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管理人のたわごと
数字と元号
- 2012-01-29 (日)
- 管理人のたわごと
中学校2年生の時の話。数学の先生が授業の最中にこう言った。
「数学は、この世で一番美しい学問だ」
理由はこうだ。
「数式には必ず回答がひとつしかない。1たす1は必ず2になるし、1かける1は必ず1になる。
答が常にひとつしかない学問は数学しかない。だから一番美しい」
子供心に「そうかぁ?」と思った。
僕にとっては近畿地方にあったか九州地方にあったかわからない邪馬台国論争の方がよっぽど魅力的だったし、中二病的な発想で「答えがないから人生は美しい」ぐらいのことは思っていた。
数学なんて無機質で退屈な学問で、そこに美しさなど感じる感覚なんて、まるでなかった....
...というような書きだしの場合「やがて数学の本当の魅力を感じるようになり、今では数学の博士号を持っています」的な展開になるわけだけど、このBlogの場合は断じてそれはない。
いまだに僕には数字に対する感覚が全くない。よくこれで経営者なんてやってゆけるなと思う。思うけど、何とかなってしまっているところが恐ろしい。
数字を見ると頭が痛くなる。いまだに覚えた数字はたいがい忘れてしまう。
自分の会社の住所番地を忘れる。郵便番号や電話に至っては自宅と会社のものがゴチャゴチャだ。
会社と自宅の電話番号を間違えて相手に伝えたことは1回だけではない。いつ仕事の電話が自宅にかかってくるかと思うと、ヒヤヒヤする。
それどころか、自分の会社の前期の売上高と経常利益の数字がパッと出てこない。
自分の車のナンバーはいまだに覚えられない。
「数字」ですらこんな状態の人間にとって、「数学」など異界の魔王に他ならない。
そんな僕にとって一番厄介なのが、「西暦」と「平成」の計算。
平成時代というのは昭和と違って「5」の数字が意味をなしていない。
昭和の場合は西暦の下2ケタから25を引けば年号の計算ができたのだけど(例1965年=昭和40年)、平成になってそれがわけのわからないことになってしまった。
5で区切られる数字の変換は数学的ではなく感覚的に行うことができる。
昭和天皇があと2年長生きしてくれればと、それが悔やまれてならない。
なぜなら1991年が平成元年になったからだ。
たとえば教室の発足は2004年なのだけど、これを平成で尋ねられると全くわからない(答は平成16年らしい)。
娘の生まれた年が1996年と1999年だというのはわかっているけど、いまだに平成で尋ねられると咄嗟に答えられない(答は平成8年と11年らしい)。
しかも平成というのは、途中で2000年代に突入したものだから、ますます僕の頭は混乱してしまっている。
よく人に呆れてこう言われる「西暦の下2ケタに12を足せばいいんだよ」。
ところがその簡単な12という数字が覚えられない。
西暦の年に足すのが正しかったか、引くのが正しかったかわからなくなり。
「これって平成の年から西暦の年を算出する計算だったっけ?」状態となり、
結局「面倒だ」という理由で西暦で日付を書くようになって、もはや24年となった。
ちなみに今年が「平成24年」なことに、いま気づいた。
もう嫌いだ元号なんて....
P.S.会計事務所様、いつもご迷惑おかけしてすみません< (_ _)>
繋がらないものだと…
- 2012-01-28 (土)
- 管理人のたわごと
僕は中小企業の「社長」というものに対して明確な定義を持っている。
「何でも屋」だ。
決してスペシャリストである必要はない。何でもかんでもひととおりこなせればいいと思っている。逆にひととおりこなせないと、困ったことになってしまう。
mixiの自己紹介では自虐的な意味を込めて、こんな風に書いている。
「経営します、撮影します、DVD製作します、機材の修理します、WEBサイトの管理人します、履歴書の添削します、音楽イベント企画します実施します、レコーディングします、ピアノなら弾けます、トイレの掃除たまにします、エサあげると尻尾ふります、音楽語ります好きです、経理苦手です、それでも何とかなってます、Blog書きます、ライブ行きます、レポも書きます、Youtube職人です、下山事件好きです、生きているうちに使って下さいご自由に...死んだらハイそれまでよさようなら」
これだけではない。給与計算もすれば恋愛相談も受ける。就職の相談も受ければ離婚の慰謝料の算出もする。車の運転もすれば内容証明も書く。音楽の相談を受ければサーバーの移転もする。PCの自作もすれば松田優作も歌う。
逆にいえば、僕には「特技」と言えるものが何ひとつない。部活の水泳は中途半端、柔道やれば半月板損傷、弓道やれば道場を仕切るエラそうなオバ様が面倒で逃亡....昔から「特技」という項目のない履歴書を買うようにしてきたぐらいだ。なんでもかんでも中途半端で、時折それで自己嫌悪に陥る。
「せめてなりたや凄腕の鍵盤屋(Keyboad Player)」というのが嘘偽りのない本音だったりする。
いっぽう、苦手なものはいくらでもある。
とりわけ苦手なのが、PC同士を無線LANで繋ぐことだ。
そういうことにしないと話がすすまない。

