My Home Town -昭和40年代の洋光台-

僕はしばしばスクールのライブをビデオカメラで撮影し、編集からDVD制作まで行いますが、これって実は父親譲りなんです。

僕の父は昭和36年に母と結婚する前に、たしかエルモ社製だったと記憶していますが、8mm撮影機を購入しました。
当時の8mmフィルムは音声も収録されないものでしたが、これを使って10時間以上にわたる映像を撮影してきました。
今だったら10時間なんて一瞬で撮影してしまいますが、当時はフィルムも高価でしたから10時間なんていうのはかなりな量です。

初期のものは、きちんとタイトルをつけて編集し、一本の作品に仕上げています。
昭和35年の羽田空港の風景なんかも貴重ですが、父と母が叔父や叔母たちと白馬や逗子に遊びに行った際の映像は、ポスト太陽族だった時代の若者たち...って親父たちですが....の風俗が垣間見えて面白いものです。
もちろん僕の赤ん坊の時の映像もかなり残っています。

もちろん「編集」というのは今のようにPCを使ってササッと切り貼りできるわけではありません。
現像された8mmフィルムをハサミで切ったり貼ったりしてつなぎ合わせるのです。
僕は子供の頃、そんな作業をしていた父の姿を覚えています。

またカラーフィルムが高価だったこともあって、現存しているフィルムの半分ぐらいが白黒です。
だけど昭和46年に生まれた僕の妹に対しては、ふんだんにカラーフィルムを使用しています。
当時の父はかわいくてたまらない末娘を撮影したつもりだったんでしょうけど、今や歴史に対して貴重な記録を残してくれました。

この「My Home Town」という作品は、2009年に「磯子ビデオフェスティバル」に出品したものです。
ちょうど出品の依頼を受けた時に、いいタイミングで膨大なフィルムを業者さんに頼んでデジタル化した直後でした。
ですから現在の風景と対比させて、3分50秒の作品に仕上げたのです。

街に子供たちが沢山いた時代の洋光台が垣間見えると思います。