フランス行ったら洪水だった Part 1

こんにちは「下山事件資料館」というサイトを運営し「事件、事故、災害」というキーワードとは妙に縁のある管理人です。

そんな管理人がほとんど縁が無かったのが海外旅行。
何しろ1989年3月にシアトルへ行って以来、一度も国外へ出た事がありません。
元来「飛行機嫌い」というのもありますが、何か自分が行くと(自分に対して)よくないことが起きるんじゃないかと思っていたのです。そんな僕が会社からお休みを頂いて、フランスへ旅行へ行こうと決意したのは、高齢となった両親の「お供」をするという使命があったからです。

すでに半年前から決まっていたこの旅行でした。
ところが出発(6月1日)直前になって「フランス中北部で大雨による洪水災害」というニュースが舞い込んできたのです。1910年以来116年ぶりの災害とか。

「今度はそうきたか」と思いました。

親たちの疲れを考えて最初からパリをスルーする覚悟でいたのは正解でした。セーヌ川の氾濫でパリは観光どころではなかったはずです。
パリ近郊では「ル・ブルジェ航空宇宙博物館」をチラっと見たぐらいで、ほぼダイレクトにフランス中部の都市オルレアンヘと向かいました。オルレアンはパリから南南西に130kmの場所になります。

パリ市内は外環道路で通過しました。雨こそ降っていないものの空は低く垂れこめた灰色の雲に覆われています。
あっ、この付近は左ハンドル右側通行に慣れている父が運転しています。僕はナビ係です。
6月2日お昼頃のパリ上空
(6月2日、お昼頃のパリ)

レンタカーのカーナビでは「この先の分岐を左へ、A10を進め」とか言ってるんですが、実際に分岐路に差し掛かると「A10(高速道路)」はコーンポールで閉鎖されています。要するに交通情報との連携がうまくいってないんですね。
そこでGoogle Mapで確認したらA10は洪水の影響で、ここから先オルレアンまでの区間が上下とも閉鎖されているではないですか。
否応なしに「A11」という高速へ連れてゆかれました。
「通れないなら通れないって表示しとけよ!」と思うのですが、たぶんフランス語では表示されていたんでしょうね。いずれにせよわかるわけがない。
三角コーンで閉鎖された高速道路の一例 フランス洪水
(三角コーンで閉鎖された高速道路の一例)

みるみる南下ルート「A10」と離れて西へと進んでゆくので、一つ目のインター(アブリ[Ablis])でUターンします。
そして先ほどの閉鎖された分岐を横目に睨みながら、A10東側ひとつめのインターで降りました。
スーツ服の「ダーバン」みたいな名前のインターでした。後で調べたら(ドゥルダン [Dourdan])でした。全然違いますね。
閉鎖された高速「A10」の東側に平行してオルレアンまで通じる道があったんです。これを南下することにします。

ようやく田舎らしい風景となってきました。
今まではナビの設定やらルート把握やら何やらに追われてたのが、ようやく一息ついて車窓の風景を楽しむ余裕ができてきました。
ふと前方を見ると、赤白のテープで囲まれて池のようになっている箇所があります。
さては洪水の影響かとあわてて撮影したのが下の画像です。
これをGoogleのストリート・ビューと照らし合わせてみました。
フランスコルブルーズの水路崩落
(コルブルーズ付近)
Google同一地点 2009年
(Googleストリートビューの同一地点 2009年)

暗渠の出口の「蓋」が水圧に耐えかねて地盤ごと崩壊したのでしょう。小さな池になっているのがわかります。地名表示の看板(村の入口に必ずあるやつ)もどこかへ流されてしまったようです。「2016年欧州大洪水」という割には随分小さな被害ですが、これがどんどんエスカレートしてゆきます。
ここから先、ル・トルヴィリエという小さな集落で父と運転を交代します。これが人生初の海外運転となりました。
「D2020」という「県道(勝手にそう思っています)」をオルレアンまで70kmほど南下して行きます。