さて、今まで会社用に使っていた自作のXPマシン「神楽坂はん子」がジャンクマシンとして売却できた。
そのお金にプラスオンして3台目のPC(ノート)を購入した。
ついにすべてのマシンがWin7の64bit機という環境ができあがった。
インストラクターレベルでPC持たせているボーカル教室なんて、全国でも稀だろう。
当然次にやらなければいけないのは、現在のメインPC「市丸姐さん」とスタッフ用のマシン「中村メイコ」「楠トシエ」を無線LANでネットワーク化することだ。
実はこの会社を立ち上げる前...2003年のことだったが、専門学校でネットワーク構築の勉強をしたことがある。
通ったのは希望ヶ丘にある「横浜電算学院(現横浜システム工学院)」。今では仕分けによって廃止されてしまったが「雇用・能力開発機構」の支援で無料で受講できたのだ。期間は2か月だった。
この時に知り合った仲間は年齢もまちまちだった。だけど後に「ネットワーク資格の難関」と言われるシスコ技術者認定を取得した人もいるから、人によっては人生の転換点となる講義だったのだろう。そんな仲間たちと車庫の横にある休憩室でカップヌードルを食べていたのを思い出す。
結局、全く関係のない「ボーカル教室」を立ち上げたため、ネットワークに関する知識は全く役に立たなかった(笑)
ただ、講義の一環として行ったホームページ作成講座で「CSS」という概念を教わったことだけは役に立っている。
当時教わったCSSの知識で作ったのが「下山事件資料館」だった。
人生なんてそんなものだ。
だから「たかが」教室の3台のPCをネットワーク化することに四苦八苦している。
きっと芸能界でもベテランの「市丸姐さん」は「中村メイコ」と「楠トシエ」を格下だと思っているに違いない。
こっちを繋ぐとあっちが切れる。
見れるようで見れない、見れたかと思えばまた切れる。「アクセス権限」って何だ?、いちいちパスワードを要求してくんな。
デフォルト・ゲートウェイってなんだっけ?、DHCPってなんだっけ?化粧品だっけ?
ついでに電話の子機までもが電波干渉をして切れる。
当時、電算学院の講師に言われたことを思い出した。
「ネットワークなんて繋がらないものだと思って下さい。ついでに言っておきますがメールは届かないものだと思って下さい」
もう嫌いだWindows7なんて....
阪神淡路大震災から17年
- 2012-01-17 (火)
- 管理人のたわごと
(4年前に書いた記事に大幅に加筆と画像を付けて再度UPします)
1995年の1月、僕は右膝のじん帯の手術を受けるため。京都の北大路にある警察病院に入院した。
高校生の時に柔道で半月板を損傷してから11年、医療の進歩によって内視鏡手術が可能となり、ここの病院ならば手術が受けられたのだ。
退屈しのぎにTVをレンタルしてもよかったのだけど、なぜかそれがもったいなく思えた。
どっさり本を持っての入院だった。

