首都高湾岸線で目撃した「この人」について考えてみた

実際に日テレでオンエアされたドライブレコーダーの映像では一瞬で通り過ぎてしまうような映像だったけど、僕にはかなりの時間(といってもプラス1秒もなかったと思う)「この人」が見えていた。

黒の上下、それはトレーナーのような服で、かなりヨレヨレで汚れている印象を受けた。年齢は60代から70代の「高齢者」。110番通報した際には「ホームレス風」と伝えている。

彼は自転車を押しながら路側帯を横浜方面へと歩いている。
僕は驚いて「えーっ!」を連発しながら、通り過ぎた。
大げさな言い方をあえてするけど、この人と一瞬「人生が交差した」

その瞬間、僕が思ったイメージは「高齢者の徘徊?あるいは…」というものだった。

実は僕の母も認知症だ。しかも行方不明になった事が3度もある。
一度は磯子区杉田のショッピングモールだった。夕方16時頃だったか、父と買い物中に行方不明となったのだ。父から連絡を受け、警察と連携を取りながら、僕は家内と思い当たるトコロを探し回った。

結局、母を見つけたのは父だった。驚いた事に母が見つかった場所は南区の蒔田、距離にして7km以上はあるはずだ。そして時刻は深夜零時のことだった。

そんな実体験もあり、実際に目撃した印象もあってか、僕の目撃した「この人」の印象は「気の毒な方」というものだった。同情し心配した。そうでなければ後で警察に電話して無事保護されたかどうか確認はしなかっただろう。

今日(2日)になって、知人から教えられたTBSの記事「自転車を押して男性が首都高湾岸線を“逆走”」をよく読むと「 自転車の名義はこの男性ではなかったということで、警察で男性から詳しい事情を聴いています。 」と書かれている。

TBS版ニュースのサムネイル

これは余談になるけど、ニュース映像では警察官が自転車に乗った男性と会話する光景が「視聴者提供」としてサムネイルとなっている。これは反対の下り車線から撮影されている。

二人の背景が緑地でフェンスになっているのは、扇島のJFEスチールの工場の敷地。ここは僕のドラレコ録画地点である東扇島出口付近からだと1.8kmほど横浜寄り付近だと思う。

東扇島出口からだと扇島へ渡る橋があるため長い坂が続く。「この人」は橋の上までは自転車を押し、その先の下り坂を自転車に乗りながら進んだんだろう。

提供された視聴者さんが、対向車線(下り)からなぜこのような鮮明な画像が撮影できたかといえば、それには理由がある。この日、対向車線ではつばさ橋→ベイブリッジ方面で2車線を規制しての大規模工事を行っていた。

下り車線では工事の影響で渋滞が発生していた。渋滞の最後尾はJFEスチールの緑地付近だった。渋滞に巻き込まれた多くの車が停車状態で一部始終をじっくり目撃できた。だからこういう画像が提供できたのだと思う。

僕自身もそうだった。この付近で2車線を規制しての大規模工事というは珍らしいと思ったし、トラックと作業員の方々が2車線を埋め尽くすように工事を行っているさまがダイナミックだったため、いつもの習性で「緊急録画」ボタンを押撮影していた。「緊急録画」は3分の動画が別ファイルとして格納され、絶対に上書きされない。これが東大井SAですぐTweetできた理由だった。

さて話を戻す。TBSさんの報道内容を読んでも、自分の中には「気の毒な方」という目撃イメージができている。先入観というやつだ。

だから「自転車の名義はこの男性ではなかった」という部分から読み取れる「窃盗」とか「犯罪者」というイメージがどうにも持てなかった。

「news every.」から。別に私が逆走しているわけではない。

日テレさんから「取材をさせて欲しい」と言われた時は驚いた。すでに取材カメラマンさんが上大岡に向かっているという。細かいやりとりは省略するけど、2時過ぎに会社で取材を受けることにした。

さて、メディアというものは先入観なしで事実関係を伝えるものだ。逆にそうでなければメディアとは言えない。いっぽう、僕はといえば「この人」を実際に目撃した印象から妙な先入観を持ってしまっている。

それは「高齢者で何らか事情がある気の毒な人で、保護されて良かった」というものだ。「この人」への共感というか同情というか、そういうものが頭の中にこびりついてしまっている。

ところが会社でお会いした取材カメラマンさんから聞いたのは、「この人」の年齢が59歳で意外と若い人だということ、そして自転車の窃盗容疑で逮捕されたということだった。その両方ともが自分にとっては意外なものだった。

