NANA

3つ上のに姉、6つ下に妹、という家庭に育ったせいか、少女コミックにはさほど困らなかった。古くは「キャンディキャンディ」も読んだし、「はいからさんが通る」「ヨコハマ物語」「悪魔の花嫁」「動物のお医者さん」「日の出処の天子」も読んだことがある。

でもこの15年は読んだことがなかった。

そんなわけで最近ちょっと気になっていた「NANA」を、ハマーから借りて7巻まで読んだ。その感想を書こうと思っている。

これは「NANA」という同じ名前の二人女の子の対照的な生き方を描いた話...って僕よりもこのblogを読んでいる人たちの方がずっと詳しいだろう。

まあいいや。もともとはNANAという名前の二人の女の子の独立した話があって、それぞれが数話で完結していたようなのだが(1巻を読むとわかる)、連載延長かなにかになったため、ストーリーが発展し、二人の人生が交錯していったようだ。

結論から言うと面白かった。登場人物の性格やモノの考え方がしっかり設定されていたからだと思う。また片方のナナがパンク系バンドのボーカリストということもあり、バンドアンサンブルが次第にできてゆくプロセス、インディーズかメジャーかの選択なんていう音楽的な部分までキチンと描かれているのには感心した。

ただ、奈々の方が1~2巻単位で彼氏が変わってゆくのには驚いた。この点が僕がむかし読んだ少女コミックと最も違う点だった。

たとえば1960年代の少女コミックは
出会い→片思い
で終わるものがほとんどだったと思う。むしろ主人公の少女は何か打ち込むものがあって(バレエ、正義の味方、お姫さま、魔法使い)、ひたすらその道を邁進するのだ。たまに憧れの人が通りすぎると目を輝かす程度で、決してアプローチをしようとはしない。

それが1970年代の少女コミックになると、
出会い→片思い→恋愛成就
で終わるものが増えてゆく。くっつきそうでくっつかないスリル感や、徹底したすれ違いというものがあって、それが読者をハラハラドキドキさせていた時代だった。

それが1980年代になると、
出会い→片思い→恋愛成就→結ばれるというところまでゆくようになる。
「恋愛成就」から「結ばれる」に至るプロセスも、有為転変があったりして、二重に読者をハラドキさせていたわけだ。

「NANA」を読んでビックリしたのは。
出会い→結ばれる→出会い→結ばれる→出会い→結ばれる
がエンドレスループのように繰り返されるという点だった(しかもいきなり不倫だぜ)。

少女コミックが15年の間に進化して、こういう内容になったのか、それとも「NANA」が突然変異で生まれたのかという点は、僕にはよくわからない。1980年には「レディースコミック」という新しいジャンルがあって、OL向きの雑誌とかで、こういう展開があったぐらいじゃないかな。

だけどよく見たらこのコミックって「りぼん」なんだよね。「りぼん」といえば、「ちびまる子」や「動物のお医者さん」といったほのぼ系というイメージがあったけど....うーん変わったもんだなぁ。

そのかわりといってはナンだが、登場人物のキャラクターの心理描写は、今まで以上にきちんと描かれている。主人公の奈々(ナナはサブキャラだと思う)はホント等身大の人物で、心の隙間を精神的にも肉体的にも埋めるべく必死に何かを追い求めている。そして、その揺れ動く心理は自己嫌悪から自己満足までリアルに表現されていることに感心した。
これだけキチンと描かれていれば、誰しもが自分にオーバーラップさせることができるし、共感するのは無理もないだろう。それと話の展開にもスピード感があり、60~70年代のコミックが時速30kmだとしたら、このコミックは時速200kmぐらいでつっ走っている。

いちおう7巻では奈々が真っ正直そうなノブというキャラクターと結ばれたので、おさまるところへおさまったのかな?と思っている。しかし、そうは問屋がおろさないそうだ。聞けばすでに14巻まで出ているらしい。っていうことはあと4人ぐらいは彼氏の代わるのだろうか......それだったら、もう読んでもくたびれてしまうかもしれない。そうならないことを祈っている。

ちなみに僕が気に入ったキャラクターは頭がツンツルテン(スキンヘッドと言え!)でサングラスかけている奴。ゴチャゴチャに入り組んでゆく人間関係を超然と見据えているようなトコロがあって(あるいは自分がこの人間関係に深入りすることを故意に避けているのかもしれないが)、「これが男の生き方だよな~」と、妙に共感してしまった。

最後になるが、ナナが尊敬しているセックス・ピストルズのシド・ビシャス。彼は1970年代の終わりにヘロインのオーバードーズで亡くなった人物。彼のホンモノの映像が見たい人は、僕に声をかけてね。