(1995年1月17日 管理人所蔵の京都新聞夕刊)
手術が行われたのは1月14日のこと。麻酔から目が覚めると、ギブスで足は固定されていたし、点滴も続いていた。

(京都新聞 拡大)
1月17日早朝、軽い揺れを感じた段階で、僕は目を覚ました。
「おっ、地震だ」と思った瞬間に、揺れは強烈なものになった。
まるで船に乗っているかのようだった。寝ているベッドもぐわんぐわんと揺れ出した。
目の前に見えるのは病室の天井だし、ベットを仕切るカーテンのレールはガシャガシャ音をたてて揺れている。
点滴の袋は天井から下がった棒に吊るされていたのだけど、それだけがゆっくりゆっくり左右に揺れている。
レールの揺れの激しさと、スローモーションのように揺れる点滴袋との対比が何だか奇妙だった。

(1995年1月17日 京都新聞夕刊 事件面)
僕の口からは「お~、お~、お~」としか言葉が出てこない。
この状態でこれ以上揺れがひどくなったら、天井が落下してきて、身動きできないまま死ぬのかな?
そんなことを考えているうちに、地震は収まった。
「強い地震でしたね」と隣のベッドの人と会話したけど、とにかく眠かった。
再びうつらうつらしかけた頃、隣の人に声をかけられた。
「もしもし、阪神高速が倒れてますよ」
その人のベッドに設置されたTVを見て仰天した。
阪神高速道路が倒れている。町からは火の手があがっている。
ヘリコプターから生中継された阪神淡路大震災の最初の映像だった。
夕方になって仕事を終えた彼女が見舞いに来た。
彼女の実家の被害はテレビ台のガラスが割れた程度、朝は阪急京都線が不通だったため、自転車で出勤したのだという。神戸支店は建物が崩壊寸前、神戸支店に勤務するN君のアパートは全焼したけどN君は無事、係長の夙川のオンボロ社宅は無事だったけど周囲の一戸建て住宅がかなり倒壊したらしい、亀岡で今晩大きな余震が来るという噂が流れている、ようやく運転を再開した阪急京都線西院駅の大阪方面ゆきホームはリュックを背負った人でいっぱい、救援物資を運んでいるようだ、伊丹市ではただの魚肉ソーセージを一本千円で売っているとんでもない店がある、TVはコマーシャルを自粛したため公共広告機構のCMばかり流れている、そんな話を持ってきた。

(同京都新聞。太秦広隆寺の扉が倒れたことを記事にしている)
僕は「うんうん」と聞くしかなかった。
何しろ入院生活だ。時間だけはたっぷりあった。
こんな状態じゃなければ、救援のお手伝いができそうなもんだ。29歳の若いモンが、こんな場所で体をいたずらにもて余している。
それが歯がゆくて悔しかった。
震災前、最後に神戸を訪れたのは、地震の1年ほど前だった。
三宮で知人の結婚式の二次会があったからだ。その際、会場への道を迷ってしまい、いかにもという作りのタバコ屋で、いかにもという雰囲気のおばあちゃんに道を尋ねた。その人はとても親切に教えてくれた。
その後のニュースでその付近が滅茶苦茶に潰されてしまっているのを見た。
未だにあのおばあちゃんが忘れられない。

(1月18日 京都新聞朝刊)
この年の11月3日に、僕と彼女は結婚した。
その際の招待状にはこう書いた。
「震災だ、サリンだと大変な一年ですが何のそのです。私たちは結婚します」
あれから17年もたったのか.....
P.S.この日生まれた子が知り合いにいるのを思い出しました。
17歳の彼女を見ていると、時間の速さも長さも感じます。
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