CEATEC JAPAN 2011

1980年代、SONYのウォークマンのような携帯音楽プレイヤーが、日本発で全世界を席巻した時代があった。「メイド・イン・ジャパン」は良いものの代名詞だった。それは単に品質がいいという意味だけではなかった。音楽を気軽にアウトドアに持ち出せるんだよというライフスタイルの斬新な提案だったからこそ、全世界で人気を集めたのだ。

1988年9月に船で中国へ行った時のことを思い出す。
薄汚いバックパッカーになって、行き当たりばったりの旅を続ける中で、何人かの中国人と知り合いになった。もちろんそんな中には外国人専用の兌換券(同額でも人民券より価値があった)との両替目当ての人もいたけど、そんな人たちと会話していると、結構本音が出てきて楽しかった。当時の最高指導者であった鄧小平のことをボロクソに語り、日本に対する異様なぐらいの憧れを語ってくれた。

(冷却ベスト=背中に背負ったタンクからチューブを通してベストに冷却水が流れる。夏場の高温度な場所での作業もひんやり)

杭州行きの人民列車の中で出会った研究員「張海龍」さんが何よりも興味を示したのは、僕が持っていたカセットウォークマンだった。彼はそれを「ぜひ聞かせてくれ。聞いてみたい」と言った。
イヤホンを耳にすると、ヘンなリズムの取り方をしながらそれに聞き入っていた。そんな時にウォークマンに入っていたのはThe Byrdsの「Notorious Byrd Brothers (1968)」のカセットテープだった。すると彼は「もっとハードな音、もっとうるさい音はないか?」と尋ねてきた。
だからLed Zeppelinの「Ⅰ」のテープを入れてあげると「そうそう!こういうのをもっと聞きたい」と言って喜んでくれた。

(ゆるキャラ in Ceatec 2011)

当時の中国人民は、おそらくウォークマンなんて買うことはできなかった。
大都市には「友誼商店」という外国人専用のお店があって、そういう所でも何倍もの値段がついて売られていた。
たまにどこをどう流れたのか知らないけど、街の小さな雑貨屋に型落ちしたウォークマンが、後生大事にショーケースにひとつだけあったりするのだけど、その値段ですら優に中国人民の月収ナンヶ月分という凄い値段だったと記憶している。

(中国のLEDメーカーの自社製品。こうやってズラっと並ぶと美しい!)

「日本にはいい国だからぜひ行きたい。ウォークマンも欲しいし、いいカメラも欲しいし、うるさい音楽も聞きたい」ということを、何人もの中国人から聞いた。

ただでさえ初めて異国で自分が日本人であることを実感していたのだけど、こんなことを言われれば自国に誇りも持つし、日本に生まれて良かったとも思う。ちょっとしたナショナリズムに陶酔せざるを得なかった。ちょうど天安門事件の9ヶ月前のことだった。

あれから23年、中国は日本の経済を凌駕する存在となった。

(マスプロのディズニーアンテナ。関東中でミッキーがスカイツリーを睨む日も近いかも。この発想はかなり好き)

中国の家電店にも日本製品はいくらでも並んでいる。しかし彼らが買うのはウォークマンではなくiPodであり、Led ZeppelinのCDなんか買う必要もない。自国にはもっとハードで刺激的な音楽が満ち溢れているに違いない。それをCDではなく音楽データとしてiTuneストアからダウンロード購入して楽しんでいるに違いない。僕の青臭いナショナリズムや、自分が勤めていたCDショップ業界に対する思い入れなんて、もうメチャクチャである。

(ネットワーク型オーディオ&ビジュアル・アンプの背面。PCからUSB端子やケーブルで接続できるとともに、HDMI端子が鬼のように並んでいる。よくわからないけど古典的赤白のアナログ端子もどっさり並んでいる)

