おっさんにカラまれた話

岩崎邸を見学した後の話。

台東区根岸(JR鶯谷駅近く)にある「ねぎし三平堂」に向かう。
「昭和の大爆笑王」にして、林家正蔵(もと”こぶ平”)といっ平の父である林家三平師匠の記念館だ。

車を駐車して、歩道を50mほど歩いた時だった。
前方からきたオッサンに、すれ違いさま「じゃまくせーな、こいつら!」と罵声を浴びかけられた。一瞬「何だ?」と思ったが、前方を歩く家内も子供も、対向して歩いている人を邪魔するような歩き方をしていない。歩道は道幅もあり、そんな罵声を浴びせられる筋合いもない。

こういった場合、関西人(関西に長く住んでいた人間を含む)というものは反射的に2種類の反応をしてしまう。吉本新喜劇の桑原和男のように「何を言うのですか?」というか、「何を言うてんねん、このオッサン」と怒りを込めて返すかのどちらかだ。

僕は後者の反応を選んでしまった。

「何や?このオッサン」

そう言いながら振り向くと、通り過ぎて数m先にいたオッサンが振り向いて
「何だとぉー!」と言いながら僕のところへダッと押し寄せてきた。

「うわっ、ヤバっ」

そして僕のシャツの襟首を掴むと、その勢いで横の商店の閉まっているシャッターに僕を押しつけた。

この瞬間「死」が脳内に浮かんだのは確かだ。
返した言葉に対する「後悔」など考える余裕はない、次に刃物が出てきてグサリとやられるのか?とそんなことを考えていた。

ところがオッサンは、シャッターに押し付けた僕の襟首を離すと、僕の両頬をツネリ上げて...事故の”はれ”が引いた今でも神経がピリピリ感じる頬をツネり上げて、
「邪魔だから、邪魔って言ったんだよ、悪いか!」と怒鳴った。
この間のことって、ホンの数秒間の出来事だったのではないだろうか。

でもこの瞬間、オッサンの酒臭さに気付いたのと、死の危険はないなという判断と、「傷害罪」が成立したという認識があったので、僕も反撃に出た。「何を言いがかりつけてんだ!」と怒鳴って(ここだけ東京弁)、オッサンの腕をおさえこんだ。

そして遠巻きに呆然と見ている家内に向かって、「119番!」と叫んだ。

あまり長いことオッサンの腕を変におさえてこんでいると、こちらも傷害を加えてしまう可能性があったので、ひとまずオッサンを抱きおさえた。

台東区根岸の路上で、39の男がオッサンを抱きしめているという、思い出したくもない光景がどの位続いただろうか?そうした状態を保ちながら、家内に向かって電柱に表示されている現住所を伝えたり、呆然と見つめている通りがかりの女性に「すみませんが警察来たときに証言して頂けますか」、と証人の要請をしていたりしていた。

やがて逃げる気配もなくなったので、オッサンを離した。この時点で首からぶら下げていたデジカメの電源をコッソリ入れて、断片的にオッサンの動画を撮影している。路上に座り込んだオッサンと僕の会話が動画で撮影されている。

「俺は元早稲田の全共闘だぞ!なめんなよ」なんてワケのわからないことを言っていたので「早大の全共闘も落ちたもんやなぁ」と僕は言い返した。頼もしかったのは、僕の家内で、関西弁を駆使しながら、彼女なりに毒づいている。

5分ほどして、警察の人が来たのだが、
その間オッサンは、「警察は嫌いだ!昨日も覆面に捕まった」
「俺が悪かった!実は女房に浮気されてむしゃくしゃしてるんだ」
「あんた何年生まれだ!俺は昭和23年生まれだ。全学連だぞ!なめんなよ!警視庁なんか爆破するぞ!」
「すみません、謝る!」と土下座したりと、脈絡のない行動と発言を繰り返していた。

さすがに相手するのもバカバカしくなってきた。駆けつけた警察官にひととおりの状況を説明した。証人の方もキチンと状況を証言してくれたので、警察の方も納得してくれた。

「どうしますか」と聞かれたので、「厳重注意」で結構ですと言って、その場を去ることにした。

教訓
1:売られたケンカは買いません。オトナですから。
2:色々な意味で自分だけの体と思うな。
3:今年は災難の年。余計な動きはするな。
4:東京は怖いとこぢゃ。

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