結婚式

今宵月まろやかに
華燭の典に光を添えたり
若人のゆくて遥けく
現と夢の錦を織り
生命は永劫に輝くなり
(詩人 白鳥省吾

秋と言うのは暑すぎるぐらいのお天気に恵まれた2010年9月12日、
馬車道のCasa d’ Angelaで、EmiさんはShigemasaクンと結婚しました。
Emiさん、Shigemasaクン、おめでとうございます。

決して物質的だけではなく、精神的にも喜びを分かち合うという周囲に対する感謝の気持ちに満ち溢れたセレモニーは、二人の人柄がとてもよく出ているなと思いました。
そんな中で終始ニコニコしっぱなしの二人にはこちらも思わず笑みがこぼれてしまいましたし、
「おかあさん」の歌にはマジでジーンときました。
二人の人生最良の日を共にできて、とても光栄に思います。

2004年の3月18日にこの教室を始めたとき、
わずか5日前にお父様のご逝去にあわれたEmiさんは、
気丈にも気分を入れ替えて、今の仕事に向かってゆきました。
このことは昨年「さよならそしてこんにちは」の日記でも書いたことがあります。

そんな中で、主賓として祝辞を述べなければならない中で、
僕はEmiさんのお母様の"スミ子"に電話をかけて、
ご逝去されたお父様のことをいろいろ伺いました。

桜の季節に、三ツ池公園まで桜を見に連れていってくれたお父さん、
小学生の頃、Emiさんの児童劇団までの送り迎えを喜んでやっていたお父さん、
とどのつまりはEmiさんが成人してもアッシー君だったお父さん、
「Emiは結婚しなくていいから、ずっと家にいたらいいよ」と言っていたお父さん、
「Emiの結婚式には俺は出ないよ」と言っていたお父さん、
「じゃあTさん(叔父さん)に式では介添えしてもらいます」とスミ子に言われて、
「そりゃあ困るよ」と苦笑していたお父さん、
Emiさんがボイストレーナーとして私の所で働くことが決まったときに、
「Emiがやりたいことをやれるようになったのだから、
服を沢山買ってあげなさい」とスミ子に言っていたお父さん、
Emiさんが活躍しはじめた時には、もう天からそれを見守るしかなかったお父さん、
そんなお父様の点景を伺っていて感じたのは、
お父様がEmiさんを心の底から可愛がることとともに、
とても信用していたのだなということでした。

「信じて用いる」と書いて「信用」と読みます。
僕もまたEmiさんを信じて用いてきました。
人を信じて用いることというのは本当に難しいことですし、
やもすれば平気で人を裏切るような人間がいるのも事実です。
でもそうしてゆかなければ、本質的にこのような組織が動かないのも事実なのです。

僕は今、常駐3人の多彩なよいスタッフに恵まれ、この3人を信じて用いています。
この3人に共通していることがあります。
彼女たちは自分の人生の中で色々な試行錯誤をした中で、
最終的にボイストレーナーという仕事で食べてゆくことを選んだ人たちだということです。

さて、昨年の「さよならそしてこんにちは」の日記を書いてからというもの、
「お嬢さんを送り出す気持ちはどうですか?」なんて冷やかされているわけですが、
Emiさんにとっては本当に数え切れないほどの皆さんが「お父さん」だったという想いを新たにしています。
これには色々な理由があります。
まず「教える」という立場の人間は、一番「教えられて」います。
直接的、間接的に、誰もがお父さんでありお母さんであるわけです。

そしてもうひとつ。
色々な人たちからEmiさんや私たちは支持されたおかげで、
生計を立てることができ、生活ができ、人生を充実させることができています。
そうした充実感の中で、愛が生まれ、そして結婚に至ったのだと思います。
だから皆さんの支持があって二人は結婚できたのだと思います。
いったい何人「お父さん」がいたのだろうと、思ってなりません。

さらにもうひとつ、
人は一人では存在することはできません。
「縁」の中でのみ生きることができます。
これは誰が言ったか覚えていませんが仏教の教えです。
そうした縁の中には色々な「父性」や「母性」があるのだと思います。
そこにはいったいどれだけの「お父さん」「お母さん」がいたのかな、と思います。

で、あえてお父さん面をするのならば、
これだけは言っておこうっと。

shigemasaクンは飾り気のない素の自分をきちんと出せる方です。
とても実直な方だと思います。
もし彼がチラチラしたヤローだったら僕はスミ子と一緒に猛反対したでしょうね(笑)。

Emiさん、ご結婚おめでとうございます。
あなたの成長を通して、多くのことを学んだのは僕自身です。

追伸:自分で作ったスライドショーを見て、ジーンときているのも僕自身です。