オルレアン手前のセルコットという街の入口から渋滞が始まったのですが、右手をみるとかなりの広範囲で家々が水没しているではありませんか。
フランス洪水 セルコット付近
フランス洪水 セルコット付近で水没する家々
(フランス洪水 セルコット付近で水没する家々)
これは後になって知るのですが、パリのセーヌ川が氾濫というニュースばかりに気を取られて被害の範囲が定かではなかった我々、実際に被害が甚大だったのは今まさに行こうとしているオルレアンやその周辺地域だったわけです。
Googleセルコットの同一地点 2011年
(Google Street Vew上画像と同一地点 2011年)
これはGoogleのストリート・ビューの同一地点です。
うわあかわいそうだなぁ、浸水しているのは2011年時点で建設途中だった家々だったことがわかります。
ようやく手に入れた夢のマイホームがわずか5年で浸水なんてシャレになりません。フランス人サラリーマンの悲哀を感じました。

オルレアン市内に入ると大渋滞。
被害の実態がわかっていない能天気な我々は「夕方のラッシュ」ぐらいに思っていましたのですが「洪水で身動き取れない車を救出、フランス水害」「フランス洪水、強盗逮捕に貢献 濁流で林道冠水して逃げられず」というニュースを見てもわかる通り、この街ではあちこちで道路が冠水していたんですね。寸断された道路だらけで交通がマヒしていたのでしょう。

(AFP通信の映像。浸水しているのは我々が乗ろうとしていたA10。実は前日火曜日から閉鎖されていた模様)

(高速に乗ってたらこうなっていたと納得の映像)

運の良いことに、父が予約したホテルは市街地からやや離れた場所にありました。初日は高速のインター出口の近くが楽だろうという単純な理由でした。抜け道を探しつつ、ナビに騙されつつ、道を間違えつつしながらも何とかホテルにたどり着くことができたのは夕方17時頃だったと思います。初運転という緊張感もあってクタクタでした。オルレアンといえばジャンヌ・ダルクが有名ですが、今から市の中心部へ観光に行く気力はありませんでした。行ってもまともに見れたかどうかはわかりません。
フランス水害 増水するロワール川
(ホテルの裏庭で撮影。増水するロワール川)
ホテルの裏庭に出てみると、ロワール川は増水で濁流のようになっていました。
これも後で気づいたのですが、柵の向こう側は傾斜になっていて、傾斜の下には川沿いにもう一本小道があるんです。その一本は完全に水没しちゃっていたわけです。

夕食は近くのレストランで食べたのですが、あっと言う間に満員。
隣の席ではパーティーで話がはずんでいるし、こちらの席では母親と息子夫婦が和やかに食事、お国柄なんでしょうか、とても被災地感はなく盛り上がっていました。
だから我々もそういう地域にいるなんて感覚は全然なかったわけです。

夜にロビーで見たニュースです。
洪水を報じるフランスのテレビ
「レポータのピエール、そちらの状況はいかがでしょう?」って言っているに違いありません。
洪水を報じるフランスのテレビ
「ハイ、ピエールです。私は今セーヌ川の川岸におりますが、ごらんの通り水位は上昇を続けています」と言っているのでしょう。
洪水を報じるフランスのテレビ
「ピエール、ありがとう。さて現在の被災状況をご覧下さい」てな感じだと思います。

翌日は幸運でした。オルレアンからリモージュ(約250km)へと向かう高速[A71]は閉鎖と聞いていたのですが、ダメモトで行ってみたら下り線は通れたのです。
ガラガラのA71
ガラガラの高速道路を心置きなく走ることができましたが、車窓から見える風景は所々で畑が冠水していました。高速のダメージも大きかったようです。
閉鎖されたインターもありましたし、リモージュの手前では工事のため車線規制や片側相互通行になったりしている区間もありました。

この後、フランス南部の田舎町を回って、再び被災地域に戻ってくるのは6月7日。
ここではもっと生々しい現場を見るわけですが、この話は次回にします。

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