ある生徒さんへの返信

●●君へ

今日はあなたが帰った後で、このメールに気づきました。
もしかしたらこのお話がしたかったのかなぁ~と思いつつ、お返事書いています。
非常に難しい話で、何度も読み返しても哲学的なことはどうも自分に向いていないなぁ~と思いつつ、お返事書いています。勘違いがあったら申し訳ないです。

読んで感じたのは「アウトサイダーアート」という自己の音楽に対する説明よりも、「無意識下からの表現」ということの方が遥かにあなたの音楽の説明として合点が行くということでした。

ただご存じの通り「無意識下」と「意識下」との線引きはとても難しいものですね。
家族のこと、生まれ育った境遇、自己の精神状態ということは、当然無意識 下で形成されたもので、それがあなたの今を形作っていることは紛れもない事実です。怒りやすい人、泣きやすい人、エラそうな人、おとなしい人、活発な人、すべて無意識下で形成されたものですね。

でも、こと「表現」というものを考えた場合、「無意識下」にあるものだけがそれを形作るのではありませんよね。例えば幼少からあなたが聞いてきた音楽や小説、長じてから意識して聞いてきた音楽や小説、それぞれがあなたの表現を形づくっているのだと思います。

そうした中には無意識下なのか意識下なのか線引きすることがとても難しいものもあると思います。

例えば村上春樹の話が出ましたが、彼のスコット・フィッツジェラルドからの影響はとりわけ初期の短編を読んでいると感じます。実際に翻訳もしていますね。
僕はたまたまフィッツジェラルドから先に入ったので、村上の短編を読んでいて「日本でもこういう作風で書ける人がいるんだ」と思ったものです。1982年頃の話です。
それが「無意識下」の創造の産物なのか、意識的にそのスタイルを踏襲したものなのか、ということは村上自身も詳細にわたっては説明できないのではないでしょうか。ある時は無意識下、ある時は意識下での創造という事は否定できないと思います。

音楽ではこんな例があります。
ジョージ・ハリスンが「My Sweet Load」という曲をヒットさせたことがあります。
https://www.youtube.com/watch?v=0kNGnIKUdMI
その後、ある作曲家側から訴えられました。これは10年前にヒットした「HE’S SO FINE」というヒット曲にそっくりだという訴えです。
https://www.youtube.com/watch?v=5vQEy3J_DOQ
決してジョージは意図的にパクったわけではなく、彼の潜在意識下に10年前のこのヒット曲があって、本人も悪気なく自然と自分の中から出てきたメロディーが酷似してしまったというわけです。ジョージはこれを認め「(意図的ではなく)潜在意識下における盗用」ということが認められた珍しい判例となりました。

その線引きということに、やや拘ってものを書いてしまいましたが「絶対の無意識下という深淵」のみから決して創造は生まれない、これは村上自身もよくわかっていることと思います。ただ彼の「無意識下の深淵」を、彼自身がよく把握していて、そんな暗闇の中から、取り出すものが何かをよくわかっている。
これが彼の凄さだと思います。

「取り出すものが何かをよくわかっている」ということを言い換えれば「もう 一人の自分がそこにいる」ということになりますね。まさに岩崎さんがおっしゃられる「自分を客観視する」ということだと思います。

夏目漱石ということが出てきましたが、彼の「吾輩は猫である」が、精神病患者 の冷静な自己観察日記でであるということは良く言われますよね。苦沙弥先生は 漱石自身であり、「猫」は「自分を客観視するもう一人の自分」という図式です。

あの小説の中に「うちの主人は変わっている。自分の子供たちを箪笥に上に並ば せて”そこから飛び降りてみろ”と言ったりする」というようなことを猫が語るくだりがあるのですが、これは漱石が本当に子供たちに行っていたことで、ここのくだりを読むたびにその自己観察の筆致にゾッとします。

漱石は元来コンプレックスの塊で、元旗本という厳格な家庭に育ったおかげで神経質であり、英国留学でさらに病状を悪化させました。それで友人に「気晴らしに小説でも書いたら」と言われて、恐るべき自己観察日記を書いたわけですね。
でもこのように「猫」という「冷静なもう一人の自分」という存在を使って、多少なりとも気晴らしにはなったのではないでしょうか?これを書くことで少なくとも「負のフォース」に引き込まれることがなかったから、以降作家としての地位を高めていったのだと考えます。

僕自身似た経験があります。
10年前に交通事故で頭に衝撃を受けたことがあるのですが、直後に過呼吸、先端恐怖症、対人恐怖症に襲われたことがあります。この時「冷静なもう一人の自分」がいたおかげで、随分助けられました。その人は「自分、おかしいぞ!」と 何度も言ってくれました。だから精神科医のお医者さんへ行って「事故以来、自分がおかしくなっている」と医者に伝えることができた次第です。

「冷静なもう一人の自分」は、無意識下の深淵をきちんと整理して、そこから必要な情報をうまく引き出してくれる、系統立てて整理してくれるデータベースのような存在なのだと思います。

とりとめもなく読んだ感想を書かしてもらいました。長文失礼しました。