い範囲で屋根瓦が割れているとか穴が開いているという絵になると思う。それがもっと広範囲で瓦が乱れていた。ここが気になったので、帰宅してから原作(下巻P103を参考にした)を見てみたらやはり狭い範囲で瓦は乱れている。

なんでここが気になったかと言うと、焼夷弾に続いて原爆の爆風でさらに屋根が破損された状況を、原作以上に正確に描いたんじゃないかと思ったからだ。原爆の爆風は呉にも届いている。実際かなりの衝撃(※2)が走ったことは映画でも表現されている。これによって元々破損していた瓦も爆風を受けることが想像できるのだけど、隣接した蔵は家屋の屋根よりも高い建物なので、かき乱された瓦はこの壁にぶつかって一種の対流現象を起こしているはずだ。それがこういう絵になったんじゃないかと勝手に思ったのだ。
原爆ドーム
この映画の何が凄いのかといえば、結局それはこうの史代のストーリーテリングの素晴らしさが、活き活きとしたアニメーションで動ききった、という一点にあるだろう。

呉での生活描写は大変日常的で平凡な….あくまで国家が異常な状況での「平凡」ではあるが…平凡な暮らしの光景が原作者ならではの上手い語り口で淡々と綴られてゆく。そこをディティールにこだわりながら丹念に丹念に映像化している。登場人物は一人一人が何とものんびりしていて心地よい。戦時下だからと言って誰もがギスギスしていたというありがちな先入観とはちょっと違う人たちばかりだ。だから突然起こる様々な「事件」がより一層その効果を印象づける。

主人公ほか登場人物の感情の揺れ動きも面白い。日常生活に不意に「何か」が起こると、この人たちは大きく心を揺れ動かすのだけど、次の瞬間には平静に戻る。ズルズル引っ張ることはない。この「揺れ戻し」が実に見事なものだから日常は日常であり続ける。

実際には主人公の心の中にはそうした「何か」が蓄積され続けている。そしてある時それが一気に噴出する。そんな時、その噴出効果は強力な印象を与えることができる。これは原作でそういう手法が使われているからだろう。

その根底にあるテーマは「日常の肯定」だ。
平凡な日常が何よりも素晴らしくて何よりも美しいのだということ。その美しい世界はどこかのユートピアにあるのではなく「この世界の片隅に」ある、その場所は今まさに自分の居る場所なのだと、この映画は言いたかったのだろう。
そして、一見のんびりしているように見える主人公もまた、その場所を探し求める旅人だった。

「何事も起きない日常」ほど美しいものはない。
友人の死にも直面したこの日、何よりも僕が思ったのはそこだった。

(※1)江波は被爆建物である気象台を見学しに行ったことがある。古くからの港町と(映画にもあるように)埋立地からなる町。どうも江波山のお陰で直接的な被爆は免れたようでそこかしこに古い家並みが残っていた。
(※3)管理人がお世話になっている上大岡の鍼灸院「温怜堂」の宇佐美院長は、今年で86歳になられるが呉の出身だ。学徒勤労動員で中学生の時にこの映画にも登場する呉の海軍工廠で働いていた。映画と同じように戦艦大和も目撃もしている。運命の8月6日8時15分、院長は呉工廠で朝の点呼を終了させた後(班長だったそうだ)、上官に「点呼異常なし」を報告しようとした。その瞬間「耳に圧がかかった」のだという。