Home > 教室事件簿
教室事件簿
東京演歌エレジー ~まつざき幸介さんとともに~
- 2010-02-07 (日)
- 教室事件簿
いつもThe Whoがああだとか、くるりがどうだとか言っているRock人間ではあります。
だけどCDショップの店長だった時代は純邦楽、演歌からJazz、Classic、J-pop、Hip-Hopまで幅広いジャンルの知識が要求されました。ここで培った知識や経験や人脈はまだ生きていて、それが今の仕事をする上で大変役に立っています。好き嫌いを超えたところで「良い悪い」「売れる売れない」を判断する耳、年齢を超えて衰えない耳みたいなものは、月に何百タイトルとリリースされるCDを聞く中で、相当鍛えられたと思います。
一昨日はRock人間が、頭を「演歌(と言ってもまつざきさんの場合はニューミュージックと歌謡曲に近いのだけど)」にスイッチングさせて東京へと飛び出しました。そう、歌手のまつざき幸介さんとともに東京演歌ミュージック・シーンの主要拠点の挨拶まわりに行ってきたのです。
行きの車中でまつざきさんと色々な音楽の話をしました。やはり同世代ということもあって同時代的な音を沢山ご存知なんですが、一言で言えばまつざきさんも「マニアック」。
思いもかけないアーチスト名がガンガン出てくるのに驚きました。盛り上がったのは「半径5メートル以内の日常生活」を歌にした伝説のフォークデュオ「ブリーフ&トランクス(1998-2000解散)」がお互いに好きだってこと。
僕は「ブリトラ」を日本で最初に全宇宙に向けて絶賛した人間、という自負を勝手に持っているんですが、まつざきさんもかなり早い時期から彼らに注目していたんだそうです。それだけじゃありません。現在ブリトラの伊藤多賀之君はまつざきさんと同じレーベルのWingエンタテイメントからCDをリリースしているとのこと。これには驚きました。
そんな話をしながら車は東京に到着。
まずは都内某所にある某大手CD卸さんの本社にご挨拶に伺いました。この会社は京都CDショップ店長時代の主要取引先です。
ここでは、まつざきさんが横浜でどれだけ活躍し、実績を出しているか、今後も「6月のジルバ」をぜひ応援して頂きたい旨をお願いしてきました。

その後、車で移動して今度は浅草へ。
浅草は土地がら演歌が大変強く、演歌に関しては重要な拠点があります。
まずは雷門近くのヨーロー堂さんへ。創業が大正元年と言うから驚きです。日本で最も古い日本コロムビアの創業が明治43年ですから、その2年後に創業しているわけですね。ここは東京でも残り少なくなった演歌の店頭キャンペーンを行っているお店でして、連日店頭で演歌歌手がミニステージでキャンペーンを行っているのです。昔から業界誌に紹介されているお店でして、今回まつざきさんをお連れしたいと思っていたお店のひとつでした。
今日もまさに徳間ジャパンの川崎修二さんがキャンペーンを終えた直後でした。まだ川崎さんが店内でご店主の方と挨拶中だったので、やや時差を置いて入ることに。そんなわけで、まずは店頭キャンペーンのスケジュール表をまつざきさんとチェック。

2月3日の北川大介さん(日本クラウン)は有名ですね。5月30日にヨコスカ歌の祭典でまつざきさんと共演します。
2月14日のひろなさんは、1月27日にデビューしたばかりの名古屋出身のインディーズ演歌歌手で「R&E(リズム&演歌)」を標榜し、かなりJ-POP的なサウンドで歌う人です。実は今回の東京行きにあたって個人的に音源をとりよせて、いまさっき車中でも聞いてみたばかりでした。その彼女が店頭キャンペーンをするとは....偶然とはいえ驚きました。そして3月11日には島倉千代子さんもいます。いやあ凄いです。
店内は昭和の匂いがする懐かしい雰囲気。僕なんぞは什器に書かれた「コンパクトディスク」の昭和風のロゴデザインだけでクラっと来てしまいました。その一方で品揃えが凄いです。店舗の半分は演歌一色、いっぽうインディーズのコーナーが充実していて、そこには昭和歌謡のカルトな復刻作品やそれを現代に具現化している倉橋ヨエコ系アーチストのインディーズ作品がズラリと並んでいます。いわば昭和をコンセプトにしたセレクトショップでもあるのです。そういう点ではヴィレッジ・バンガードのCD売場と何か通じるものを感じました。本日は挨拶のためゆっくり見ることはできませんでしたが、あるいは「女番長ブルース 牝蜂の挑戦」のサウンドトラックなんてCDもあったかもしれません。
