「忙」

どこの誰が言い出したか知らないけれど、
「忙しいの忙は"心が亡くなる"という意味だから、使わない方がいい」というのがある。

もともとこれを言い出した人は別のニュアンスで語ったのかもしれない。だけど現実に、この言葉だけが独り歩きしている。

以前から「これってただの屁理屈じゃないの?」と思っていた。
なぜなら「忙」という漢字が"心が楽しくなる"だったら、いくらでも使っていいことになるからだ。
同じ理屈で言うならば「国」という漢字は"国境の中に王がいる状態だから民主主義国家にはふさわしくない"ということになる。
「安心」の「安」という字も、"女性が家の中にいる状態だから現代社会には似つかわしくない"ということになる。
文字通り単に言葉尻をとらえただけの主張にしか思えない。

そこで古い漢和辞典を引っ張り出して、調べてみた。
【忙】(ボウ、いそがしい)忘と同じく心と亡から成るが、この字の場合は物事を忘れる原因となる忙しさを表す。亡はまた音を示す。
(角川漢和中辞典 1975)

なにこれ、ぜんぜん違うじゃん。

たしかに人から頼まれごとをされた場合に「忙しいから後で」というのはスマートな言い方ではないかもしれない。
「いくつか先に処理する案件があるので、時間を下さい」ぐらいの方がいいだろう。

だからといって、こんなへんちくりんな理屈を、いつまでも通していいものじゃない。

もしあなたに対して、相も変わらず"心が亡くなる"からうんぬんという古典的屁理屈を言う上司がいたら説明してやろう。

「あれは"忙しいと物事を忘れやすい"という現象の会意文字であって、"心がこもっていない"という第三者の客観的印象を文字にしたものではありませんよ。ノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹の弟である貝塚茂樹が編纂に立ち会った角川漢和中辞典にもそう書かれています。」

こんな屁理屈をぶちまけようものなら、漢字大国中国あたりへ転勤させられることを、僕が保証する。