ペルシア書道にいざなわれた話

左利きなことを親から矯正されたことはない。
ただ小学校1年生から習字を習わされたことがある。
おそらくそういう形で矯正できると考えたのだろう。
なぜなら習字というものはなぜか古来より右手で書く"ならわし"になっているからだ。
何にも考えていない小学校1年生は「そういうものなんだ」と思いつつ右手で筆を持ち始めた。

結局フタを空けてみたらこういうことになった。
大筆で書くときは右利き。
小筆で書くときは左利き。
習字というものは、腕で書くものだから、決して利き腕が矯正されるわけではない、
ということを僕も親も学習したわけ。

僕の書く「見るのもおぞましい」字を見た人間には信じられないことだろうけど、
これでも右腕で二段(ただし小学生習字の世界)までいっている。
いつも使う左手に関して言えば、もうなにがなんだかの字であることは確かだ。
自分で書いた字の解読に苦労するのは日常茶飯事だ。
伝言を読むスタッフがかわいそうだ。

そんな習字の世界に「ペルシア書道」なるものがあることを教えてくれたのは、
大学のサークルで同級生だった羊子さんだ。
今回3年ぶりにペルシア書道展があり、そこに作品を出展するという。
昔からイラストが上手で、昔からしっかりとした美意識を持っている羊子さんのことだ。
きっとよいものを作るだろう思い、家族を連れて行ってみることにした。

いざなわれることにした。
場所は池袋のサンシャインシティにあるオリエント博物館
羊子さんは、ここで行われている「ペルシア書道講座」の生徒さんなんだそうだ。

まずはひととおり博物館を見たわけだけど、すごいぞ!オリエント。
何千年前のモノなのにデザインがモダンで洗練されすぎている。
牛の土器はユニークで愛らしくとどことなくピカソっぽい。
「何とかの女神像」は一切のムダがないのにキレがある。
というわけで館内のひと部屋を使って開催されているペルシア書道展の会場へ。

羊子さんに僕の家族を紹介する。
羊子さんは僕の娘たちの名前をペルシア語で書いたもの準備していて、それを娘たちにくれた。
これがまたオリエント。

そして色々と作品を説明してもらう。

ペルシア書道は葦の先端を削って、それをペンにして書くんだそうだ。
この「削る」という作業が大変らしい。
先端は「へら」のような形をしている。先に細い溝を入れることで墨を吸引(保持?)するようになっている。
「へら」で書くから等幅の字を書くことができる。そして文字を細くしたいときは筆をやや回転させることで調整する。
日本の書道は柔らかい筆を押し当てるか引き上げるかの上下の動きで文字の太さを調整するわけだから、根本的に「筆」の使い方が違う。これが西洋の筆記用具となると均質な太さしか描けないわけだから、このあたりのことは考えれば考えるほど奥が深そうだ。

日本書道も「絵画的」と言ってしまえばそうなんだけど、そこには男性的な力強さと枯淡の味わいがある。
ペルシアのそれは彩るイラストからしてもずっと絵画的で、女性的な優美さと音楽的な躍動感がある。
そんなことを感じた。

内容はペルシアの4行詩が多いそうだ。
それを均等割付で書きあげるのだそうで、言われてみると、各行の長さが一緒だ。

下の作品は「書家アリーレザーキャドホダーイーの作品臨書」。
書かれているのは

薔薇の全てを知るのは暁の鳥だけ
一頁だけ読む者には書の真意はわからない

という4行詩なんだそうだ。
そしてこれは羊子さんがトレースしたものを彩色した「暁の鳥」

ううむ、奥が深そうだな。

昔から優美なイラストが得意だった羊子さんがペルシア書道に出会った意味がわかったような気がした。
大学時代の友人でアート系を趣味にしている人が意外と少ないので、いつか個展を開いて下さいませ。

画像はナンジャタウンの猫。
アートの後は、遊ぶ羽目になった次第。