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上大岡的音楽生活

The Who at 横浜アリーナ

とりあえず言えること。

僕という人間は心の底からThe Whoが好きなんだな、ということ。
人生は重いもの。
彼らにどれだけ人生を軽くしてもらったかわからない。
今日はそれを強く確認してきました。

今度は19日の日本武道館最終日に行って来ます。

勝手にデイヴ平尾氏を追悼する会 at 夕凪

仕事終えてから、屏風ヶ浦の居酒屋「夕凪」へ。
ここへ来れば「今夜は」誰かいるはずだ。そんな確信があった。

一昨日、The Golden Cupsのデイヴ平尾氏が亡くなった。
店主の夕凪さんは生前のデイヴさんと親交のあった方で、
結婚式の披露宴では、デイヴさんに歌ってもらった思い出もある人。
だから今日は誰かいるに違いない。

案の定、お店でニャンコ先生がチビリチビリやっていた。
こうして「勝手にデイヴ平尾氏を追悼する会」が始まった。持参したCupsの”Album No.2″をB.G.Mに、あれやこれやといろんな話が出てきた。そうしたら隣で飲んでいたジャックス早川義夫が好きな人も話に加わって、結局、2時間半の飲み(あたしゃいつもコーラですが何か)となった。

結局....結局こういうことだ。
少なくとも1966年頃までの日本のミュージック・シーンは、レコード会社が圧倒的な力を持っていた。レコード会社には専属の作曲家がいて、契約を結んだアーチストには、その作曲家の作った歌を歌わせるのが普通だった。
そこにグループ・サウンズの連中が少しずつ風穴を開けていった。彼らはレコード会社から提供を受けた楽曲もやりながら(むろんヒット曲に直結するのはこういう「ツボ」を心得た曲だった)好きな音楽も追求した。
だから当時のGSのグループの多くは、「二重人格」とも言える混在したコンテンツをひとつのディスコグラフイーの中に収めている。

たとえばThe Golden Cups。
昨日紹介した「Hey Joe」のような先鋭的でソリッドな曲をやる一方で、「長い髪の少女(作曲は”恋の奴隷”"恋のハレルヤ”などの鈴木邦彦」といった歌謡曲然とした曲でヒットを飛ばしている。The Spidersは「夕陽が泣いている」「風が泣いている(ともに作詞作曲は”バラが咲いた”の浜口庫之助)」のイメージが強いけど、初の国産ロックといえる「フリフリ」や、国産サイケデリック・ロックの「なればいい(ともに作詞・作曲かまやつひろし....近年グランジ系のWellwaterConspiracyが「Nati Bati Yi」というデタラメの日本語タイトルでカバーした)」といった意欲的な作品を生み出した。

こうした二重人格があったからこそ、Cupsは”No.2(1968)”や”ザ・フィフス・ジェネレーション(1971)”という名盤を出すに至ったし、SpidersはJ-ROCKの黎明期を告げた”No.1(1966)”や、”明治百年すぱいだーす7年(1968)”なんていう歌謡曲とロック分裂気味の不思議な名盤、そしてかまやつのソロだが、”1960’s トーキョー”のシャレた雰囲気を凝縮した”ムッシュー(1970)”などを歴史に残すことができた。そして、GSのブームが過ぎ去った後も、この「残党たち」はしっかり1970年代のミュージック・シーンを支えていった。

売れる曲を歌う一方で、やりたい曲もやる。こういう過渡期のバランス感覚が、確実にレコード業界のシステムに風穴を空けた。わずか数年で音楽業界は激変し、「やりたい曲だけをやれる」多くのグループやアーチストを生み出していったわけだ。
そういうところに、デイヴさんの功績があり、ムッシュの功績がある。
(Wellwater Conspiracyは他にもカーナビーツの「すてきなサンディー」をカバーしている。彼らが最も評価しているのはCupsの”Hey Joe”であることが、日本のガレージ系GS研究サイト”Cutie Morning Moon“さんの、WellwaterConspiracyのページに書かれている)

とまあこんな話を「夕凪」さんでしていたわけじゃないんだけど、一曲一曲を聞きながら、あらためて皆でその音楽の先進性に感心しながら、時間を過ごしていた。
「4年は進んでいたね」とニャンコ先生がつぶやく。

夕凪さんが、
「んじゃ、珍しいモノ見せてあげるよ」と言って、お店のビデオデッキに一本のビデオをかけた。
1989年11月18日に行われた夕凪さんの結婚披露宴に、デイヴ平尾氏がゲストで出演。元ダウン・タウン・ブギウギ・バンドの和田静男氏のギターをバックに「長い髪の少女」「愛する君に」を歌ったその時の私家版映像だ。今日は故人を偲んで見ていたのだろう。デイヴさんも若いが、夕凪さんも若すぎる。

「これ、Youtubeに公開してもいいんだよね~」と夕凪さん。
この時期のデイヴさんの映像は珍しいはず。
ましてや私家版だから貴重品だ。
「やりましょう」。

ニャンコ先生によれば、当時からデイヴさんは「”長い髪の少女”は(歌謡曲なんで)歌いたくないんだけどね」と公言していたらしい。僕は2004年の渋谷公会堂で「”愛する君に”は当時は好きじゃなかったんだけど、今聞くとなかなかいい曲だ」とデイヴさんがMCしていたのを覚えている。

