震災直後の画像から

2011年3月11日、移転前の職場(パルポート上大岡)で撮影。

14時51分4秒撮影

14時46分18秒から1分以上にわたる大きな揺れ。撮影は揺れが収まってから数分後から始まる。床に散乱したDVD、CD、川崎大師(多分)のお札など。

14時58分25秒撮影

玄関に向かう廊下に散乱するおもちゃ、プラレールなど。

15時20分54秒撮影

岡村方面で火災発生かと思ったのだけど、実は根岸の製油所(JXTG)が緊急停止した後、弁を開いて不要な燃料を燃焼させていたものらしい。

16時38分07秒撮影

多分、教室を出る前に撮影したもの。東京方面の空が真っ暗となる。火災ではない。

拡大してみると、粉じんのようなものが舞い上がりつつあるようにも見える。
地震で揺さぶられた建物などのチリや埃が一気に舞い上がったのかなと、当時思った。この現象をきちんと説明したものに出会ったことがない。

別の部分を拡大してみる。

この時、京急の電車が2台、弘明寺方面で停車していたのを覚えている。
乗客が歩き出したのを見て「今日のレッスン中止」と決め、メールなどで連絡したような次第だった。

19時31分57秒撮影「関内ホール」

一旦原付で帰宅、車を出して再び上大岡へ。
スタッフを車に乗せて家まで送ったわけだけど、まずは関内の会社から帰れなくなったカミさんを迎えに行った。

井土ヶ谷付近で「こんなの聞いても暗くなるだけ」とラジオニュースを切って音楽を流しはじめたのが忘れられないと、今でもノリちゃんセンセに言われる。
驚いたのは関内ホール。日本大通りの「関内ホール前」交差点側がこのように浮き上がり、馬車道側が沈下していた。
「埋立地だけあるなぁ」と思ったのを覚えている。

20時17分24秒「岡村交番前交差点」

停電で信号も街灯も真っ暗だ。

自分の人生の中で絶対に忘れられない悲惨な出来事というのは3つある。
「阪神淡路大震災」「全米同時多発テロ」「東日本大震災」の3つだ。
そして、生徒さんの中に「阪神淡路大震災」の当日に生まれた子と、「東日本大震災」の当日に生まれた子がいる。
この日を迎えるにつけ、この二人に会うにつけ、命が永遠に続いて行く事、生きている事の意味なんかを考えてしまうのです。

コメント

  1. kenmotun より:

    物資不足は勿論、ストレスで食べられなくなって、体が熱を持てなくなって亡くなるお年寄りがいるというニュースを聞き、食べるって生きることなんだなって思うようになりました。そしてその数年後、2011年当時某大企業が備蓄用に買込んだ物資を、朝から晩まで捨てる仕事を行いました。現代社会のエネルギー効率の悪さ、怪しい一本数百円もするナントカ健康水を金に物言わせて買い込んだ人間の業の深さ、食という一点だけでも数えきれないほど多くのことを考えさせられた災害であると感じます。

    • spiduction66 より:

      >Kenmotunさん
      食….そうですね。結局パニックになるかならないかって話なんですよね。1994年の猛暑の後の空前のコメ不足の時、翌年の阪神淡路大震災の時、「パニックにならなければ5日で鎮静化するんだ」って事を学んだので、自分にとっては先の見えない話ではなかったのが救いでした。
      当たり前のものだと思っていた物流が破たんした後、買い占める人もいれば、分け与える人もいた事を思い出します。食という一点をフィルターにかけて多くの人を見ることができた災害だと思いました。

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