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おみおくり

加藤和彦が与えてくれたもの

昭和43(1968)年に録音した僕の歌声(クリックすると聞けます)。

帰ってきたヨッパライ by spiduction66 (3さい)

当時、我が家にあったオープンリールの家庭用テープレコーダーで親父が録音したもの。数年後に普及するカセットテープに比べてはるかに音質がよい。

自分が何かしらの形で音楽表現をしたものでは一番古い記録だし、リアルタイムで記憶している一番古いヒット曲でもある。当時、叔母が入院したときにこれを病院で歌って大笑いされたのを今でもおぼえている。
そう、3歳の子供が愛唱するぐらい「帰ってきたヨッパライ」は名曲だった。

加藤さん、そんな思い出の曲を作ってくれてありがとう。
僕はあなたの人生の結末のつけかたが「悲しくてやりきれない」です。
「ほなら出てゆけ~」と神様に言われて、あなたが天国から戻ってくるように思いたいけどそれも難しいです。もちろん「タイムマシンにおねがい」するのも難しいことでしょう。
でも、僕は「あの素晴しい愛をもう一度」と思ってなりません。

ご冥福をお祈りいたします。

のりピーとマリーとドラッグ・ソング

haruさんが「今日保釈だから、そろそろ記者会見をやるんじゃないですか?」と言ったので、Googleのヘッドラインニュースを見た。そうしたら記者会見情報よりも先に「ピーター・ポール&マリーのトラバースさんが死去」というニュースが目に入ってきた。

[ワシントン 16日 ロイター] 米国の各メディアは16日、「花はどこへ行った」などのヒット曲で知られるフォークグループ、ピーター・ポール&マリーのマリー・トラバースさんが、コネティカット州の病院でがんのため死去したと報じた。72歳だった。ケンタッキー州ルイビルで生まれたトラバースさんは1961年、ピーター・ヤロウさん、ポール・ストゥーキーさんとグループを結成。ボブ・ディランが手掛け、同グループが歌った「風に吹かれて」は、公民権運動のテーマ曲にもなった。

その直後、haruさんがワンセグをつけたら、ちょうど記者会見をやっていた。
三台並べてニュースを見た。
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だけど僕の心の中ではピーター・ポール&マリーの「パフ」が流れていた。

日本語では「パフ、魔法の竜が住んでいた」ではじまるこの曲、僕も娘も小学校の縦笛の練習で吹いている。

ところがどっこい、アメリカでは1960年代当時、その寓話的な歌詞がドラッグ・ソングと勘違いされた。
「パフ」とは竜の名前でははく、マリファナを意味するというのだ。

「Puff The Magic Dragon」という冒頭の歌詞は「Puff The Magic Drug」を意味するといわれた。あるいはケムリの吸引を意味する「Draggin’」であるといわれた。そして歌詞中に登場する”パフ”のお友達の少年の名前は”ジャッキー・ペーパー”というけど、この”ペーパー”はクスリを吸うときの巻紙を意味するといわれた。そもそも「Puff」にはタバコを吹かすという意味があった.....

そしてヒッピーたちの間でこの曲は愛唱されたのだった。

山から来たマイケル

「1969年11月、インディアナ州ゲイリー出身の5人組のリード・シンガーとして12歳のマイケル・ジャクソンが登場したとき、まさか彼が60年代の終わりを飾るロック・ヒーローになろうとは想像もしなかった。しかし、マイケル・ジャクソンは、ゴスペルに親しみ、レイ・チャールズ、スモーキー・ロビンソン、スライ・ストーン、ジェリー・バトラーなど先人たちからさまざまなものを受け継いだ天性の偉大なソウル・シンガーだった....そしていまでもそうだ。」

僕が持っている古いレコードガイド”The Rolling Stone Record Guide”(1982年3月出版)で、音楽評論家のデイヴ・マーシュがマイケル・ジャクソンについてこう書いていた。
しかし、そんなデイヴもこの9ヶ月後にリリースされた「スリラー」によってマイケルが世界のポピュラー・ミュージック史を代表するヒーローになろうとは、想像だにしなかっただろう。
全世界で1億枚というセールスうんぬんを抜きにしても、あれだけ社会が大騒ぎになったアルバムを、後にも先にも僕は知らない。

「スリラー」が大ヒットした時、僕は高校生だった。
マイケルの高度な音楽性もさることながら、このアルバムがヒットした最大の理由は、間違いなくその一連のビデオクリップにあった。たとえば、アルバムからシングルカットされたタイトル曲「スリラー」は、こういうホラー映画仕立てだ。

当時は駆け出しのミュージック専門ケーブルTV局「MTV」のアドバンテージを充分に計算に入れてこの映像は作られていた。そして日本にも「ベストヒットUSA」という洋楽のPVをオンエアする番組があった。そうした番組で流れるPVのインパクトったらなかった。そうしたビジュアル的側面からこのアルバムはヒットしていった。映像と音楽がリンクする形でラジオでもテレビでも曲がオンエアされるというパターンの成功例をマイケルは作り出したのだった。

当時、友人の家にフラっと遊びにゆくと、かなりの確率でこのレコードがあった。普段洋楽なんて聞かないようなヤツでも、このレコードを持っていた。僕は内心思ったものだ「世界で一億枚売れるっていうのは、こういうことなんだな」。
そして、そのブームは、単なるレコードのセールスだけにとどまらなかった。
「俺たちひょうきん族」ではウガンダがマイケルの物真似をして「スリラー」のPVを再現し、それを大人も子供も見て大笑いした。
週刊モーニングに連載されていた「ホワッツマイケル」では猫たちが「BAD」を踊っていた。マイケルが飼っていたチンパンジーのバブルスですら、とんねるずの「みなさんのおかげです」で石橋とキョンキョンによってパロディにされていた。アル・ヤンコビックはパロディ曲「今夜もイート・イット」を大ヒットさせ、日本でも人気者となった。
日本のお笑い番組やマンガでこれだけネタにされた洋楽アーチスト、大人にも小学生の子供たちにも笑えるだけの共有リソースを持ちえた洋楽アーチストというのは、後にも先にも彼ぐらいだろう。

今日、TVは朝から晩までマイケル・ジャクソンの死を報道し、ラジオではずっと彼の音楽が流れていた。1980年のJohn Lennonが射殺された時の大騒ぎとまるっきり一緒だった。

そういう僕も今日は職場のTVで「エド・サリバン・ショー」出演時の映像(1970年)を見ていた。
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「聞かせるソウル」ではなく「踊るソウル」というスタイルに徹底し、70年代のソウルミュージックの方向性を予言してしまったこのグループのリード・ボーカルはわずか12歳だ。
にもかかわらず、この年齢でこの人は見るべきものは見てしまったという顔をしている。
この10年後、さらなる成功を手に入れた彼は、我々の理解を超越した人生を送り、そして早すぎる死を迎えた。
それがなんとなく納得できてしまうのは、僕だけだろうか?

帰宅してから同じ12歳の長女に聞いてみたら、マイケルの死は中学校でも話題になっていたらしい。
「お前たち、マイケル・ジャクソンなんて知っているの?」と尋ねたら、
「歌手だって言う程度しか知らないけど、私たちの間では赤ちゃんをベランダから落とそうとしたり、家に遊園地があるヘンな人って有名だよ」とのことだった。
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そうか21世紀のマイケルの評価っていうのは、そういう感じでとらえられているんだなと思った。
思いながらも、あれから25年以上になるにもかかわらず、いまだに中学生の間でも話題になるだけの「余韻」を持っていることに、改めて驚かされた。

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