1999年7の月

「1999年7の月、空から恐怖の大王が降ってくる。アンゴルモアの大王を復活させるため、その前後の期間、マルスは幸福の名の下に支配に乗り出すだろう」

何でこんなものを一生懸命に覚えていたんだろう?
「ノストラダムスの大予言」のうち、地球が滅亡するという難儀な予言詩は、自分の記憶に間違いがなければ、こういう文だったと思う。

こういうのを一生懸命暗記していたのは、中学生ぐらいの時だった。この頃は歴代天皇の名前や終戦の勅語も一生懸命覚えていた。「戦時中の子供のモノマネ」とか「玉音放送のモノマネ」とかやっていたんだ。後で役立ったのは歴代天皇の名前ぐらいだった。

さて、4月8日のフジテレビ「Mr.サンデー」で、1970年代にベストセラーとなった「ノストラダムスの大予言」の作者である五島勉がこんなコメントを出したらしい。

「ノストラダムスの大予言」の著者・五島勉氏 「子供たちに謝りたい」(デイリースポーツ) – Yahoo!ニュース

「子供たちには謝りたい。子供が読むとは思っていなかった。真面目な子供たちは考えてご飯も食べられなくなったり。悩んだり。それは謝りたいと思う」

yahoo News – デイリー

「いえいえ、とんでもない。お礼を言うのはこちらの方だ」と思える年齢になった自分がいた。

あの本を親父が買ってきたのは、小学校2年生の時だった。読んでもいないのに「1999年に地球が滅亡するという予言本」という前知識は知っていたのだから、恐るべきベストセラーだったと思う。 親父が読み終えてそこらに置いてたのに自分も挑戦した。

当時の自分のスペックはこんな感じだった。それまでに読んだ本で最も印象に残っているのが、古田足日の「大きい1年生と小さな2年生」だった。読解力はアヤシイもので「あやまって池に落ちた」というのを「ごめんなさーい」と言って池に落ちたのだと思い込んでいた。

そんなスペックでの挑戦だったから五島勉さんの「ノストラダムスの大予言」は強敵だった。幼稚園を卒園した時にもらった「国語辞典」と、姉貴の持っていた「人名事典」を傍らにおきつつ......

細かい内容は忘れてしまった。だけど、たしか冒頭はノストラダムスと王様のエピソードじゃなかったかな。王様が自分の未来についての予言を求めると、ノストラダムスが何やら不吉な事を言う。それから程なくして王は槍の試合で、相手の槍のカバーが外れるとかのハプニングで目を貫かれて死ぬ。

子供が読むための最初のツカミとしては充分すぎるエピソードだったと思う。
それからはノストラダムスがどこで生まれてどんな人生を送ってみたいなつまらない話があって、次の章で様々な予言が紹介される。ココがやはりツボ。

フランス革命を予言した、ナポレオンの登場を予言した、ヒトラーの登場を予言した、潜水艦の登場を予言した、第二次世界大戦と原爆の投下を予言した。公害による環境の悪化を予言した e.t.c.

なんてことはない。いきなり猛スピードで世界史の勉強をさせられたようなものだった。

当時から歴史に興味を持つおかしな子供だったけど、どうも「現代」には興味がなかったようだ。公害に関する章が長々とあって田子の浦のヘドロとかの写真とか水俣病か何かの写真とかが掲載されていたけど、もうこのあたりになるとスルーし始めた。

そして未来。結局の所、肝心の「1999年7の月」の予言の解説については、どうもさっぱり覚えていない。

「ちょっと書き方を間違えて。初めに1999年って出てるでしょ。そっちのほうしか読まない。そこだけでみんな驚いちゃってね。最後は『残された望みとは?』という章をひとつとって書いてある。最後に救いもあるんだとそこに書いておいたのに、そっちは読まない、誰も」

yahoo News – デイリー

と五島さんは語っているが、まったくその通りで「残された望み」なんて読んだ記憶すらない。

しかし、幸いな事に8才の子供にとっては「信じる信じない」というレベルでの思考は無理だった。今いる世界が崩壊するなんてことはほとんど実感がわかなかったのだ。もちろん楽観的な性格もあったのかもしれないが。

もう少し年齢が高ければ、この本をまるまる信じたり「人生に絶望した」のかもしれない。だけど、自分にとって問題なのは世界の滅亡よりも、トイレットペーパーがスーパーから無くなったらどうしようという身近な恐怖だった。

いくら子供が未来を夢みているとしても、この時点(1973年)で1999年7月まではまだ26年も時間があった。33才の自分など想像できるわけがなかった。

むしろ僕と同世代の子どもたちは「だって地球は滅びちゃうんだから勉強しても仕方ないじゃん」と大人から叱られる言い訳に後々まで使っていた。

30年後に実家の納屋から発見された愛読書たち

五島さんの「ノストラダムスの大予言」のお陰だとしか言いようがないのは、妙に読書のレベルが上がったということだ。多分自信づいたんだと思う。そのうえ読む本の傾向まで変わってしまった。

「親が子供に薦めたい本」なんてクソクラエだ。夏休みの感想文のための推薦図書なんて知るかってぇんだ.....という所まではさすがに難しかったけど、自分の読みたい本(上のような)を読み、自分で扉を開いてゆく。「ノストラダムスの大予言」はそのきっかけになった一冊だったと思っている。

だから五島さん、謝ることなんてないんです。僕は感謝しています。本を読めば読んだで世界はどんどん広がってゆく。「この豊潤な美しい世界が滅びるなんて考えられない」....そんな高尚な美意識を持ったわけではないけど、世界が滅びるなんて事を真剣に考え、真剣に不安に思う事などクソクラエと思う大人になっていったのです。

そして26年の歳月が流れ「1999年7の月」となった時、本当に33歳となっていた。3月に次女が生まれたばかりだった。CDショップの店長になってからというもの、仕事が忙しくて仕方がなかった。休むと仕事が増えてしまう。休む暇なくガンガン働かざるを得なかった。

ふと気がついたら「7の月」が過ぎていた。気がついたら人類は滅亡していなかったのだ。めでたしめでたし。

先日、同世代の友人たちと「五島勉さんの謝罪」が話題になった時、誰もが口を揃えて言ったのは「あの頃はお互い忙しすぎて、気がついたら人類は滅びてなかった」ということだった。

くたばれノストラダムス

それでようやく気づいた。
「恐怖の大王」の正体は「とどまることを知らない仕事の山」 だったんだと。

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