吉村昭記念文学館で出会った方は

偶然というものはあるもので、これには自分でも驚いています。

3月26日、待望の「吉村昭記念文学館」が荒川区にオープンしました。
この文学館は新たに建設された荒川区の複合施設「ゆいの森あらかわ」(区立中央図書館など)に併設されたものです。

ご存知の方も多いと思いますが、吉村昭は「戦艦武蔵」「三陸海岸大津波」「関東大震災」「熊嵐」「桜田門外ノ変」、カンヌ映画祭で作品賞を受賞した映画「うなぎ」の原作である「闇にひらめく」、太宰治賞を受賞した「星への旅」などで知られる小説家です。

あくまで歴史のリアリズムを追及してゆく調査力、歴史の中の無名の人々に対する温かい眼差し、そして小説家らしからぬ非常に謙虚な人柄、ノンフィクション小説、歴史小説、そして純文学の間を行きつ戻りつしながら、数々の名作を生み出した方です。こうしたジャンルでは僕にとって松本清張でも司馬遼太郎でもなく吉村昭が最高だと思っていますし、彼の作品の数々は僕という人間の一部となっています。
吉村昭記念文学館
さて前置きが長くなりまたが、カミさんと展示をひとつひとつ見て回っているうち、数年前に天皇陛下が荒川区の日暮里図書館にあった「吉村昭コーナー」に来られた時(2013年)の写真が展示してありました。

吉村昭が日暮里で生まれたことを記念して、いささか老朽化した下町の図書館に(しかも狭い路地に面している)、彼の作品を紹介する小さなコーナーがあるんです。
この時は企画展「吉村昭『海の壁』と『関東大震災』展」」を行っていたのですが、そこに陛下は来られた。言ってはナンですが、こうした人家が込み入った場所(失礼!)へ天皇陛下が来るというのはかなり異例のことだと思います。

僕は家内にこう言いました。
「立場上、陛下は自分の好き嫌いを公表することはないけど、あの方は絶対に吉村昭のファンだと確信しているよ。だって好きでなければあんなマニアックな場所へは行かないよね」。

その時です、ちょうど通りかかった方が、私たちに話しかけてきたのです。
「おっしゃる通りです。陛下は吉村昭さんのファンですよ」。

みると、とても立派な雰囲気の方でした。秘書のような女性を二人連れており、内心「議員さんかなぁ~」と思いました。

その方、お話を続けて下さいました。
「宮内庁から"明日、陛下が日暮里図書館に行かれます"と連絡があったのは、実は前日のことでした。きっと何か予定が空いたんでしょうな。もう私どもも荒川警察もびっくりでした。実際に案内させて頂いたのですが...」と、その時のエピソードを我々に話して下さったのです。

内心「もしや」とは思いました。そこでお話のキリのいい所で、私の方から申し上げました。
「今日は横浜から参りました。私は中学生の頃からのファンで、吉村さんの講演会にも行ったことがあります。ぜんぜん盛り上がらないのが残念ですが、こっそりFacebookで"吉村昭ファン“グループの管理人もやっています」

そうしたら「おお、それは遠方からありがとうございます。わたくし荒川区長の西川です」と名刺を頂戴したのです。

吉村昭のからみや、ある歴史的事件の調べで荒川区へも区役所へも何度か行ってはいるのですが....もう水戸黄門の印籠が出てきた感覚。いきなり核心に手が届いちゃった感覚。驚くのなんのでした。

区長がこの記念文学館の設立の経緯を我々にお話しして下さいました。

西川太一郎区長は、吉村昭の生前から、彼の故郷である荒川へ記念館を作りたいというお話を打診されていました。
ところが吉村さん「区民の税金を私ごときに使っちゃ申し訳ない」と断っていました。
でも区長の熱意に折れたのでしょう。ある時「私も考えたのですが....もし新しい図書館を作る機会があって、その隅にでもそういうスペースを作って頂けるのであれば、私の蔵書や資料などすべて寄付させて頂きます」。

そういったお話でした。

私は区長に、吉村昭さんのためにこれだけ立派な記念館を作って頂いたことに深くお礼申し上げました。

「吉村昭さんという方は、どうやっても松本清張や司馬遼太郎などに比べると知名度こそ劣ります。ですが、私は必ず再評価の波が来ると信じています。歴史の中には必ず人がいるわけですが、吉村さんほど"人"を丁寧に描けている人は珍しい。この記念館がそうした再評価の手助けになることが、とても素晴らしいと思います。ありがとうございます」

そして復元された吉村昭の書斎で記念写真を撮って頂いたのです。

そうそう、忘れてはいけない。
僕の会社に以前勤めていたインストラクターは、偶然にも荒川区職員と結婚して寿退社したのですが、「せっかく育てたスタッフをこちらの区の職員に取られました」と申し上げました。

そうしたら区長「アハハハ。うちの男性職員は男前が多いからね」。

さて、自分は色々なモノが好きで、意識があっちへ行ったりこっちへ行ったりしている。もういい年なんだから何かひとつの事に意識を集中させたいと思うこともあるのですが、それはそれで自分が自分でなくなるような気がしています。そんな中でも吉村昭はThe Whoと一緒で、少年の頃からずっと好きであり続けました。

この出会い。あと数秒早くても、数秒遅くてもこういうことにはならなかったと思います。「好きであり続けた」ということが、引き寄せて下さったのかもしれません。