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音楽のツボ

罪を憎んでその音楽を....(フィル・スペクターと小室哲哉)

「憎まず」....ということができるだろうか?
少なくとも僕はそれをやっていることに気付いた。
と、いうのも「彼」のことを思い出したからだ。
といっても先日逮捕された「」のことではない。

60年代のアメリカのポップミュージック史を語る上で、絶対欠かせないプロデューサーにPhil Spector(フィル・スペクター)という男がいる。

「プロデューサー」といえば裏方的存在だった60年代のミュージック・シーンにおいて、今なお、多くのリスナーに語り継がれているのはジョージ・マーティン(ビートルズのプロデューサー)と、この人ぐらいだろう(他にもアンドリュー・オールダム、バート・バカラック、リー・ヘイゼルウッド、ブライアン・ウィルソン.....とか語るとキリがないのですが)。

たとえば、この曲。誰もが聞いたことがあるはずだ。
The Ronettes “Be My Baby”(1963)

日本では当時、伊東ゆかりなんかがカバーしていた。キャッチーなイントロのドラムスからはじまる音楽の良さもさることながら、「ウォール・オブ・サウンド(音の壁)」と呼ばれたその音響技術がフィルの特徴だった。分厚い音の壁につつまれている感覚、空から音が降り注いでくるような感覚、そんなゴージャスなサウンドが「ウォール・オブ・サウンド」と呼ばれるゆえんだった。ザ・ビーチ・ボーイズのブライアン・ウィルソンはこの曲にインスパイアされて”Don’t Worry Baby”を書いている。

完璧主義者のフィルはこういった音を作り出すために、独裁者のようにスタジオで振る舞った。時にはピストルでスタッフやアーチストを威嚇したこともあるらしい。それが交際している女性にまで及んだことを、ザ・ロネッツのメンバーでフィルとの結婚歴もあるヴェロニカ・ベネットこと、ロニースペクター(上の画像一番右)は自らの自伝で暴露している。

お次はThe Crystals “Da Doo Ron Ron”(1963)

当時は「ハイ・ロン・ロン」なんて邦題がついていた。この三連符にビートルズの「All My Loving」におけるジョンのリズム・ギターが影響を受けたことは、想像に難くない。また、大瀧詠一ははっぴいえんど時代にこの曲にインスパイアされて「はいからはくち」を書いている。

ビートルズとフィル・スペクターといえば有名なのがアルバム「レット・イット・ビー(1970)」だ。オクラ入りしていたビートルズのレコーディング・テープに、フィルがゴージャスなオーケストレイションやコーラスをオーバーダビングさせて「再生」させたアルバムだ。

この仕事をジョンとジョージが気に入って、解散後にそれぞれプロデュース・ワークを依頼した。そのいっぽうでポールがそのアレンジ・ワークに不快感を示して訴訟騒ぎにまでなったのは有名な話だ。ジョンのアルバム「イマジン」で聞ける豪華なオーケストレーションはまさしくフィルのものだし、ジョージの最高傑作である「オール・シングス・マスト・パス」を貫いている独特の分厚い浮揚感は、まさしくフィルの作り出したサウンドだった。

ただしジョンの「ロックン・ロール」のレコーディング中にジョンの意見の合わなかったフィルがブチ切れて、スタジオのトイレの天井にピストルをぶっ放したり、マスターテープを持ち逃げしてしまった、という話も聞いたことがある......つまり天才でありながら、傲慢で分裂しているというのがフィルという人間だった。

そんなフィルがプロデュースした最高傑作アルバムがコレ。
“A Christmas Gift For You (1963)”

フィルの息のかかったグループ総出演のクリスマス・アルバムで、フィルの音楽がどういうものであったかを知るのに最高の一枚だ。

The Ronettes”Frosty The Snowman”

The Crystals “Rudolph the Red Nosed Reindeer”

Darlene Love “Winter Wonderland”

僕はクリスマスの季節になると、このCDを職場で流している。「ただカバーしただけ」という凡百のクリスマス・アルバムが多い中で、このアルバムだけは絶妙なアレンジワークとともに、不思議な輝きを今も残している。