そんな2曲を「愛する二人」のために、デイヴさんが歌っている。本当は「One More Time」あたりを歌いたかったんだろうけど、TPOをちゃんと考えて、デイヴさんはこの2曲を歌っている。これがGSを生き抜いた人間のバランス感覚なんだろう。

ついでを言えば「長い髪」のイントロの部分で、デイヴさんがステージに出てこないものだから、ギターの和田さんが会場をキョロキョロ探して「デイヴ平尾」と呼びかけているのがわかる。やってきたデイヴさんに和田さんが苦笑しているのがわかる。結局バンドは8小節多く演奏している。

デイヴさん、自分の出番をそっちのけで飲んだくれていたに違いない。

○BARKS記事 - [追悼]デイヴ平尾、ザ・ゴールデン・カップスが残した軌跡
○11月15日より公開の映画 - GSワンダーランド(Cupsとは直接関係ないかもしれないけど「ファズる心」は一緒だ)

デイヴ平尾死去

唐突にこんなニュースが入ってきた。

ザ・ゴールデン・カップスのリーダー、デイヴ平尾氏死去
デイヴ平尾氏(本名平尾時宗=ひらお・ときむね=「ザ・ゴールデン・カップス」リーダー)10日午前、食道がんのため死去、63歳。横浜市出身。葬儀は近親者のみで行い、後日お別れの会を開く予定。
 66年にグループ・サウンズ「ザ・ゴールデン・カップス」を結成、「長い髪の少女」などがヒット。72年に解散した後はソロに転じて音楽活動を続けた。2004年公開の記録映画を機に再結成し、ライブなどに出演していた。 (了)(2008/11/10-21:54)

一時的に在籍したケネス伊東やアイ高野も、すでに亡くなってしまったが、中心メンバーでかつ「Hama Rock」の誕生から成長まで見守ってきたデイブさんの死は、何とも寂しい限りだ。

デイヴさんは中区本牧の米軍相手のクリーニング屋さんの倅として生まれた(たしかキタさんの義母さんが同級生だったはず)。1966年に結成されたThe Golden Cupsでリーダー兼メインボーカルを担当した。Cupsはグループ・サウンズのブームに乗って出てきたため、一応「GSのグループ」という位置づけだけど、そのテクニックといい、音楽の方向性といい、明らかに他のグループとは異なっていた。

僕はGS時代のJ-Rockの双璧はThe SpidersとCupsだと思っている。SpidersはBritish Beat Rockの影響を受け、GSブームに自らを完全に適合させながらも、どさくさに紛れに好きな音楽をやっていた。それに対してCupsは「日本で最新の音楽が最もすばやく入手できた」本牧発のグループだけあって、最初からコアなR&Bを志向していた。ハナから好きな音楽を全開でやっていた感はある。会社の戦略で職業作曲家に「嫌々歌わされた」という「長い髪の少女」の大ヒットはあるが、その成功によって、より好き放題ができるようになってしまった経緯もある。

「Hey Joe (1966)」

とりわけルイズ・ルイス加部のベース・プレイが強烈な「Hey Joe」。ここまでソリッドな音は当時の日本では皆無。日本のロック史に残る名演だ。

お次はGSシステムの中で歌わされた「愛する君に(1967)」。

ステージでメンバーがニコリともしないのは、Cupsの不良性を前面に出すための戦略だったらしい。司会のテンションに対して醒めた苦笑いをしているのが、いかにもデイブさんらしい。
2004年の渋谷公会堂でデイヴさんは言っていた。「当時はこの曲が大嫌いだったけど、年とってから”結構いい曲だな”と思えるようになったよ」。

Creamのカバーで「I’m So Glad(1968)」

フツー、1968年にTV番組でCreamのカバーはしないよな.....

後追いで彼らの音楽に触れた僕にとって、2004年の渋谷公会堂で行われたCupの再結成ライブが初めてのリアルCups体験だった。
デイヴさんは足を外股に開き、マイクを右手に、コードを左手に持ちながら、やや横向き加減に歌うという独特のスタイルで歌っていた。ステージの横にソファが置いてあって、デイヴさんは自分が歌わないときは、そこに座って飲んだくれていた。

デイヴさんは飲んだくれているのがスタイルだったようだ。このライブから数ヵ月後にマイカル本牧の映画館で行われた彼らのドキュメンタリー「ワンモアタイム」の公開プレミア・ショーでも、舞台挨拶で飲んだくれていたっけなぁ。「酒」といえば、マイミクの屏風ヶ浦の夕凪さんも個人的にデイヴさんと親交があったようだから(確か結婚式で歌ってもらったとか...)、きっと今頃悲しんでらっしゃることだろう。

11月28日には久しぶりのイベントを東京で行う予定だった。今のところ残ったメンバーでイベントは続行される見込み。

コーラでも一杯やりながら、久しぶりに「ワンモアタイム」のDVD(3枚組)でも見ようかと思ったら、あっそうかBonHommeさんにお貸しているんだ。んじゃ1stでも聞こうと思ったら、職場に飾っているんだったっけな....

デイヴさん。あの世でもたらふく飲んでください。
心からご冥福をお祈りいたします。

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