カルメンは故郷に帰れるのか?

私の母は身体はいたって健康なのですが、ここ1年でいわゆる「認知症」がかなり進行してしまっています。
もちろんその兆候は数年前からあったのですが、この1年はとりわけ急激にそれが進行しています。
CRIの結果を見ると、前頭葉に影(空洞?)が広がっており、確実に脳が委縮しているのがわかります。

さて先日の休日のことです。
父が会合で横浜へ出る用事があったので、私と家内とで父の家に留守番することになりました。

母はリビングの椅子にニコニコしながら座っていて、私が来ると嬉しそうに微笑んでくれました。
(妹曰く「私とは対応が違う!」だそうです)

つい一年程前までは日常の会話もできましたし、自分の意見も言ってきました。
その意見は論理的には無茶苦茶な部分もありましたが、それでも「こう返す」「こう返される」というやりとりができる状態でした。
記憶にはかなり混乱はあるものの、古い話を振れば、それなりに記憶を引き出すことができました。

「なぜお袋は疎開したの」と尋ねれば「自由が丘に空襲があって爆弾が落ちたので疎開した」という具合です。
当時お袋は九品仏に住んでいたのです。

私が行けば私の名前を呼び、何か会話をしてきたのです。

ところが、最近はそれがない。
微笑んではくれるものの、はたして私の事を息子だと認識しているかどうかすら怪しくなってきました。
どうも会話のやりとりがうまく噛み合わないところがあります。
というか、自分から進んで話すことが少なくなってしまい、ニコニコしながら椅子に座っている感じです。

あまり会話のやりとりもできなくなってきました。
半日留守番するには、なんだか手持無沙汰です。

そこで何か映画でも見ようと思い、父が録りだめていたレコーダーの中をみたら「巴里のアメリカ人」が録画されていました。
1951(昭和26)年の傑作ミュージカル、母が何よりも好きだった映画です。
ラストのジーン・ケリーとレスリー・キャロンによる20分近いダンスシーンが圧巻でして、このシーンだけを見ることにしました。

母の反応を見たいというのがあったことは言うまでもありません。


(An American in Paris – 1951)

ところが、ほとんど反応がないんですよ。
子供の頃石井獏からバレエを習っていたこともある母は、ミュージカル映画が大好きでした。母がミュージカルが大好きだったお陰で、自分は古い音楽も新しい音楽も両方楽しむようなクセがついてきたのです。

以前の母だったら「ジーン・ケリーのダンスはアクティブでいいわね~」とか言ってきたんですけどね。今はただ踊っているのを見ているだけ。
たまに音楽にあわせて口ずさむところからすると、音楽の記憶はまだあるようです。

そもそもこの映画をすすめてきたのは母だったことを思うと、なんだか寂しい限りです。

じゃあ日本の映画はどうだろうと探してみたら映画「カルメン故郷に帰る」のデジタルリマスター版のBDが出てきました。
「巴里のアメリカ人」と同じ昭和26年に、日本初の本格的カラー映画として公開されたこの作品、母がとても好きな映画でした。


私が中学生の頃、NHKで放送された時「面白いからあなたも見なさいよ。ストリップシーンがあるんだけど、今からするとのんびりしたものよ。別に大したことはないから」と言われて一緒に見た作品でした。

浅間山の麓で育ったおきんは、子供の頃に牛に頭を蹴られていささか頭が弱くなっていたのですが、その彼女が東京でストリッパーとして成功し、芸名も「リリィ・カルメン」となって故郷に凱旋してきます。彼女は自分が芸術家だと信じているし、村人たちは小学校の校長も含めて「我が村から芸術家を輩出した」と大喜び。そんな中でのドタバタをコミカルに描くと共に「芸術ってなんだろう?」という戦後文化爛熟を多いに皮肉った映画でもあります。
カルメン故郷に帰る
ところが母ときたら、高峰秀子と小林トシ子のストリップシーンで機嫌が悪くなってしまいました。
どうもストーリーの流れよりも、「女性の体を売りにしている」というそのシーンの状況だけが気に食わなかったようです。
カルメン故郷に帰る
だって昭和26年ですよ。「ストリップ」といっても画像のような牧歌的なものだし...そもそも牛に蹴られて頭が弱くなった主人公が「ストリップ=芸術」という図式の中で、芸術家気取りになっちゃったことを面白おかしく描いた作品だし...いや、そういう問題じゃない。

「そもそもあなたが薦めてくれた映画じゃん!」と内心思いました。でももう何を言っても仕方がない。

「まあまあまあ」と言いつつ最後まで見ましたが、実に不機嫌そうな母でした。

思い出すと、私が物心ついた時から、常に家ではラジオで洋楽が流れていたし、自然とそういう空気を吸収して育ってきました。
色々な影響を僕に与えてくれた母だったのですが、「こりゃあかなり寂しい事になったな」と身に染みて感じたわけです。