それと興味深かったのが、知る人ぞ知るヒーリング・ミュージックのレーベルパシフィック・ムーンのCDが大変充実している点でした。
アジアンテイストとヒーリングサウンドを融合させたこのレーベルは、大変内容が素晴らしいんです。僕も京都時代は積極的に売っていましたが、ヨーロー堂さんでも、店頭の大変いい場所に並べてそれを販売していました。
今は大手CDショップに押されて、昔ながらの地場のCDショップが少なくなってしまった時代ですが、ヨーロー堂さんはそういうお店の雰囲気をかなり濃く残しながらも、品揃えでは実に面白いバランス感覚を持ち、セレクトショップとしてしっかり営業してらっしゃる、という印象でした。
さてお次は、演歌の品揃えでは日本一を標榜する宮田レコードさん。挨拶に訪れると、またもや川崎さんご一行が。
「やはり演歌の王道ルートなんですね~」なんて話をしながらお店の外で待ってから、入れ違いに入店。
まつざきさんが挨拶をすると、さすがは日本一の演歌店だけあります。ご店主が「ああ、まつざきさんね。”6月のジルバ”は何枚か売れましたよ」と言いながら、ササッとバックヤードから試聴CDを取り出して、早速店内に流してくれました。これは嬉しいことでした。
このお店は以前にも個人的に行ったことがあるのですが、演歌に限らず昭和時代の復刻音源が充実しているんです。
先ほどのリンク先のサイトをチラっと見てもエノケンが顔を動かしているし、その下にあるCDの画像を見ても、物凄い濃いラインナップです。
エノケン、あきれたぼういず、「再発見・ニッポンの音/芸シリーズ」、コント55号、三平と志ん朝の落語CD....と見ただけでクラっとしてきます。
お店で挨拶をした後、そんな僕の目に入ってきたのが「服部良一 僕の音楽人生」でした。戦前から戦後期にかけてスイングジャズやブギウギと流行歌を融合させたスタイルで画期的なサウンドを生み出してきた服部良一の業績をコンパイルした3枚組。僕が現在欲しいと思っている数百タイトルのCDのうちの1タイトルが「ねえ、私を買って」と言わんばかりにキラキラ背文字を輝かせているではありませんか。しかも今日の僕は演歌(まあこの場合戦前流行歌ですが)モードですから、こういうタイトルには無茶苦茶財布がゆるくなっている.....思わず購入。帰宅後聞いてみたら、笠置シヅ子の「東京ブギウギ」は数年後にリメイクしたバージョンではなく、昭和21年当時の貴重なオリジナル・バージョンが収録されていて感激した、というのは余談です。
さて、お次はまつざきさんが「浅草エリアを中心とした有線放送の会社があるんですが、そこも挨拶に行ってみたいんです。ムネさんご存知ないですか?」とのこと。僕もそれは初耳だったので宮田レコードさんに場所を確認すると、親切に教えてくださったので、早速おじゃますることに。
道すがら、露店のように小さな服屋さんとアクセサリーショップがたくさん並んでいたのですが、実は演歌歌手の御用達のお店なんだそうです。

「僕も昔ここで衣装を買ったことがありますよ」とまつざきさん。
なるほど、演歌系の方が着る銀ラメ入りとか真っ青や真っ赤なスーツなど、「しまむら」でも売ってなさそうなあの特殊な衣装は、実はこういうところで売っていたんですね~。
ビルの長い階段を登ってゆくと、そこに「浅草有線」さんのオフィスがありました。応対してくださった今井さんという方にご挨拶。そうしたら早速まつざきさんの歌を沢山流してくださいました。そう、すでにまつざきさんのCDがストックされていたのです。実はここには演歌から歌謡曲に到るまで膨大な量のアナログ盤、CDがストックされていて、それは上記サイトで見ることが可能です。
そしてこの今井さんという方が凄いっ!1970年頃から音楽を発信し、リクエストを受けてきた大ベテランです。もう音楽の生き字引みたいな方で、僕もまつざきさんも30分以上にわたって貴重な話を沢山伺うことができました。有名な歌手の来訪も多く、また浅草有線さんから全国ヒットにつながった曲も多く、そんな中では今井さんたちスタッフの製作サイドへのフィードバックが功を奏しているんだな、ということを深く感じました。一番貴重な一言に思ったのは「もうド演歌の時代ではなく、ムード歌謡(筆者注:いわゆる昭和40年代の「ムード歌謡」の意味ではなく、従来のヨナ抜き音階のメロディーにはさほど固執せず、洋楽的なリズムパターンやサウンドを重視した音楽)の時代だから、あなたの歌はいいところにいるわよ」という一言でした。