そして、日本でフィルの音楽に魅了されたのが、先ほども紹介した大瀧詠一であり、山下達郎だった。
大瀧詠一「君は天然色(1981)」

大瀧詠一の「君は天然色」を「Da Doo Ron Ron」と聞き比べればその影響は一目瞭然だ。

今年の3月に「音壁 Japan」という面白いコンピレーションがリリースされた。
1.夢で逢えたら / シリア・ポール
2.一千一秒物語 / 松田 聖子
3.SOMEDAY / 佐野 元春
4.つのる想い / 須藤 薫
5.世界中の誰よりきっと / 中山 美穂 & WANDS
6.二人は片想い / ポニー・テール
7.夏休みの宿題 / 杉 真理
8.酸っぱい経験 / 多岐川 裕美
9.恋のハーフムーン / 太田 裕美
10.雨は手のひらにいっぱい / シュガー・ベイブ
11.涙のメモリー / 原 めぐみ
12.YOU MAY DREAM / シーナ&ロケッツ
13.Ring Ring Ring / YUI(浅香 唯)
14.うれしい予感 / 渡辺 満里奈
15.ドゥー・ユー・リメンバー・ミー / 岡崎 友紀
16.青空のように / 大滝 詠一
17.わすれたいのに / モコ・ビーバー・オリーブ

要するにフィルのサウンドに影響された挙句「音の壁」になってしまった曲ばかりを集めたコンピレーションなんだけど、このズラリと並んだ曲の数々を見ていると、フィルが与えた影響の程度がよくわかると思う。

2003年2月、思いもかけずフィルの名前を日本の新聞紙で見ることになった。
「名プロデューサー、射殺容疑で逮捕」とか、そんな感じの見出しだったと思う。
ロスにあるフィルの自宅で、B級映画女優のラナ・クラークソンの射殺死体が見つかったからだ。

ラナはフィルとその前夜に出会い、フィルの自宅に連れてゆかれた。その際に何か諍いがあったのかもしれない(なかったのかもしれない)。ラナは頭部を打ちぬかれた死体となって発見され、駆けつけた警察官に抵抗を示したフィルはスタンガンで制圧逮捕されたのだった。

この裁判だが、フィル側の弁護士がラナの自殺を主張しており、長期化している。裁判の経緯に関しては、「酔吟阿蛮」さんの「フィルスペクターの殺人事件」に詳しい。

さて、このあたりでもう一人の「彼」、小室哲哉のことも書いておこう。
2年ほど前に「秋の大収穫祭」という記事で、僕はこう書いている。
「小室サウンドというのは基本的に好きじゃなかったが、数少ないフェイバリット・ソングのひとつに、hitomiの”Go To The Top”があった」。

まあそれは好き嫌いの話であって、彼の音楽が一世を風靡したのは紛れもない事実だ。”T.K Rave Factoy”から生産された膨大なミリオン・セラーの数々、これが現在の20代後半から30代前半の世代にとって、どれだけ「青春の音楽」としてのウェイトを占めていたかは、実際にレコードショップに勤めていた者として容易に想像できる。そして、僕自身いくら月給暮らしだったとしても、間接的にはお世話になったことには変わりない。

この人たちにとって、これらの曲が今後マスメディアやレコード会社によって封印されてしまうことがあるとすれば、それは大変辛いことだと想う。現在進行形で彼の曲を封印しようとしても、彼の音楽が好きだったリスナーの心の中に残り続ける「KOMURO SOUNDへの想い」だけは封印できないからだ。

いずれまた彼の残した音楽が復権する時代が来るだろう。それが5年後か10年後かはわからないけど、それまでの間は自分が持っている「音楽への想い」というものを大切に暖めておくのがいいだろう。

なぜなら、罪を憎んでも、その音楽までは憎めないからだ。

ふたりのウィンストン

(今から8年ほど前、1965年のミュージックシーンだけをデイリー・クロニクル形式でとりあげた「1965」というサイトを趣味で作ったことがあります。ポピュラー・ミュージックの歴史の中でも、とりわけ「濃い」1年だったこの年を、ぶった切ってみようと思ったのです........まあ、結局、尻切れトンボに終わり、ぶった切れたのは「尻」だけだったわけですが......この中で「1月24日の出来事」として、一見音楽に関係なさそうな「サー・ウィンストン・チャーチル死去」という記事を書きました。先ほどマイミクのWTB taiさんの日記で10月9日がジョン・レノンの誕生日だったことを思い出し。この記事のことを思い出しました。歴史が好きな人以外は退屈な文章ですが、まあ、いってみます)

