レイモン・サヴィニャック展は「わかりやすい美術展」だった

いきなりですがこの看板。
サヴィニャック展
鎮痛剤の広告ポスターとして作られたものです。

なるほどねと思わず「クスッ」と笑ってしまう。
こういう笑いがフランス人の好きな「エスプリ」ってやつなんだと勝手に思っています。

絵を描く事が大好きな次女坊が大学に合格したので、ようやく遊びにゆけるわいと連れていったのが「サヴィニャック展」。
カッサンドルと並んで商業ポスターでいち時代を築いたレイモン・サヴィニャックの美術展です。
看板
僕の教室では壁のあちこちに彼のポスターを飾っているのですが、彼の美術展というのはこれが日本では初めてじゃないかと思います。

エントランスまでは撮影OKでした。
会場ポスター
エントランス
何とも無機質な空間が(美術館というものはそうでないと作品を引き立たせられないのでしょう)、彼の作品によって温かみを増しているのがわかると思います。

会場内は彼の成功までの過程から始まり「動物」「オトコの人・オンナの人」「子ども」「働く人」「命を吹き込まれた製品」「指さすヒト」「自動車とその部品」といった具合に、
テーマ毎に展示されていました。
記念写真用

実はこういう特定作家の、しかも商業ポスターの美術展というのは、過去に行っているようで実は行っていないんです。
だから気づくことがあって、それは「サヴィニャック展は実にわかりやすい美術展だ」ということです。

商業ポスターには「何の商品を売りたいのか?」「商品の特徴」という「テーマ」が明確にある。
だから、美術を鑑賞する上で一番頭を悩ませる「テーマ」という部分を深く考えなくていいわけです。
作品の中で「テーマ」が切り分けられている、と言ったら語弊があるかもしれませんが。

ですから作者のエスプリ溢れる感性や筆遣い、作風といった部分をじっくりと感じることができるわけです。
しかもそれだけじゃない。
彼がひとつの作品を誕生させるに至る思考みたいなものまで伺うことができたわけです。

昔、京都で「ダリ展」とか「ゲルニカ(ピカソ)展」とか行った事がありますが、
作品を見て「何がいいたいんだろう?」と考える所から始める作品、これも大切なことではありますが、やはりわかりやすいのは一番です。
会場エントランス俯瞰
こんな作品があったよというのを、実際の画像で紹介してもナンですから、職場ポスターから紹介します。

「トレカ・ウールとスプリングのマットレス – 1952年」
クッションの柔らかさと素材の温かさをひと目で印象づけるポスター。

「アストラル・エナメルペンキ – 1949年」
ペンキを塗る人自身がペンキの宣伝をしているというポスター。

「ペリエ・天然ミネラル炭酸水 – 1964年」
体の中まで透き通りそうな爽快感、解説によればもともとコカ・コーラ社用にデザインしてボツになったものを他社製品に転用したものだそう。

僕はアートに関しては門外漢だから、あんまり語る権利はないのだけど.....
彼の師匠で、彼が信奉してやまなかったカッサンドルの作品には直線的である種の力強さを感じます。僕なんかはむしろカッサンドルの作品に憧れる方です。

(カッサンドル「ノルマンディ」 1935年)

にもかかわらず、サヴィニャックは手書きで温かみのある作品へと到達したわけです。
彼はナチス占領下で傷ついたフランス、ようやく解放されたフランスの街角にどんな色彩が必要なのかを感じていたのだと思います。

2004年春、教室がオープンする時、インテリアとして絵を飾ろうとなりました。
「名画的なものよりはカジュアルでかわいらしいものを」とカミさんと探しまわったのです。
僕的にはカッサンドルのポスターも飾りたかったのだけど、温かみのあるポスターの方がいいだろうというのがカミさんの意見でした。
そんな中、元町の雑貨屋さんでサヴィニャックと出会ったのです。彼が亡くなってわずか一年ちょっと後のことでした。

以来、何度か模様替えをしたいと思ってはいたのですが、そのままズルズルとサヴィニヤックを飾り続けている。
それはきっと教室の「精神」の一部として染み込んでしまっているのかもしれません。