卒業記念DVD製作記

今年卒業する次女の小学校では、親御さんたちで「卒業を祝う会」というのを毎年開催している。
2年前に長女が卒業した時には、記念DVDを卒業生全員にプレゼントした。このDVDの製作担当が僕だった。このことは当時のBlogに書いている

「今年は忙しいから多分(製作は)無理だなぁ」とカミさんには以前から言っていた。
それがいろいろな経緯からボランティア製作を引き受けさせて頂くことになったのは3月5日のことだった。

卒業式は3月18日。あと2週間足らずでDVDを製作するには、2年前の製作コンセプトのまま作るのが一番いい。
その辺はカミさんもよくわかっていて、どういうDVDにするかを間接的に祝う会の親御さん方に伝えてくれた。

一番難しかったのは素材集め。
DVDの中で最大のキモになるのは、子供たち幼少期の写真と現在の画像とを対比させて、子供たちの夢を字幕でインサートするという映像だ。
「86の夢」というタイトルでクラス別に3本のクリップを製作する。
はたして短期間で過去の画像をすべての卒業生の親御さんからお借りできるか?というのが最大のネックだった。
これについては有志の親御さんだけではなく、学校側も協力してくれて何とか撮影したり写真を集めることができた。本当に頭が下がる思いだ。
これをカミさんがすべてスキャナにかけてデジタル化した。この子たちの世代の幼少期というのはデジカメ普及直前だからこういう地道な作業が必要だった。

それと子供たちの小学校1年生の画像や映像を集めた「6年前」というクリップ。
これは2年前と同じように入学式の映像を中心に構成しようと考えた。これはバクチみたいなもので、僕を含めてだいたいの親御さんは、自分の子供を中心に映像や画像を撮影している。特に入学式の入退場シーンでは、すべての子供さんをまんべんなく撮影している人などはそうはいない。

数日して集まってきた当時の映像(DVDだったり、テープだったり)をすべてチェックした。
そうしたら唯一、退場する全生徒を撮影している映像があった。「ビンゴ!」と思った。

そんな風にして次第に素材が集まってきた段階で発生したのが東日本大震災だった。

相次ぐ余震と先の読めない計画停電の中で、休日返上であれこれと対策を決めていった。
よく「企業の危機管理」ということが叫ばれるが、ハッキリ言っておこう。そんなもん大枠で決めたとしても、現実にはなってみないとわからないものだ。
ましてや誰もが経験したことのない規模の災害である。経験したこともない事象への事前対策など所詮机上のプランに過ぎない。こういう時は平常心と相次ぐ情報への冷静な対応が一番大切だと痛感した。そうした経験だけが企業やヒトを強くする。これ事実だ。
オシゴトでの一週間に関しては、いつか事態が沈静化したら、じっくり書こうと思っている。

くたくたになりながら家へ帰り、深夜まで編集作業を行った。
そんな中で思ったのは「無事に卒業式そのものを迎えられるのだろうか?」ということだった。すべての親御さんが同じことを思っていたに違いない。

結局、式当日までに卒業生86人にDVDをプレゼントするという当初のプランは諦めた。
とりあえず最低限の映像を製作してオリジナルワンを製作し、式の後に「卒業を祝う会」で上映することにしてもらった。
3月の末に子供たちが卒業の記念写真をもらいに学校に来る日があるのだという。
その日までに86枚のコピーを作ればいい。
そうやってオリジナルワンの上映用DVDが完成したのは、卒業式当日の午前4時のことだった。

そして無事に卒業式が行われた。
いつまでもちっこいガキだと思っていた次女が、なんだか大人びて見えた。
編集段階で、入学式当日に必要以上にピョンピョコ跳ねまわっているこやつの姿を見ているから、なおさらだった。
次女は、ほったらかしにしているうちに育ってしまったようなところがあり、申し訳なかったな、と思った。