この日(1月24日)の朝8時、ロンドンのハイドパーク・ゲートの自宅で、政治家で著述家でもあったサー・ウィンストン・チャーチルが亡くなった。死因は脳卒中、享年90歳だった。
サー・ウィンストン・チャーチル
1874年生まれ、子供の頃は手のつけられない悪戯好きで、最低の成績で陸軍士官学校に入学するが、その後文筆の才能をめきめきと発揮する。彼の戦地からのレポートは大勢の愛読者を作り上げたそうだ。彼の名を高めたのは1899年に新聞特派員としてボーア戦争に従軍したときのこと。この時捕虜となった彼はスリリングな脱出劇を演じてみせ、この体験記は後世まで語り草となった。僕も小学生の頃、この話を読んで胸をときめかせたものだ。

その後、政界に乗り出した彼は、1900年下院議員に当選、1910年には内務大臣に就任する。
シドニー街の銃撃戦」が起きたのはこの頃のこと。ロシア人のアナーキストがシドニー街のある家へ強盗に入ったところを包囲された。彼らは警察に発砲し、爆弾を投げつけて3人もの警察官を殉職させてしまう。手をこまねいた警察ではついに軍隊の出動を要請し、チャーチルが陣頭指揮をとった。この事件の最終幕は家ごと炎上させてアナーキストを全滅させるという最悪のシナリオで終わった。
軍隊の手を借りざるを得なかったこと、これはチャーチルにとっては「触れられたくない傷」だったようだ。後年、この事件をモチーフにヒッチコックが「暗殺者の家(1934)」を撮影した際、チャーチルは何かと撮影に対して横槍を入れたらしい。

さて、第一次世界大戦勃発時には海軍大臣に就任したチャーチルは、戦車の開発も推進したが、トルコ攻撃を主張して悪名他いガリポリ上陸の戦いに失敗し、その責任をとらされて辞任している。一時は軍隊に戻って前線で指揮をとったチャーチルだったが、大戦末期にはロイド・ジョージ内閣での軍需大臣、やがて大蔵大臣などを歴任している。

1940年5月10日、時のイギリス首相チェンバレンは紙切れ1枚の約束をヒトラーに反故にされてしまう。ドイツは西ヨーロッパへと侵攻、チェンバレンは退陣する。
それを受けて、チャーチルは首相に就任した。以後第二次世界大戦時の指導者のひとりとして、勝利のVサインを掲げて国民を励ましながら戦い抜いた。

彼のクライマックスはやはり1940年の”バトル・オブ・ブリテン”だろう。ヨーロッパで大負けして撤退し、孤立無援の状態にあったイギリスに対してドイツが仕組んだ作戦は空軍を先鋒とした上陸作戦(アシカ作戦)だった。これに対しチャーチルは、イギリス空軍による水際撃退作戦で抵抗し続けたため、結局ドイツ空軍は大打撃を被り、ヒトラーにビッグベンを拝ませることを断念させたのだ。

これは余談だけど、この際に孤軍奮闘するイギリス空軍のパイロットたちを音楽で元気づけたバンドがあった。
イギリス空軍(ROYAL AIR FORCE、略してR.A.F.)では、兵士を慰安し士気高揚を図るためには音楽が大切だと考え、民間人ミュージシャンの採用行ったのだけど、そうして「ザ・スクァッドロネアーズ(The Squadronaires)」というビッグ・バンドが結成された。
ここにクリフ・タウンゼント(Cliff Townshend)というサックス奏者がいた。また正式にはメンバー登録されていないが、ベティ・デニス(Betty Dennis)という女性シンガーがいた。この二人はやがて結婚し、ドイツが降伏したまさに勝利の歓喜の中(1945年5月19日)、子供を授かった。The Whoのピート・タウンゼント(Pete Townshend)その人だ。

