刑務所の壁

日付は逆になるけど、10月18日の話。
翌19日の「南部市場」イベントのため、前日にまつざきさんのPAを搬送することになった。18日のまつざきさんは港南区公会堂でイベント。そこの駐車場でまつさきさんと待ち合わせして、車から車へとPAのつみかえをすることにした。

実はこの駐車場、刑務所の壁の中にある。

正確にいうと数年前に横浜刑務所が用地縮小した際、刑務所の「壁」の一部を残した。これを公共駐車場の壁として再利用しているわけだ。場所は港南中央のオートバックスとTSUTAYAのあるビルの裏。

まつざきさんが来るまで5分ほど時間があったので、この壁をじっくり観察してみることにした。

【レンガ】

とり壊された場所の壁が、その断面を露出させていた。
コンクリートに混ぜられている砂利に大量のレンガくず(赤い斑点)が含まれていることに気付いた。
後で調べてみたのだけど、この刑務所が竣工したのは昭和11年なんだそうだ。
いっぽうレンガ建築は明治のはじめから流行した建築スタイルだったけど、関東大震災によって耐震性のなさが露呈してしまったため、その後、多くの建物がとり壊されている。昭和11年当時、廃材となったレンガはこんな形で再利用されていたのだろう。

【壁あてのボール痕】

壁のきわめて限定された一箇所だけに、集中的にボール痕が残っていた。駐車場で子供が壁あてするとは考えにくく、手でぬぐってもおちないぐらい古いもの。
ここで壁に向かってボールを投げ続けた人は、本当は何をどこへ向かって投げようとしていたのだろうか?

【脱走よけ】

見上げると壁の上部に50cm間隔で金属のポールがつき出ていた。おそらくこのポールに有刺鉄線をはわせて脱走よけにしていたのだろう。まさかと思うけど、そこに電流が流れていたとは考えにくい。アウシュビッツじゃないんだから。

【A地区】

はコチラです。
これを書かされた囚人の「Sさん」は、元看板屋さんかペンキ屋さんかなんかだったのだと思う。ナイスな明朝体が輝いている。本当は「←A地区」と書かなければいけないところを、「A←地区」としたのは、彼の精一杯の抵抗だったのかもしれない。

【数字】

さすがは秩序ある刑務所だけに、壁への落書きらしきものは全く確認できなかった。唯一確認できたのがコレ。「87 01」とあった。これを書いた人は87年の1月が出所予定月だったのか、入所した月なのか.....と考えているウチに気付いた。
「これって....単にナンバープレートの番号をキーで壁に落書きしただけなんじゃないか?」
その瞬間、僕は「壁の外の人」に戻った。

まつざきさんがさわやかな笑顔で「いやあお待たせしました」とやってきた。