ビートルズ来日15周年記念日が初めてのライブだった

1981年の春、高校入学のお祝い金を握って、御茶ノ水の下倉楽器で買ったのがエレキギターでした。
YAMAHAのストラトキャスターで色はブルー。

同じ中学、同じクラスから進学した友人にポール・マッカートニー好きな奴がいて、彼が左利きのベースを買ったので「さあ、バンドやろうぜ」。
とりあえず「ロック同好会」というのに入りました。

運よく同じクラスの女の子がドラムとサイドギターで参加、何とか体裁が整ったところでバンド名どうしよう?という話になって、つけた名前が「鹿鳴館(ろくめいかん)」という名前負けしそうなもの。文法は滅茶滅茶だけど「Rock May Can(ロックできるかもしれない)」みたいな意味をかぶせたわけです(ちなみに前年に目黒に同名のライブハウスができたなんて事は知る由もありませんでした)。

とりあえず最初のライブが6月29日の「ロック同好会定期ライブ at 音楽室」に決定、何をやろうか?という話になって、考えてみればやりたい曲も方向性も決めていないことに気づいたわけです。友人はビートルズがやりたかったのですが、僕はそうでもなかった。まあ「バンドやろうぜ」だけが先に行っていたわけです。

当時の自分はThe Whoに本格的にハマり始めていた時でしたが、メンバーに渡せるスコアを持っていないし、耳コピでスコアを作る能力なんてありませんでした。そこで取ったのが初心者バンドがやる安直な手段「スコアのある曲をやればいい」作戦をとったのです。
決まった曲は結局ビートルズの「Back In The U.S.S.R.」と「A Hard Day’s Night」でした(笑)

校舎に隣接した「生徒会館」という名の日本家屋で練習を始めたのですが、まあとにかくギターには苦労しました。
それまでフォークギターで井上陽水とかさだまさしとか弾いていたヤツが、いきなりロックンロールのリフを弾くわけですからね。エレキギターの練習をしながら、曲の練習もするわけです。

おまけにこの2曲はソロが大変。「U.S.S.R」ソロのチョーキング・プレイ(当時はジョージが弾いているものと信じていましたが、実はポールが弾いています)の方がまだマシといえばマシだったのですが、「絶対無理!」と思ったのが「A Hard Day’s Night」の3連符のソロでした。実はあればジョージが半分の速さでプレイしたものをテープを早回ししたものだなんてことを知るのは30を過ぎてからのことでした。そもそもビートルズ最大の謎のひとつと言われている「イントロのジャーンというコードは何を弾いているのか?」問題は解明されていない段階でして、バンスコの言われたままにヘンなコードを弾いていました。
「だいたいギターの音が全然違うんだよな。ジョージのはいいギターで俺のは安物だからかな?」というレベルの謎に至っては、未来からタイムマシーンで飛んで「バカ、あれは12弦ギターだ!お前の持っている本にそう書いてあるだろ」と言ってやりたい。

【Back In The U.S.S.R. – 1968】
まあそんな風にして、なんとか放送事故にならないレベルでステージに立ったのが1981年6月29日のことでした。
よりにもよってこの2曲は僕のギターから始まります。
「だからお前がMCやれ」ということになり、緊張しながらこんな話をしました。

「皆さんこんにちは。鹿鳴館です。初めてのステージでガチガチですが、ぜひ聞いて下さい。えーと今日はビートルズが日本に来てからちょうど15年目となりますので、2曲ほど彼らの曲をやります」。

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それで「U.S.S.R.」のイントロになるわけですが、この曲、(そのバンスコでは)いきなり変ちくりんなチョーキングから始まるわけです。2弦を同時に鳴らして、うち1弦だけをチョーキングするってやつ。これが何度弾いても原曲のようにならない。本番でもわけのわからない不協和音で始まったことでしょう。

その後の未来の話を先に書いてしまいます。一年半後ぐらいに本来の鍵盤弾きに戻ったため、エレキの腕は今でもさほど上がってはいないのですが、いま改めて「U.S.S.R.」を聞くと当時は気づかなかった色々な楽曲のニュアンスを感じ取ることができるんです。これって不思議ですね。35年を経て多少は大人になったのでしょう。「今だったらもっとこんな風に弾くだろうな」というのがとても頭の中に浮かぶんです。

間奏のポールのソロがまさにそれで、当時は何の情感もなく譜面のままに弾いていましたが、実際にはポールは随分「ためて」「もたれて」弾いているんですよね。それと、やっぱこの曲は鍵盤楽器がキモだから、別にギター2人もいらないわけで、一人は鍵盤に回るべきだったよなとかも考えてしまうのです。まあとにかく、この日のギターソロは途中でミスって尻切れとんぼで終わってしまい、とりあえずバンド完奏できただけでも奇跡だったと思います。

【A Hard Day’s Night – 1964】
さて、お次は「A Hard Day’s Night」です。
友人が初期派なのに対して自分は後期派なので、1981年当時ですら「なんだか古臭い」この曲をプレイするのは乗り気じゃなかったんです。こんなことを書いたら多くのビートルズファンに怒られそうですが、当時「古臭い」と思っていたんだから仕方がない。1964年にリリースされたこの曲は、今では考えられない位の急激なロックの進化の中で「音はスカスカ、途中のカウベルがダサい」曲だったんです。

【OASIS – Go Let It Out – 2000】
同じ時間幅で考えると2016年の現在、OASISの「Go Let It Out」を聞いてどう思うか?ってことになるわけですが、そこまで古いとは思わないのは、自分が年を取ったからかもしれませんね。

自分でも首を傾げるイントロの「ジャーン」から始まって、どう首を傾げても弾けない間奏を何とか誤魔化して、最後のアルペジオはピックを投げ捨てて指で弾くんですが、それも失敗するわけです(何かヘンなコードを弾いていたはず)。

そんな滅茶苦茶でも、何とか完奏できただけでも嬉しかったわけです。
なんだろう?あの時の達成感。
15歳の頃に比べると自分の純真な気持ちはどこに吹っ飛んでしまったんだろう?と、いささか感傷的な気持ちで今日の記事はおしまい。