さて、チャーチルの話。
ヨーロッパ戦線が終結した直後の7月、労働党アトリーとの選挙に敗れ退陣する。彼にとっては衝撃的な出来事だったが、国民は冷静だった。彼らにとってチャーチルとはあくまでも非常時に必要な政治家だったのだ。

翌年アメリカの地方大学で演説した「鉄のカーテン」発言が、東西の対立を公然なものにしてしまったのは有名な話。そして、1951年~1955年に再度首相を務め、80歳になった機会に半世紀以上にわたった政治家活動から引退する。そうした中で著述家として1953年にノーベル文学賞を受賞している。

彼の業績というものは現在でも評価と非難が相半ば、という感じだが、歴史好きな人間にとっては実に興味深い人物だろう。鉄の意志とうらはらにチャーチルが重度の鬱病だったのは有名な話だ。冷酷さと暖かい人間性、失敗と成功の両方を兼ね備えながら激動の時代をくぐり抜けてきた90年の人生は、ヘタな小説よりはるかに面白い。

さて、話を第二次世界大戦中に戻そう。1940年10月9日、彼は保守党党首の座を承諾する。 1904年以来、彼は自由党と保守党の間を行きつ戻りつしていたため、必ずしも保守党の幹部連からは歓迎されていなかったが、ドイツ軍の向こうを張る男を看板にすることが党としてはどうしても必要だったようだ。

そして同じ日の夕方6時30分「激しい空襲の最中」、リヴァプールのオックスフォード通りの産院で、男の子が生まれた。
母親は彼のミドル・ネームに彼女が敬愛していた政治家の名前をつけた。
ジョン・ウィンストン・レノン。後にチャーチル以上に有名になる人物の誕生だった。

「激しい空襲の最中」、これはしばしばジョンの伝記で書かれていることだけど、伝説や作り話のたぐいと思っていいだろう。
メンバーのインタビューに基づく伝記本「アンソロジー」に、この話が登場していないところをみると、ジョンの周辺から出た話ではないだろうか?もしかしたらジョンの育ての親で冗談好きだったミミおばさんあたりが彼に吹き込んだのかもしれない。

1940年10月9日に本当にリバプールで空襲があったかどうかについては、英国空軍の「The Battle of Britain」というサイトに詳しい。その結果、10月9日はマンチェスターとリバプールを結ぶエリアで敵機が確認されたが、リバプールでの空襲は報告されていないことがわかる。この日の空襲はロンドンがメインで、とりわけ夜間からのものは激しいものであったと記録されている。
目立った被害としては、ロンドンっ子の誇りであるセント・ポール寺院が直撃弾を浴びて、祭壇と聖歌隊の控室が破壊されている。

「私はヒトラーがセント・ポール寺院に大穴を空けた日に生まれたんです。アルバートホールをその穴で一杯にするには、何個穴が必要かも知っていますよ」なんて”A Day In The Life”的なことをジョンがうそぶいたら、きっと面白かったろうに。

いずれにせよ、第二次大戦中にリバプールだけで70回以上の空襲があった上、翌年の5月3日夜半から4日にかけての大空襲では400人以上が死亡、3000軒の住宅が焼けたそうだから、あの4人よくぞ無事に生まれ育ったと思う。

後年、ジョンは、「チャーチルと比べられるのがいやだ」という理由で”ウィンストン”を”オノ”に変更する。

彼は最後までチャーチルという人間を毛嫌いしていたようだ。そして新しいジョン・オノ・レノンという言葉の響きを大変気に入っていたという。

歴代コカコーラCMのDVD (The Coca-Cola TVCF Chronicles)

まさかというか、本当かというか....
コカコーラの歴代(1964-1989)CMを84本集めたDVD「The Coca-Cola TVCF Chronicles」が7月2日、リリースされた。
発売はエイベックス・イオ。数年前には東芝EMIが「もはや無用」とばかりに売りに出していたURCの音源を譲り受け、エイベックスゆずりのセンスで見事にセールスに成功したレーベル。こういう商品を生み出すセンスは流石だ。

