土石流の爪あと at 上高地

再び上高地の話。

交通規制のため、上高地へは車での乗り入れができない。だから関東方面から来た場合は沢渡(さわんど)の駐車場に車を乗り捨てるのが普通だ。

我々が沢渡に到着したのは夕方4時すぎだった。ここからは、シャトルバスに乗り換える。
沢渡第二駐車場
(沢渡市営第二駐車場)
すでにバスのピークは過ぎたのか、バス停にいたのは我々家族4人だけだった。
(リンク先は2008年、真昼間の沢渡バス停の行列)
我々がチケットを買ったのを見て、係員の人が「それじゃあ、今からバスを呼びますね」と言う。
「えっ、呼ぶって?」と思っていると、1~2分でバスが走ってきた。
どうやら、この時間から上高地へ入山する人なんて宿泊客ぐらいなので、バスも定時運行ではなく、近くで待機しているようだ。
ってことは......

貸切じゃん!

いまバスが走っている国道158号は北アルプスを車で越えることのできる唯一の国道だ。沢渡から先、急峻な山々が道路の左右からますます迫ってくる。
上高地では穏やかな表情を見せる梓川も、ここでは渓谷となって激流が飛沫をあげている。そんな中を崖にへばりつくようにして国道は続いている。僕はこの風景が好きで、バスの最前列に陣取ってずっとビデオをまわしていた。
梓川
(梓川)
上高地へはこの先で県道24号(上高地公園線)へと入り、釜トンネルを通ってゆくわけだけど、目的地が自然の懐に抱かれた高地という穏やかな風景を持っているのに対して、このあたりの風景は全く違う表情を持っている。

ひと言で言えば、「自然の脅威」というやつだ。人間が道を作り、トンネルを穿ったとしても、山は容赦なくそれをひねり潰そうとする。
車窓からみると、梓川の対岸はことに地盤が弱いようで所々で崖崩れが発生している。国道側も同様だ、崖崩れによって放棄された旧道を、あちこちで垣間見ることができる。
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たとえばこの2枚の画像は、2005年7月1日の土砂崩落で寸断された旧158号の現場。場所は沢渡より下流の「うすゆき橋」だ。
この崩落によって上高地へ入るルートは大幅な迂回を余儀なくされ、上高地観光に深刻な影響を与えた。
この対応は実に早かった。わずか2年9ヶ月後に、総工費16億、全長500mの「梓湖大橋(うすゆき橋バイパス)」が開通した。国道158号は現場を直線の橋でスルーするルートとなった。

さて、我々のバスはまもなく渋滞で停止した。
「あれ、もう釜トンネル(唯一の信号がある)の近くまで来ましたっけ?」と運転手さんに尋ねると、
「いえいえ、まだ坂巻温泉より手前ですよ。ほら2ヶ月前に土石流があったでしょう。復旧工事で片側通行になっているんですよ」。

6月23日の13時45分ごろのことだ。おりからの豪雨によってこの先のワラビ沢で土砂の流出が発生し、国道158号は寸断された。

(6/23 ワラビ沢の土砂流出直後 長野県松本建設事務所撮影&キャプション)

渋滞は15分も続いただろうか、そろりそろりとバスは進み続け、現場を通過した。
ワラビ沢 土石流流出現場
ワラビ沢 土石流流出現場
(ワラビ沢土砂流出現場)

ほどなく、県道上高地公園線への分岐点となり、釜トンネルへと入る。
釜トンネル
(釜トンネル)
僕は2008年に「不自然な上高地雑記」で釜トンネルについて書いている。だが、当時気づかなかったことがある。この釜トンネルが近年になって大幅なルート変更と拡張工事によって、片側1車線、大型観光バスも通行可能なトンネルへと生まれ変わったことは書いた。バス一台通るのがやっとだった旧釜トンネルの交互通行問題が解消されたことにも触れた。
問題は新トンネルの開通日だ。これが2005年の7月2日、皮肉にも前述した「うすゆき橋」の土砂崩れの翌日が開通日となってしまった。せっかくのトンネル開通でより一層の集客が見込めると思った直前に、手前で道路が寸断されてしまった。関係者の落胆ぶりは、相当のものだっただろう。

釜トンネル走行中に、運転手さんが教えてくれた。
「ほら、トンネルの壁面で泥の線が入っているでしょう。先日この先で起きた土石流で、流れ込んだ泥の跡ですよ」
釜トンネル
(釜トンネル内部。泥の跡は画像ではわかりにくいかな)