さて、お次は車で大移動。東十条の「ミュージック・ショップ・ダン」さんへ向かいます。
ダンさんもこの業界では有名なお店で、ヨーロー堂さんと同様に演歌の店頭キャンペーンを積極的に行っているお店です。
お店に到着してびっくり、ちょうど川崎修二さんのキャンペーンが終了した直後でした。本日3度目のニアミス。
「いやぁ~やはりここも東京演歌の王道なんですね」と二人で笑いあいました。同じように時差をおいて入店。
ダンさんのご店主は「演歌歌手を育てる人」とまで言われている方で、この方にアドバイスを受けるため、大物演歌歌手が訪れることも多いのだと言います。
そのご店主、まつざきさんが「6月のジルバ」を手渡すと、お忙しい中だというのに、すぐに店内で流して下さいました。そして「おっ、いい曲だね」。そして「ジルバ」のチラシを見ながら今後の販促活動に関する的確なアドバイスをして下さいました。
帰途、僕もまつざきさんもある種の感銘を受けながら色々な話をしました。
製作者や表現者側からの一方通行でCDをリリースするだけじゃなく、実際に購買層と接点を持っている方々.....今井さんでありダンのご店主であり....そうした方々の意見が貴重であることを、お互い強く「再発見」することができただけでも大きな収穫でした。それとCDショップのスタッフがどんな風にアーチストを考え、どんな風に応援しているか、という話も僕の経験からお話しました。お互いに音楽に対して考えていることが似ていて、大変共感を感じました。
普段、さまざまな形で....さまざまな表現者のサポートをしているわけですが、営業同行というのは珍しい形でして、実に楽しい一日でした。
まつざきさんはこれだけの実力がありながら、とても気さくで謙虚な方です。それでいながら信念を持って行動されている方です。ですから沢山の意見を容れながら、その中から最善と思われる方法で真っ直ぐ進んで行く人だと思います。これからも応援してゆきたいと思います。
翌日出社したら、注文していたTHE BAWDIESのCDが届いていました。ですから今はVan MorrisonとJoe Cockerばりのカッコいいボーカルと、ブリティッシュ・ビートとアトランティック・ソウルな音にスイッチが入っているところです。さ来週にはビジュアル系バンド「某」のライブが待っているし、何だか凄い2月です。
留守電
- 2010-01-06 (水)
- 教室事件簿
職場で年末年始にたまっていた留守電を聞いていたら、
非通知でこんなメッセージが入っていました。
「スーパー○○の西牟田店で”○○ポテトチップス”を買ったものです。家で食べてみたら味がおかしかったです。賞味期限は切れていませんが、調べて下さい」。
食品メーカーに勤務していたことはありますが、
食品メーカーをやっている覚えはありません。
調べてみたらあっさり判明した事実。
某食品メーカーのお客様相談室のフリーダイヤルと、
僕の職場のフリーダイヤルは番号が似ているのでした。
つまりこの人は西牟田(福岡県)からフリーダイヤルで横浜のボーカル教室へポテトチップスのクレームを入れてきたというわけです。
しかも非通知だから全く連絡のしようがありません。
まあそんな風にしてお笑いな2010年が始まったわけです。
さよならそしてこんにちは
- 2009-12-24 (木)
- 教室事件簿
2003年9月に僕がその「本部」へ行ったのは、スーパーバイザーの募集に応募するためでした。
「スーパーバイザー」というのは各拠点を廻って経営に対するアドバイスや本部に対する要望を集約するという仕事です。当時の僕は3月以来失業中で、京都太秦にある映画音声の録音スタジオの知人からアナログ盤のデジタル化の仕事を下請けして、何とか食いつないでいる状態でした。いや家族3人の家長としての責をまっとうできる状況ではありませんでした。