昨日から職場で見ているのだけど、上の画像の「コカ・コーラ」のロゴを見ているだけでも懐かしい。
何よりも御大ムッシュかまやつ自身が出演する貴重な映像や、大好きな”赤い鳥“の音楽が流れるCM(本人は出演していない)などは見ているだけでドキドキする。

僕のコカ・コーラに関する一番古い記憶は1972年のこと。小学校1年生だった僕は横浜関内のYMCAの体操教室に通っていた。当時のYMCAは大正か昭和初期という雰囲気の古い建物だったけど、このレトロな建物の1F玄関前にコカ・コーラの自販機があった。もちろんビンの自販機で当時の値段が1本60円だったと記憶している。お金を入れて、横のガラス扉を開き、ロックが解除されたコーラのビンを引っこ抜くタイプ。力ずくで引っこ抜けないかと挑戦したこともあった。
自販機の正面に凹みがあって、そこに栓抜きがとりつけてあり、王冠をそこに引っ掛けて「エイッ」とビンを下にひねると、王冠だけがスポンと抜けて自販機内の「王冠ストッカー」に落ちてゆくという具合だった。教室帰りにここでコーラを飲むのが楽しみで、体操教室に通っていたようなものだった。そして1Fの玄関前ロビーで騒いでいて、隣接するレストランのオヤジによく怒られたものだ。そんな生活は小学校2年の6月に市庁舎前の交差点でタクシーに轢かれるまで続いた。

そして数年後にスーパーカーブームが来ると、スーパーカー王冠というのが登場し、磁石を持ってこの手の自販機周辺をウロウロするガキどもが登場する。このあたりのことは「スーパーカー王冠」で検索してみるといいだろう。

まあそんな「さわやかな」昔話はこの位にしておいて...と。

DVDを見て気付いたことを書いてみる。どうせ1970年代~1980年代の「早見優可愛い」とか「おっ宮沢りえじゃん」とかは、他にも書く方がいると思うので「1960年代」ということで。

【フォー・コインズ(三沢 郷)】(chapter.01-06ほか全16本でボーカル担当)
フォー・コインズはのちにTV主題歌などの作曲家として有名となる三沢 郷率いた男性ボーカル・グループ。1960年代のTVサントラやCMサントラ集には必ずといっていいほど登場している。個人的には栗塚 旭主演の「俺は用心棒(1967年)」の主題歌「おとこ独り」の抑えたコーラスワークが大好きだ。
このDVDは”「製作不可能」とまで言われた”とキャッチコピーにあるが、何よりも大変だったのは出演者や権利関係への許諾だったと言われている(1年以上を要したらしい)。たとえば三沢 郷は昨年の11月に亡くなっているから、ギリギリのタイミングで許諾を得たのじゃないだろうか。

【井上順】(chapter.06 バイキング編)
冒頭でバーベキューをせっせと焼いている。裏方に徹しているうちにコーラを全部飲まれてしまうというコミカルな役が順ちゃんだ。注意すべきなのはこのCMのオンエアが1964年だということ。正式なスパイダースのデビューは1965年の5月だから、ここに登場する順ちゃんは”デビュー前の映像”、ということになる。スパイダースデビュー前のメンバーの活動については、堺正章(映画)、かまやつひろし(音楽)なんかは有名だけど、順ちゃんは知らなかったなぁ~。

【安田章子、祥子】 (chapter.09.10.13ほか全5本でボーカル担当)
少女時代から童謡歌手として有名だった姉妹。この時期(1966年)はCMの仕事をやっていたようだ。
安田章子が由紀さおりに改名し、「サウンド・オブ・サイレンス」ばりの「夜明けのスキャット」の大ヒットで一躍スターダムにのしあがるのは1969年のことだ。

【加山雄三とザ・ランチャーズ(喜多嶋修)】 (chapter.15.20)
chaapter15の方には特にクレジットはないけど、両方とも加山雄三のバックバンドだったザ・ランチャーズが出演している。「それじゃあ喜多嶋舞の親父さんはどの人だ?」と探してみた。今や世界的なミュージシャンでもある喜多嶋修(加山雄三の従兄弟でもある)が当時はメンバーにいたはずである。
チャプター15「音楽」でバックのランチャーズの中央でギターを弾いている人物のような気がしてならないのだが、よくわからなかった。

