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2010-02-20
ヒロシマ -被爆建物(5)- 広島赤十字病院
- 2010-02-20 (土)
- 歴史の切れ端
【広島赤十字病院】
●住所:広島県広島市中区千田町一丁目9-6
●爆心地からの距離 1,500m
●建造:昭和14(1939)年5月(現在は取り壊され、建物の一部のみ現存)
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場所は広島赤十字・原爆病院の前庭。
被爆時の建物は1993年に取り壊され、その一部がモニュメントとしてこのように遺されている。取り壊しにあたっては、猛烈な反対運動があったと記憶している。

このように広島では「あの日」をかいくぐった多くの建物が、今なおとり壊され続けている。あくまで個人もしくは法人などの所有であるから、やむを得ないことなのだろう。また被爆した街を再生させ、発展させてゆくというプロセスの中で、そうした建物が「足かせ」になるというのは、本末転倒なことなのかもしれない。
ただ、この病院に関していえば被爆された方々にとってはとりわけ思い入れのある建物だったことは、容易に想像できる。

あの日、病院は建物に多大な損害を受けたものの、炎上はまぬがれた。そのため、午後には応急救護所も設置され、たちまち被爆者たちの救護施設となった。廃墟と化した広島の風景の中に、屹立としてそびえる病院の存在は、どれだけの人々に安堵を与える大きな存在だったかわからない。
だからこそ、こうやって記録しておく。
さて、このモニュメントの二面の窓枠は大きな特徴を持っている。
一方の面は爆風により内部へと折れ曲がっている。

そしてもう一方の面は同じ爆風で外部へと折れ曲がっている。

爆風が一方から一方へと吹きぬけたのである。
爆風は室内では渦巻きのように回転するという。複雑な動きで室内を蹂躙したのち、一方の窓から吹き抜けていったのだろう。それにしても物凄い力だ。爆心地付近で1平方メートルあたり3トンという力があり、半径3km以内の木造建物を全壊させたということが、想像できる。

被爆直後、呉の海軍工廠が調査団を設けて現地調査を行った。
マッチ箱の大きさで街を壊滅させてしまうという「マッチ箱爆弾」の存在は、日本でも常識的なものであったし、物理学者の仁科芳雄らは「ニ号研究」というコードネームで原子爆弾の開発研究を行っていた。
調査団は原子爆弾というものがどういうものかを知るだけの科学知識を持っていた。
西田亀久夫技術大尉は放射能測定の専門家だった。調査団が8月7日にこの病院に入った際、西田はそこで医師と看護婦の会話を小耳に挟む
「レントゲンの事務室に出しておいた未使用のX線フィルムがみんな感光していて使えません」。
聞けば地下室に保管していたフィルムは、それほど感光してはいないという。

これを聞いた瞬間、西田はレントゲンのフィルム感光は核反応による被爆で、「投下サレシ新型爆弾ハ原子爆弾ナリ」と確信したのだという。
ジュネーブ条約などでは赤十字のマークを掲げた施設などは、攻撃を受けないとりきめになっていた。
娘が「原爆ドームとともに、一番印象に残った」と言ったのが、このモニュメントだった。
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