この一週間というもの、ここにいるどの親御さんもヘトヘトだったに違いない。
知人や親戚が被災にあわれた人、会社に寝泊りした人、何時間もかけて自宅に戻ってきた人、対応に追われて満足に寝てない人、欠乏する物資の調達におわれた人、家族や会社を守るためにあれこれと奔走した人、あるいは被災地に救援に赴いて本日の卒業式に出席できなかった人もいたと思う。
とにかく無事にこの日を迎えられたことに安堵の表情を浮かべている人、つかれきった表情を浮かべている人ばかりだった。

対照的に子供たちはといえば、地震など意に介していないようだ。その笑顔は未来だけを見つめていた。
だから、そんな対照的な気持ちに応えるような映像を撮影して、もう一本だけ映像をDVDに追加しよう、と思った。

そこで式場の後方に行き、カメラをズームにして、式を終えて退場してくる子供たちの表情ひとつひとつを丹念に撮影していった。

そして午後から「卒業を祝う会」の食事会とDVD上映会が開催された。
本来は視聴覚室で会を行う予定だったが、余震の危険があるために、急遽体育館で行われることになったらしい。
いっぽう僕といえば、あくまでDVDを製作するまでが担当だ。
女性ばかりの会社の方で余震がいつ起きるかも心配だったので、上映会には出席しないつもりだった。

ところが困ったことが起きた。
「卒業を祝う会」と学校側の連絡がうまく行ってなくて、スクリーン投影用のプロジェクターは準備されていたものの、上映するのに必要なDVDプレイヤーと音響装置が全く準備されていないことがわかった。先生方もお母様方も「DVDを使って体育館で上映した経験がない」と鬼のようなことを言う。
こうなったら観念して動くしかなかった。
会社に電話をして「現状平穏無事」を確認する。職員室に駆け上がってDVDプレイヤーがないかを尋ねると、放送室に一台あるという。
放送室に乗り込んでプレイヤーを取り外し、体育館へと持ってゆく。

音響をどうするかは見当もつかなかったが、体育館の隅にさっきまで式進行で使っていた司会台があるのに気づいた。
祈る気持ちで台の下を覗き込むと、音声をワイヤレスでスピーカーに送信していたと思われる機械がある。さらに祈る気持ちでその機械の裏側を見ると、ステレオの音声入力端子があった。「これだ!」とばかりに、DVDプレイヤーからの映像端子をプロジェクターに、音声端子をこのワイヤレス送信機につないだ。祈る気持ちでプレイヤーの再生ボタンを一瞬押したら音と映像が出た。どっと肩の力が抜けた。

そんなドタバタをしながら、カミさんに苦笑交じりに言った。
「俺はきっと今日、日本で一番忙しいお父さんだね」。
そんなカミさんは、朝礼で使うメガホンを職員室から調達してきていた。それをどうしろというのだ。

そして2時から上映会。150人以上の観客の前で、自分は編集をした作品が上映されるというのは物凄いプレッシャーだ。
欠席したかったのはこれも理由だった。
だけど子供たちは歓声をあげながら見てくれた。親御さんたちの中には泣いている方もいた。
上映後には、大勢の親御さんからお礼を言われた。「報われた」と思った瞬間だった。

そして昨晩、卒業式の退場シーンの編集を終えた。
10分ぐらいのこの作品は、今まで作った映像作品の中でもベストの出来だと思う。

いま僕は完成したDVDのコピー作業をしながら、このBlogを書いている。
「今日の日本で一番忙しいお父さんだよ」と書いたことに異議を唱える人はいくらでもいるだろう。
被災地にはもっと大変な思いをしている人がいくらでもいるからだ。

でも、大切なのはそういう比較論じゃない。
誰もが「自分が一番忙しかった、そこを乗り越えたんだ」という自信を持つことが大切なんだと思う。

間違いなくこの一週間というもの、日本のありとあらゆるお父さんお母さんが...いやそれに限らず、様々なポジションにいる様々な人たちが大変な混乱の中でベストを尽くし、そこを乗り越えてきた。僕を含めた誰もが多くのことを経験し、学び、強くなったと思う。

そして未来だけをを見ている子供たちがいる。様々な夢に向かってまっすぐに進んでいる子供たちだ。

この「経験」と「夢」さえあれば、この国は不死鳥のようによみがえるだろう。