【The Hollies (ザ・ホリーズ)】 (chapter.22)
「はて、1960年代のイギリスマンチェスター出身のロックバンドなんかこのDVDに出てきたかな?」
という人は22「テレフォンA (1968年)」を見るべし。電話がかかってきた少女が「あっ、ちょっと待っててね」と言って、保留音代わりにかけるレコードがThe Holliesのレコードだ(ただし音楽は流れない)。
これは映像から判断して1967年に東芝音楽工業からリリースされた4曲入りEP盤「Bus Stop/I Can’t Let Go/Stop Stop Stop/Sweet Little Sixteen」に間違いない。当時の規格番号は”OP-4207(オデオン)”。60年代の東芝特有の”赤盤”なのが特徴。静電気がつきにくい素材を使ったレコードのみを赤色に着色してリリースしていたことからこのようなネーミングがつけられた。
このうち彼女が針を落とすのはA面1曲目の”Bus Stop”だ。

「ごめんなさい。ちょっとね、コークが飲みたかったの」とコーラを持って帰ってきた時、映像ではレコードの針が曲の後半にある。彼氏は3分ばかり待たされたことになる。
「ちょっと」どころではない。

【ピンキーとキラーズ】(chapter.26)

ええと、「今陽子」と言った方がわかりやすいのか.....
リアルタイムでの「ピンキラ」は僕がYMCAに通っていた頃に解散してしまったので、うっすらとしか覚えていない。むしろ僕の姉貴がパンタロンをはいてホウキを振り回しながら「ピンキラ」の真似をして、思いっきり僕の後頭部をぶん殴った恨みの方が今でも忘れられない。

この1969年のCMに出てくる自動販売機は、僕が実体験したものよりも最新型に見える。ボタンを押すと下からビンが出てくる構造のようだ。

こうやってDVDを見ていると、まったく同じ味の清涼飲料水にもかかわらず、時代の変遷とともにCM戦略が代わって行くさまが実に面白い。初期のCMは商品名連呼型のスタイルなんだけど(1964年)、「意見が合うのは」シリーズ(1966年)になるとコピーを重視した作りになる。時期を同じくしてポップカルチャーの時代に突入をすると、CMソングはそのままながらも、「若者のライフスタイルに彩りを添えるコーラ」という見せ方をするようになる。同時期に始まった加山雄三のCMシリーズは、若者たちがクルーザーで孤島に行ってパーティーをやったり、セスナ機で空を飛んだり、雪山で豪華なパーティーをやったりと、浮世離れしているのだけど、1960年代後半からはリアルな若者のライフスタイルにぐっと近づいている。1970年代に入るとこりゃもう”Discover Japan“の世界でして、ジーパンを履いた等身大の若者たちの旅先での出会いやふれあいを綴ったものばかりだ。そのあたりの変遷を見てみるのも面白いだろう。

最後にTV画面の下に写っている3つのパッケージだけど、左から順番に、
1:「Coca-Cola Commercials」(1994年リリースの海外CM集CD)
2:「コカ・コーラCMソング集 1962-89」(2005年リリースの国内CM集CD)
3:「The Coca-Cola TVCF Chronicles」(2008年 DVD)

1は”Things go better with Coca-Cola”という海外60~70年代のコカ・コーラのCMソング集。Tom Jones、Petula Clark、Jan & Dean、Supremes、Ray Charles、Nancy Sinatra、Moody Blues、Bee Gees、Aretha Franklin、Marvin Gaye & Tammi Terrell、B.J. Thomas、Vanilla Fudge、Ray Charles & Aretha Franklin、Fifth Dimension、Gladys Knight & Pips.....なんていう信じられないような豪華アーチストの共演だ。全く同一の曲をベースにしているにもかかわらず、アーチストによってこれだけ解釈が違うのかと驚かされる。個々のアーチストのBOXセットにも収録されていないようなレア曲がズラっと並んでいる。

すでに廃盤になっているようなので、もし店頭で見かけたら絶対購入することをオススメする。

最後に:ネタ詰め込みすぎで申し訳ないですけど、
ベンディングマシン・レッド」必見です。

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