始末書第一号は僕でした

「吉野町こびとさん」でTAPESTRYのライブを見終わった後で、会社から携帯に電話がかかってきた。

「宗さん、通帳を落としたでしょう」
「えっ?」
「拾った方が、”ちょうど上大岡は帰り道だから”ということで、わざわざ教室まで届けて下さったんです。名刺も頂いています」

実はライブに行く途中で、売上金を無人ATMで入金した。
どうもその時に、数冊持っている通帳のうち、一冊を落としてしまったようなのだ。

「どの通帳?」と尋ねると、ある銀行名を教えてくれた。
幸か不幸かそこは以前、取引の必要にかられて開設した口座だった。
今では必要なくなったので、預金もメインバンクの方に動かしている。
残高は数円しかない。

とりあえず、他の出演者のステージがキリのいいところで教室に戻る。
頂いた名刺を拝見した。

それにしても拾って下さった方がいい人で良かった。
そのまま放置してもよかった。
厄介なモノ、拾っちゃったなと思われただろう。
何しろ明日は土曜日だから、銀行は休みだ。
そこで会社名を調べてくれたのだろう。
そうしたら、自分の帰宅途中にある。
どうも夜遅くまでやっているようだ。
届けるのが一番手っ取り早いと判断されたのだろう。

僕は名刺を捧げて感謝した。

どうも病院にお勤めの先生のようだ。さすれば明日も勤務されているに違いない。
だったら菓子折りを持参して直接、お礼に行くのが一番だと思った。

僕には、もう一つやらなきゃいけないことがあった。
「会社の通帳を落とす」というのは、外見的にどう見ても「始末書もの」だということだ。
実質的な損害こそないものの、残高が数円でも「厳秘管理書類」という性格のものには変わらない。
「なあなあ」で済ませてもいいのかもしれないけど、それだと組織の規律が保てなくなる。
いささか神経質すぎて、作家の泉鏡花っぽいなぁとは思ったけど、
もし、今度社員に何か不始末があっても「なあなあ」で済ますことになってしまう。

普通、始末書というものは直属の上司もしくは、会社のトップに書くものだ。
ところが僕の場合は、自分が会社のトップなわけだから、提出先もまた「自分」ということになる。

この場合の「自分」っていうのがまた微妙な意味合いを持っている。
僕は株式会社ミューズポートから代表に任命された社長であるという認識を持っている。
だから、提出先は法的に会社を代表としている一機関としての「代表取締役 宗澤俊郎様」となる。

一方、始末書を提出する「宗澤俊郎」は誰なんだろう?
多分これはいち従業員としての僕であり、経理部門の統括責任者としての僕ということになる。
だから提出名は「宗澤俊郎」とだけした。

生まれてこの方「始末書」となるものを書いたことがないので、WEBで調べてみた。
おおむね「発生した事柄」「結果どうなったか」「お詫び」「原因の考察」「再発防止のための今後の対応」という流れのようだ。
それに即して「ミューポ始末書 第一号」を書き上げた。

普通はそこまではしないけど「社内回覧」の付箋もつけて、スタッフに回覧させた。
天国と地獄
(関係ないけど黒澤明「天国と地獄」で舞台になったあたり。「ホシの言いぐさじゃないけど、ここから見るとあの屋敷はお高くとまって見えるなぁ」と言われた山は、今ではビルの谷間。病院へ行く途中で撮影)

土曜日の午後、菓子折りを持って南太田にあるその病院へと伺う。
残念なことに1時間前に退社されたとのことだった。
土曜日は午前のみの診療のため、午後はだいたい帰られてしまうとのこと。
その際の職員さんたちの対応がとても丁寧だったのに感心した。
直前に駐輪場に原付を停める際にも、職員の方から「ここが空きますからどうぞ」というように言われたのだ。

会社に戻りながら思った。
組織には「文化・思想」というものがあって、それはトップが作り上げるものだ。
その作り上げたサムシングの中で、従業員は動かざるを得ないからだ。
僕にはそういう意味で物凄く大きな責任がある。
もしトップが平気で人を騙したり、いい加減な人間だったりしたら、どうだろう?
その程度の企業しか生まれないし、その程度の人しか育たない。

あの病院にもしっかりとした文化や思想があるのだろう。
もちろん届けて下さった方ご本人も素晴らしい方なのは言うまでもない。
でも、そういう人が共感して集まってくる組織の文化や思想というのもある。
そういう空気の中で働いているからこそ、というのもあると思う。

これは、それを創り上げる経営者にとっては大変なプレッシャーだ。
でも、自分あての始末書を書いて良かったな、と思った。

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