ところがその「本部」の事業を調べたり、話を伺っているうちに「あっ、これは私が自分でやった方が面白いかもしれないぞ」と思ったのです。そして面接から帰ってくるなり、即座にそしらぬ顔をして「オーナー説明会」にエントリーしました。そして説明会に行くまさにその日、本部から届いた手紙に返却履歴書と不採用通知が入っていたのが今でも印象に残っています。
「落としたハズのヤツ」が涼しい顔をしてオーナー説明会に来たわけですから、本部の方も大笑いでした。
まあ無茶苦茶です。
12月24日に本部と加盟契約を締結し、その席上で本部の方に言ったのが「私は月給制でインストラクターを採用しようと思っています」ということでした。当時まだ展開している教室は10校程度で、月給での常勤雇用を打ち出したオーナーは一人もいませんでした。逆に言えば「こちらは本気ですから、いい加減な人を紹介しないで下さい」というプレッシャーを本部に与えたことになります。もっとも、こちらも月給制にしてペイできるかどうかなんて、全く考えていませんでした。
「何とかなるだろう、多分」。本当にそれだけでした。
そして僕は本部の紹介で「イチオシ」のharuさんと出会ったのです。その面接は2004年の1月ごろだったと記憶しています。彼女は自らお金を払って本部の研修生になった子で、もちろんボイストレーナーとして食べてゆこうと考えていました。面接の彼女の印象は、とても華奢な感じで言葉数も少なく、僕は面接中に「大丈夫かな?この人」と思いました。そこで彼女にこう言いました「私に従業員を選ぶ権利があるように、貴方にも経営者を選ぶ権利がある。貴方はこの私についてゆきますか?」。
すると彼女は「ハイ頑張ります」と言いました。そこで僕は「別に頑張らなくていいです。山で頑張ったら死んでしまいますから。貴方のベストを尽くして下さい」と言いました。考えてみればこんなトンチンカンな会話はないですね。
後年になって「あの時は本当にやる気があんのか?と思ったよ」と僕が言うと、haruさん曰く「あの時は無茶苦茶緊張していた」んだそうです。まあそんな風にして30代後半の僕と20代前半の彼女とが一緒に仕事をすることになったわけです。
2004年2月にパルポート上大岡に物件を見つけ、スタジオ工事の手配も完了し、開業日も3月18日と決定しました。改めて顔合わせということで、僕とカミさんとharuさんの3人で教室近く越戸橋のロイホで食事をしました。その際に彼女が言ったのは「父が癌で入院していて、もしかしたら開業の時期に危ないかもしれません」ということでした。
そして開校直前の3月13日、haruさんから電話がかかってきて「父が亡くなった」と告げられました。
その時「出勤日を数日ずらそうか?対応できる方に関しては僕が体験レッスンをやるから」と言うと、彼女はしっかりした声でこう言いました。
「いいえ、私やります。その方が気分を変えられますから」。
このとき、この子は芯のある子だなと思ったのです。
彼女にとって、自分の父の亡くなった直後に一緒に仕事をスタートさせた僕という人間は、「父の代わり」とまでゆかないものの、何かその代償となるような存在だったように思います。それをなんとなく感じていたから、僕は彼女を信じて用いてきました。だから数字のことは一切言ったことがありません。これは他のスタッフにも同様です。退会者が続出して彼女がふさぎ込んでいた時には「その程度じゃあここは潰れないから安心しなさい」と励ましまたこともあります。
ちょっと余談になりますが、スタッフに数字の事でとやかく言わないという姿勢は、経営者としては失格かもしれません。
でも考えてもみれば、本来受動的に動く人間よりは、能動的に動く人間の方が成果は出るに決まっているんです。そこを考慮せずに、ただただ数値によって受動的に動かそうとするのは、その人その人の本来あるモチベーションを削いでいる結果になりかねません。逆に言えば受動的な人には数字を見せた方がいいということになります。それと数字で人を動かさないというのは、こと「音楽」というソフトウェアを扱う教室としてはアリだと思うのです。もし私が営業時代の感覚で、目標グラフなんか並べて徹底した数値管理、達成度の評価などをハナからガンガン打ち出していたら....少なくとも最初の数年間に....おそらくもっと異質なモノができあがぅていたと思います。「音楽」というのは流動的なエーテルみたいなもので、だからこそ一般的な経営のやり方では扱いが難しいのだと思います。そのヘンの押し引きが一番難しいです。
