紅白歌合戦で「ヨイトマケの唄」が歌われる日

2012/12/20 木曜日

「第63回NHK紅白歌合戦」の曲目が発表された
美輪明宏さんが「ヨイトマケの唄」の歌うことが決定した。

(「ヨイトマケの唄」丸山(美輪)明宏 – 昭和40年7月発売)

7年以上前からmixiで「紅白歌合戦でヨイトマケの唄を!」という「全然盛り上がらない」コミュを運営してきた人間としては、何とも感無量だ。

僕の生まれる5か月前に発売されたこの曲は、ひとつの完成された物語だ。
主人公は「貧しい土方」の子供であり、母親は日雇い人夫で地慣らしの「ヨイトマケ」を仕事としている。
主人公は学校で「ヨイトマケの子供」「汚い子供」といわれのない差別を受けながらも勉強を続け、やがてエンジニアとして立派に独り立ちする。彼の人生を支えたのは、母親の汗水たらして働く姿だった。

(ヨイトマケ)

この曲を聞いていると、「汗水たらして」とか「勤勉」なんていうバブル期以降は古臭くなってしまった言葉の数々がなぜか新鮮に映る。
それは美輪さん(当時は丸山明宏)の言葉のひとつひとつを大切に歌う表現力の賜物なのだろう。
大衆文化評論家のさすらい日乗さんとお話しした時に、「今の音楽に足りないのは歌い手が歌詞の主人公を演じ切ること」とおっしゃっていたことを思い出す。

(美輪さんはこの曲を主人公になりきって歌う)

1965年といえばフォーク・ソングも全盛になっていない時代だ。音楽的な意味ではなく「物語性」「社会性」という意味において画期的な「フォーク・ソング」だったと思う。
(単に物語性ならば1955年の中村メイコの「田舎のバス」の方が早いし、それ以前にもいくらでも探せばある)。
三島由紀夫はこの曲を「これが本当の歌」だと絶賛している。

さて、7年前、僕はこのBlogで「2005年の紅白歌合戦は「ヨイトマケの唄」だ」というのを記事にした。2005年の紅白歌合戦の際、NHKは「スキウタ?紅白みんなでアンケート?」という企画を打ち立てた。
戦後60年だったという節目もあって、戦後の時代を彩った楽曲の数々を歌ってもらおうというコンセプトがあったようだ。あらかじめNHKが選んだ「時代を彩った600曲」の中から視聴者による人気投票を行う、というものだった。その中に「ヨイトマケ」も候補として上がっていたことを受けて記事にしたものだった。

この時に、僕はこのようなことを書いている。

もともと「職業差別を感じさせる」という理由から放送禁止歌(あるいは放送自粛歌)だったこの曲、数年前に美輪明宏本人がNHKで唄っており、「おっNHKもサバけてきたな」とは思っていたが、まさかここまでやってくれるとは.....
紅白を見ない大晦日の生活をはじめて久しいが、実現の暁には美輪本人が歌うことは間違いなく、中島みゆき以来の名場面になることは間違いないだろう。

結局「ヨイトマケ」はランクインすらしなかった。実際のところNHKの企画そのものが企画倒れだった。
どのアーチストも自分の最新のヒット曲を歌いたいのは当然であるし、ましてや他人の過去のヒット曲など歌いたくはない。
アンケートの結果は出たものの(紅組一位「LOVEマシーン」、白組一位「世界にひとつだけの花」)、出演選考や楽曲決定の段階で「スキウタ」のアンケート結果はうやむやにされ、結局のところアンケート結果が反映されたような、されないような....何とも中途半端な内容となった。

冷静に考えれば「ヨイトマケの唄」など、人さまの人気投票でランクインして歌われるような曲ではないのは明らかだ。
あれは今のNHKが地デジ上で一番過激で冒険をするような放送局でなければ、できる芸当ではないだろう。
よくぞやってくれました、とプロデューサーにお礼をいいたい気分だ。

そんなわけで12月31日は、炬燵に入ってミカンでも食べながら、元生徒の倉持明日香ちゃん(AKB48)と、「ヨイトマケ」とを楽しもうと思う.....と言いたいトコロなのだけど、多分無理だ。

29日から長野へ旅行に行っており、この日に帰る予定だけど、午前零時までに横浜に戻る自信はない。おそらく中央高速か東名高速のどこかで新年を迎えることになるだろう。

最後に加筆するが、まだ丸山明宏だった時代の美輪さんを、銀座のシャンソン喫茶「銀巴里」で見ている人を知っている。僕の母だ。
母が大学生もしくは、就職しはじめた昭和30年代前半のことだと思う。だけどそのあたりを詳しく母に尋ねても言葉を濁される。
自分が「遊んでいた」ということ(と言っても健全なものだと思うのだけど)をあまり人には話したくないようだ。
母には、今年亡くなられたシャンソン歌手の芦野宏さんから結婚を申し込まれたという伝説もある(祖母の話)。
その点を突っ込んでも、うまくはぐらかされる。母はそのすべてを棺桶まで持って行くのだろう。