三上寛、59喉 at 無力無善寺

2007/10/7 日曜日

5月のGWに青森へ旅行した時、龍飛崎まで行った。
弘前方面から広域農道を使い、十三湖からは国道339号に乗って津軽半島の西海岸を北上したのだ。

日本海の荒々しい波が国道際まで迫っていた。山側は険しい断崖絶壁だ。海にへばりつくように、小さな集落が点々としている。
「まるで京都の丹後半島のようだね」と家内と話しながら車をすすめてゆくうちに、道を間違えて、小泊(正確には中泊町小泊)という漁港の町へ入りこんでしまった。

ちょうど子供たちが「トイレ」と言い出した。
港の近くに公衆便所を見つけた僕はそこに車を停めて、煙草を一服し、閑散とした港町の家並をボーッと見つめていた。

小泊という町とはそれだけの縁だった。
そう、道を間違えなければ、通りすぎてしまうような町だった。

ところが奇しくも先月通ったばかりのこの町が、
6月4日にお会いしたフォークシンガーの三上寛さんの出身地だったのだ。

1970年代の初頭、音楽にのせて言霊を斧のようにふりまわす「怪人」が登場した。名前は三上寛という。

寛さんが有名になったのは、1971年の中津川フォークジャンボリーのステージだった。
その音楽は「異形の歌」だった。歌による暴力だった。怒りとか恨みを爆発させた怒号のような歌声、放送禁止用語続出のキワドサと裏表ながら、裸の人間をさらけだすような歌詞は、たちまち観客の心をつかんだ。急激に凋落を続ける「反戦フォーク」のミュージシャンたちにとってかわるかのように、注目を集めたのだ。

そして僕がはじめて知った寛さんは、寺山修司の映画「田園に死す」に登場したその人だった。
寛さんはスクリーンの中から観客に向かって怒鳴りつける。

「てめーらそんな所へ座ってウダウダ批評しているけど、明日になればみんなくたばっちまうんだよ!!」

それと時期を前後して僕は、叔父の家にあった「このレコードを盗め!!」を聞いている。ディープインパクトなレコードだったが、正直いって当時の高校生にはナマナマしすぎて、理解できなかった。

その寛さんに、たまたま59喉が挑戦することになった(いや、胸を借りることになったのかな?)。
当日の共演者は、
無善法師さん、59喉ろみさん、敬敬さん、そして寛さんだった。

6月4日、再び高円寺のライブハウス、無力無善寺へと行く。
正直言って、寛さんにお会いできるというので、僕はいささか緊張していた。
「とても怖い人だ」というイメージがあったからだ。
これは59喉よりも、僕の世代(かそれ以上)の方がそうしたイメージが強いだろう。
「ヘタな事を言って、ギターでぶん殴られたらどうしよう」

ライブハウスに着いたら、寛さんはあっさりそこへ居た。
生でお会いした寛さんは、とてもいい方だった。出演者の方々を交えて、本番までの一時間、いろいろなお話をさせて頂いた。

“「このレコードを盗め!!」っていうタイトルは、寺山(修司)さんからアドバイス受けたんだ。アビー・ホフマンの書いた本に「この本を盗め」というのがあって、そこからつけたんだけど、当時は店で本当に盗む奴がいてねぇ。"

寺山さんの話になった。
“あの人の書いた小学校の校歌があるんだ。休泊小学校と言ってね、「空を流れるあの雲に、大きく書こうわが理想」ってそりゃあいいものだよ。"

寛さんのギターは津軽三味線みたいな響きがありますねと言ったら、
“時々言われるよ。人間は生まれた場所の空気みたいなものに帰って行くんだろうね。ところで津軽三味線っていうのは空と大地を表現した音楽なんだよ。"

80年代はテクノロジーに特化した音楽や"シティ・ポップス"が流行った時代。当時あまりリアルタイムの音楽が聞けなくて、60年代~70年代音楽ばかり聞いてましたという話をしたら、
“僕も80年代はアルバムを一枚も出さなかった、信号の出力とかわかんなくてね~"
90年代以降、J-POPはフォーキーな世界に戻った、寛さんのレコードをリリースしていたURCレーベルもエイベックスイオが権利を取得し、現在積極的に寛さんの作品を含めて70年代の名盤をリリースしている。そして59喉のように寛さんをリスペクトしているミュージシャンが数多く登場している。そして今日登場するミュージシャンの誰もが、寛さんを敬愛して集まってきたのだ。
無善法師
無善法師さんは、このライブハウスのオーナー。エキセントリックなエフェクトを加えたエレキギターで、たった二つのコードを鳴らしながら、自らの詩を読み上げる。

59喉
59喉は、病み上がりにもかかわらず、迫真のステージを見せてくれた。確実に成長している彼のステージを見て、後で寛さんが「ストリートという場所も、音楽表現を育てる上で大切な場所なんだね。今日はそれを痛感したよ」と言ってらっしゃった。そうなんだ。たとえ警察の取り締まりがあったとしても、「人生至るところに歌うとこあり」だ。

ろみ
仙台から登場したろみさん。素の時の雰囲気と音楽に入り込んで行くスイッチングの凄さ、怨念を吐き散らす言葉の重さ。59喉に匹敵するパワーコードプレイの力強さ、色々なものに圧倒された。

敬敬
敬敬さんもまた青森の人。瞑目して詩に聞き入ってしまうほどの作詞力そして物語力を持っていた。個人的には個性的な、いや日本人ではあまり聞いたことのないアコーステイックギターの奏法が気になった。教えてもらえばよかったな。

三上寛
そして寛さん。グレッチのセミアコを持った寛さんが目の前に居る。あの寛さんが目の前で歌う。その現実が、自分には信じられなかった。そしてそのギターの音は、ありえない音だった。青森の激しい海と灰色がかった空から落ちてくる音だった。そう、彼のギターは津軽三味線と同じ空間から流れ出てきている上に、同じ空気を持っているのだ。

「ピストル魔の少年」「ひびけ電気釜」「パンティストッキングのような空」「股の下を通りすぎるとそこは紅い海だった」....そうした有名な作品を歌う寛さんもまた、今日出演してきたミュージシャンからの刺激を得ていることがわかった。そのぐらい今日のライブは出演者の誰もが密度の濃いものだった。とても貴重な体験をすることができた。こうした機会を作ってくれた59喉に感謝したい。

三上寛さんのサイン
最後に...寛さんのサインだワーイ!。