6月23日に発生した自然災害はワラビ沢だけではない。
ワラビ沢で土砂が流出する25分ほど前、この釜トンネルの上高地側出口付近の産屋沢でも土石流が発生した。

この瞬間が映像におさめられている。撮影位置は上高地側(ターミナル、大正池などがある方面)だ。撮影者は話の内容から、松本砂防事務所か松本建設事務所の職員の方と思われる。
この方々は事前に現場の土石流の危険を察知して、県道に交通規制をかけた。その直後に撮影された衝撃的な映像だ。
県道上高地公園線に押し出した産屋沢の土石流 提供:国土交通省松本砂防事務所
釜トンネルから来て、あわてて退避する白い車も映っている。

現場を上高地方面から撮影した画像がこれ。
2011年産屋沢土石流の跡
2011年産屋沢土石流の跡
2011年産屋沢土石流の跡
2011年産屋沢土石流の跡
流れ出た土石の多くは、ここにかかっていた産屋沢橋にダメージを与えながら梓川に流れ込んだ。そのいっぽうで土砂は勾配のきつい釜トンネル内にも流れ込み、トンネルの反対側つまり国道158号線側まで溢れ出たのだった。
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(6/23 釜トンネル内を通って溢れ出た土石流 長野県松本建設事務所撮影&キャプション)

そもそも旧釜トンネルなどは、もっと頻繁に土砂の崩落があるような場所に穿たれたトンネルだった。
1999年にはトンネル出口付近で大規模な土砂崩れが発生し、すんでの所でバスが難を逃れている。

より安全な場所へと穿たれた「新釜トンネル」も、このように土砂に襲われているわけだ。

6月23日の産屋沢の土石流は上高地で唯一通行路を寸断した。観光客860人、ホテルなどの従業員340人が孤立してしまった。2008年に我々が上高地を訪れた際も、わずか3日後に中千丈沢(上高地バスターミナルと大正池の間にある)で土石流が発生して350名が孤立している。

この件に関しては、西糸屋山荘に泊まった時に、スタッフの方に尋ねてみた。
「土石流の時は大変だったでしょう」
「ええ、ここにも80名のお客さんが振り分けられました」
「よく宿泊できましたね」
「シーズン・オフでしたから何とかなりました。今の時期(お盆)でしたら不可能だったでしょう」
「(食料などの)備蓄は足りたんですか?」
「ええ、予想外でしたが何とか大丈夫でした。逆にお客様によっては持ち合わせのお金がない方もいらっしゃいました。ですから、そういう方には後日送金していただくようにしましたよ」

一瞬にして地上の天国「上高地」は災害救助法適用地域になりかねない状況となった。
翌24日早朝、釜トンネル内を含めた土砂の撤去と仮歩道の設置が行われ、午後からは観光客の「上高地脱出作戦」が開始された。バスと徒歩によるピストン輸送で、夕方までに全観光客の下山が完了した。
新釜・旧釜トン分岐点
(新釜トンネルと旧釜トンネルへの分岐点。バスがUターンできるスペースがあるので、ピストン輸送には助かっただろう。先ほど触れた映像に映っている白い車もこのスペースに退避したのだと思う)
さらに大正池近くに発生した県道路肩の崩落現場
(さらに大正池近くに発生した県道路肩の崩落現場)

自然が満ち溢れた場所だからこそ、人はそこに集まる。
上高地の観光客数は年々減少しているものの、今でも年間150万人が訪れる。

そんな上高地ではいま「野生動物の人間慣れ」が深刻な問題となっている。
観光客の中が野猿や鴨にエサをやってしまうために、動物たちが人間にエサを求めて近づくようになっているのだ。自力で食物の確保ができなくなった野生動物は、人間がいなくなる冬期には餓死してしまうだろう。
我々も大正池のほとりでアップルパイを食べていて、エサを求めて近づいてくる鴨に驚いている。
大正池の鴨さん
「もうここで食べるのはやめようか」とか「むしろ、おどかして追い払った方が、人間の怖さを知っていいのではないか」などと考える。

自然のなすがままに扱うということと、自然のなすがままに任せないこととの線引きというものは、本当に難しいものだと思う。道ひとつとっても、自然のなすがままに放置したら上高地へのルートなどあっという間に消え去ってしまうだろう。上高地は本当は人間に来て欲しくないから、あの手この手で人間が来るのを邪魔しているようにも思えたりする。
「なに新釜トンネルが開通するって?そりゃあいかん、人間どもが増えると生態系を壊すからな。よし手前の国道でも寸断させるか」なんて言っていたのかもしれない。

だから「自然に対して謙虚になる、いささかの畏れも込めて」という態度が、この地では一番正しいのだと思う。

ぶうらぶら

Posted by spiduction66