さて、話を2004年に戻しましょう。
この年のうちに、スタジオが1棟増え、生徒さんが増えという感じで教室はじょじょに大きくなってゆきました。
なぜか個性的な生徒さんが多いのがこの教室の特徴でして、その根本的な理由がいまひとつよくわからないのですが、明らかに「これは面白いぞ」と思ったのが、記念すべき第一回目の合同発表会でした。
他の教室の方々が割とおとなしいのに対し、ここの方々ときたら、やりたい放題でした。
チャイナドレスで観客を挑発するわ(ゆっちぃ)、ミカンのダミーを客席に投げ、観客にマイクを差し出して一緒に歌おうとするわ(雄頭→59喉→フカキシアン)、いきなりダンディな熱唱をしてくれるわ(マサトシさん)、黒でそろえたドレスで可愛らしく歌うわ(さぉ=まだ高校生だった、ハマー=現在ホーリーアローズボーカルスクール代表Shinyaオーナーの奥さん=来年1月17日に第一子誕生予定)、大人の女性の熱唱を見せてくれるちゃっきぃさん(今ではゴスペルシンガーや司会の仕事でがんばっています)とガチガチのかずみちゃん(職場が近いこともあって、今ではカミさんの飲み友達です)...まあとにかく、よくもまあと呆れるぐらい皆さんのキャラが立っていた。そして感心したのは他校のステージを一生懸命応援する姿勢でした。いや応援しようというか一緒に盛り上がっていたわけですが、手拍子をしたり手を振ったりして、明らかに中央後列右側の席に座る「この方々」だけが盛り上がっていたのです。当時の発表会に出演された方(マサトシさん、ゆっちぃ、さぉ)が今でも教室に通ってくれているのはとても嬉しいことですし、あの時の空気がいまでもしっかり続いていることが、僕はなによりの宝物だと思っています。
そうそう、あの時、かろうじて発表会の収支が5千円ぐらい出たのですが、帰りに銀座のナイルレストランでカレーを食べた際、その5千円をみんなに出してしまいました。そのぐらい楽しい気分だったのです。
結局この1年目で形作られた精神みたいなものが、この教室をこの教室たらしめている、形作っている、そのように思います。
今回はなぜかharuさんの話ばかりになってしまい。これを読んでいる生徒さんによっては、もっとhitomiさんやNoriちゃんや、Nagisaちゃんの話も聞きたいと思うでしょうけど、それはまたいつかお話できる時が来るでしょう。
まあ、とにかくスプリングフィールドharuさん、サンシャインhitomiさん、ケンドー2ダンNoriちゃん、ブロードウェイNagisaちゃん。
この4人のスタッフと、個性的な生徒さんたちと新たな出航ができることを、幸せに思います。
いよいよ本部にさよならを言うことになりました。あの時僕がフラっとスーパーバイザー募集の記事を見ていなかったら、今の自分はいなかったと思いますし(あの時に採用された方は1年ぐらいで退職された)。最初にharuさんを紹介されなかったら、どうなっていたでしょう。そういう意味で新らしい一歩を踏み出すに際して、お礼を言わなければいけません。
ありがとうございました。
明日からミューズポートの歴史が始まります。
Home > 教室事件簿
-
- Evios Information
- How do you like さぉ☆こじ ?
- JUNYAの勝負はこれからだ!
- Like A Rolling Stone
- Lover Soul
- makotoの戯言ばっか。
- Over* ♪さりーのニコニコ39ブログ♪
- Over*ゆかの日記
- sleep life
- The Pepperland
- Voluntary Mother Earth
- こじこじにっき6
- ぼやぼやぴぴんの生活
- まつざき幸介「君すむ街へ」
- ゆりなお工房(ゆっちぃほか5人によるプチ工房)
- ボイストレーニングにハマる横須賀市民
- ヨコハマキタのウタイびと。
- リッケン伝
- 上大岡、関内周辺でお茶してます
- 千草とそよ風
- 喉のことでお悩みなら。(「喉」blog)
- 回天Blog
- 夏目ひみかオフィシャルblog
- 日々精進
- 薄闇の狂詩曲
- *千佐都*