大正池

まあそんなわけで子供から開放されたので、カミさんと今年で72歳になる母親を連れて上高地へと行ってきた。
「何にもしない」つもりで行ったにもかかわらず、2日目には雨もやんだため大正池まで行ってみることにした。

2年前に西糸屋山荘から歩いて行った際は池に到着したとたんに豪雨となり、ほうほうのていでバスで引き返した経験がある。だから今回はバスで大正池まで行き、歩いて山荘へ戻ることにした。4km程度の道のりだから母にも無理なく歩ける距離だろう。

到着すると、さっそく池辺にシートを敷いて、西糸屋で買ったアップルパイを食べてボケーっとする。
清涼な空気と、水辺の風が心地よい。天国というものをまだ見たことはないけど、わざわざ雲上で蓮の台に座するつもりもない。
これで充分だ。

そうこうしていると、カモさんがやってきた。

どうもアップルパイを狙っているようで、目の前まできてウロウロしている。その距離はわずか1メートルもない。
最近上高地では動物が人間慣れしているとは聞いていたけど、お前もか。

生態系に影響を与えるのでここでは動物へのエサやりは禁止されているのだが、このカモは一向に立ち去る気配がない。
「ちょーだい」と言うでもなく、ただそばに居続けるという微妙な距離感を保っている。
だから無視して撮影を続ける。

そうこうしていると、何匹もコチラへ泳いでやってくる。たちまち我々はカモにとり囲まれてしまった。

さらに無視し続けると、諦めて周辺を泳ぎ始めた。
そうしたら今度は観光客のクソガキがカモの周辺に石を投げ出した。微妙に当たらないように投げているようだが、当たったらどうするんだと思い、注意をする。

カモなんて一番警戒心のありそうな動物が、こんなに人間の至近距離まで近づくことに驚いた。
動物の目の前で食事をすることもいずれ禁止になるだろうな、と。

空は曇っているけど、雨が降る様子はなさそうだ。しばらく3人で他愛のない話を続ける。

大正4年に焼岳の噴火で梓川がせき止められて誕生した大正池は、池の中から直立する立ち枯れた木が無数に直立している風景が有名だった。
だけど、時の流れとともにどんどん倒れてしまったようで、現在では枯れ木も数えるほどになってしまった。
さらに千丈沢から流れ込む土石によって、年々その面積を縮小しているという。

母に尋ねてみる。
「40年前に、ここに来たのを覚えている?」
「覚えてないわね~。お父さんは色々な所へ連れていってくれたからね。あなた覚えてるの?」
「いやぁ、さすがに覚えていないけど、親父が撮影したフィルムが残っているよ。お袋がサイケな服着てさぁ、俺と姉貴も映っているやつ」
「そうだったかしらねぇ」

「そうだったんだよ。親父以外は誰も覚えていないなんて、ひどい話だなぁ」

1時間ものんびりしてからようやく西糸屋山荘のある河童橋方面へと歩き始めた。
年寄りも一緒だと思ってゆっくり歩こうとするのだけど、母は一人でどんどんスタスタと行ってしまう。
あっという間に僕とカミさんより50mも先を歩いている。
あわてて僕が先頭に立ってペースを落とすようにする。
相変わらず健脚な母にホッとするとともに、相変わらずマイペースな人だなぁ、と思った。
途中でものんびりしながら、宿へは2時間ぐらいかけて帰った。

改めて昔の映像を見て気づいたことが二つある。

(昭和43[1968]年の大正池)

(平成22[2010]年の大正池)
やはり枯木の数が激減している。
そしてもうひとつは、僕と姉が石を投げて遊んでいる場所と、まさに同じ場所でアップルパイを食べていたということだ。

あとは大正池の余談。
大正池が年々土石の流入によって縮小しつつあるということを書いたけど、それを象徴する有名なモノとして「千丈沢の埋没看板」というのがある。
上高地のガイドブックやビジターセンターの資料展示でも案内されているシロモノだ。

-千丈沢の埋没看板(平成20(2008)年撮影)-

千丈沢 看板」でググれば、この10年ぐらいの画像がある。
もともと昭和40年に建てられたこの看板には、当時おそらく「中部山岳国立公園」と書かれていたのではないかと思う。それがいつのまにかに「千丈沢」の解説看板となっていった。
プラスチックのボードがつけられ、こんな文章が記されていたようだ。

千丈沢
この沢は霞沢岳から押し出してくる岩屑によって、急峻な扇状地を形成しています。この扇状地には豪雨のたびに多量の岩石が供給され、大正池へどんどん前進しています。上高地にはこのような沢がいくつもあり、周囲の山から運び込まれる土石は膨大な量になります。

ところが年々土石の流出によって埋没を続け、2003年頃には、ほぼ柱の部分が完全に埋没してしまった。
そこで新たに看板を設け、次のように解説した。

砂礫の堆積
この「千丈沢」の解説板は、昭和40年に設置されたものですが、大量の土砂の流出によって、1m以上も埋まってしまっています。上高地にはこのような沢がいくつもあり、焼岳の中腹から上高地を見下ろすと、大量の砂礫の供給される様が良く分かります。

あまりにも埋まってしまったので、2005年ごろに一度掘り起こされているのだが、僕が撮影した2008年には上の画像のようにボロボロになっていた。プラスチックの解説板も壊れ果てていた。
そして今回行ってみたら、なんと看板そのものが消滅していた。周辺を血眼になって探したのだけど、看板の「か」の字も見当たらなかった。

その看板があったと思われる地点の横では「看板を解説するための看板」だけが今でもこのように虚しく解説を続けている。

ぶうらぶら

Posted by spiduction66