1980年代と日本の家電製品といえば「ワープロ」を思い出す。考えてみればこれほどドメステイックな家電製品はなかったろう。
僕の場合だが、1986年に最初の「シャープ書院」に始まり、最初は3行表示の液晶パネル、次いでラップトップ型、さらにハードディスク内臓型へと買い換えていった。Windows98の時代になってもPC用のプリンタはまだ高価だったし日本語変換能力では遥かに劣っていたから、PCと併用しながら2000年頃まで使用していた。だけどOffice 2000の発売とともにその14年の「ワープロ歴」に終止符を打たざるを得なかった。

(「セカイカメラ」の頓智ドットの新しい提案。対象物を撮影するとそこに3Dキャラが登場する。今回一番印象に残ったかも。今のところAndroidアプリらしい)

日本国内だけで独自の進化を続けたワープロは、その変換能力の高さや使い勝手のよさがPCの文書作成ソフトに比べて格段に高かった。最近のWord2010ですら、10年前のワープロの変換精度や、図表の作成機能には適わないかもしれない。

ワープロはそのドメスティックな運命ゆえに、1990年代の後半を境にして海外のイノベーターたちによるPC文書作成ソフトに完全に引っくり返された。
——————————————————————————————

なんでこんなことを長々を書いたかと言えば、今回の"Ceatec 2011″がまさにそんな「引っくり返された日本」の現状を物語っていたからだ。
過去に見てきた4つの見本市、
Ceatec 2010
Ceatec 2009
WPC 2006
WPC 2005
では国内の大手家電メーカーのブースでも、何かみるべきものがあった。

(3年連続出場のムラタ製作所のムラタセイサ君とセイコちゃん。以前は出演時間以外は楽屋に引っ込んでいたし、撮影禁止だったけど今年はフツーにステージ上でつっ立っていた)

ところが今年はどうだ?
3Dのテレビ?そんなこともありましたねー的に180度転換した大手家電メーカーは、口裏をあわせたかのようにこぞって家庭内ネットワークを紹介していた。

「見たい録画番組の続きは端末デバイスを利用して自分の部屋やアウトドアでも見れます!」
なんて言われても、
「ふーん。家にテレビが一台しかないからこそ、チャンネル争いがあって家庭的なんだけどな」
と一蹴するしかなかった。
「あなたの家にあるいくつもの家電製品の電力使用状況が、ひとつのモニターですべてわかります」
と言われても、
「そうでなくたって築40年の我が家は30アンペアだから、電子レンジとPCとエアコンつければブレーカーが落ちるからエコだよ」
と一蹴するしかなかった。

今のはいささか個人的事情があるけど、そもそも家庭内ネットワークなんて10年以上前から言われていたことだし、何が進化した?と言われても、ネットワークの端末にあるデバイスがタブレットやスマートフォンなどに進化しただけで、そのシステムそのものには新味はない。
むしろ見えてきたのは「すんません、もう売るものがないんですわ」という大手家電メーカーの焦燥感だった。

前回、スティーブ・ジョブズ氏の死について書いたわけだけど、僕は色々な自己矛盾に気づいていた。確かに彼の功績というのは凄いものがあるし、1990年のMacintosh IIcxとの出会いは、自分の人生に大きな影響を与えている。
その一方でこうも考えている。「確かに彼のおかげで世の中は便利になったけど、失われたものも大きい」と。
「引っくり返されたCD小売業界」「ひっくり返された日本」なんていうのもそのひとつだと思う。
今回ほどそれを痛感したCeatecはなかった。

広い会場を歩き回って、すっかり疲れ果てた我々(JUNYA、ISAO)は、なぜかintelのブースでこんな液晶タッチパネルで遊んでいた。マイクロ・プロセッサの歴史を追った画像のカードと商品解説のカードをタッチして「絵あわせ」するゲーム。世界初のCPUIntel 4004の古典的な可愛らしさに「うぉー」と驚嘆した。

ここにインテルの原点があるのならば、我々にも何か原点が作れるかもしれない。
「引っくり返されたのならば、また引っくり返せばいい」
業種も異なる3人の男たちは固く誓いあったのだった(笑)