カメラを回しての取材では、いくつかの質問「いつ、どこで、どんな状況で目撃したのか」「その時どう思ったのか」「あなたはどこへ行こうとしていたのか」などを質問された。いくつになってもカメラ慣れなどしないものだ。緊張しつつそれに答えていった。自分が行こうとしていた「ぐらもくらぶ祭り」の事もお話したけど実際のオンエアではカットされた。

そう、後で振り返ってみると言える事がある。この時はカメラマンさんから聞いた意外な内容と、自分の先入観とのギャップを整理できないまま、取材を受けることになってしまっていた、ということだ。

自分の目撃した鮮烈なイメージのまま「この人」に対して同情的に語ったし、取材カメラマンさんは先入観なしのスタンスで「高速道路への侵入者」「自転車の窃盗犯」を報道する姿勢から僕の言葉を拾おうとしていたのだ。

会社でのカメラ取材は10分で終わった。
「はいOKです、ばっちりです」と言いつつも、カメラマンさんは、まだ絵が欲しそうに見えたし、納得できないような表情を見せた。

いま思うとこれは「報道する側、取材される側」の意識のギャップが埋まっていなかった事に対する当惑だっのだと思う。

その時はそれに僕自身が気づかないものだから、僕の方から車内での撮影をご提案申し上げた。東戸塚への用事の帰りだったので上大岡には車で来ていたからだ。

カメラマンさん曰く「運転しながらインタビューをする」のも「駐停車禁止場所に停車しての取材」も厳禁なんだそうだ。それで会社裏の駐車場を出た場所でのインタビューとなった。ここで僕はドライブレコーダーを実際にどう操作したのかという話をした。

カメラマンさんも僕も同意見だったのは、実際にその映像をドライブレコーダーで見ている絵が欲しかったよね~ということ。 あいにくその映像(MicroSD)はファイルをPCに入れるため、自宅に置いてきてしまっていた。取材を受けるとは思っていなかったので惜しいことをした。自分も映像を撮影したり編集する事が多いから「欲しい言葉」はともかくとして「欲しい絵」は一致する。

「いつオンエアするんですか?」と呑気な質問をしたら「今日のnews everyです」と言われて驚いた。時刻は15時前だったからからそんな時間はないんじゃないか?と尋ねたらPCで動画を転送して局で編集するんだという。ソフトで編集するわけではなく「機械」で編集するらしい。一度修羅場のような現場を見てみたいものだと思った。

友人が「Zip」でも出てたよと送ってくれた画像自体に「びっくりですよ」。

17時すぎ、実際にそれはオンエアされた。自分の驚いた声も全国に流れた。事実関係のみを正確に報道しようとする編集がなされていて、僕の意見的な部分はカットされていたが「なるほど報道とはこういうものなんだな」と納得できる内容だった。翌3日には「Zip」でも放映されたそうだが、僕はそれを見ていない。

さて、報道する側の求めるイメージ、実際に見た者のイメージのギャップ、これを一言で表現するのならば、こんな事が言えるんじゃないだろうか。

日テレさんは「彼はどのように歩いていたのか」を知ろうとしていた。
僕は「彼はどこから来てどこへ行こうとしているのか?」を知りたかったのだ。

累犯障害者」というノンフィクションがある。
著者は山本譲司。 元衆議院議員で政治資金規正法違反によって懲役1年6か月の実刑判決を受け、栃木県の黒羽刑務所に服役(実際には1年2カ月で仮出所)した異色のジャーナリストだ。

「累犯障害者」とは「犯罪を重ねる障害者」という意味だ。
彼が刑務所の中で見たのは、服役者の三割弱が軽度あるいは重度の知的障害があるという実態だった。 この本はこうした「触法障害者」を追い、その実態を社会に告発した作品だ。

「これまで生きてきた中でここ(刑務所)が一番過ごしやすかった」という理由で犯罪を重ねてゆく人たち。彼は刑務所内でこんな服役者同士の会話を耳にする。

「おいお前、ちゃんとみんなの言うこときかないと、そのうち、刑務所にによ困れるぞ」「俺、刑務所なんて絶対に嫌だ。この施設に置いといてくれ」

山本譲司「累犯障害者」

(これは彼も書いていることだけど、知的障害者が犯罪予備軍というのではない。)

僕が湾岸道で目撃した「この人」障害者なのかは知らない。だが僕が瞬間的に見た印象には、実はそれも含まれていた。「逮捕された」と聞かされた時も「実際は保護に近かったんだろうな」と思ったぐらいだ。その意識のギャップが取材中もずっとあったのだ。

首都高湾岸線の歩行者
この人

「この人」は恐るべき炎天下、日陰など何もない高速道路の上をとぼとぼ歩いていた。おそらくこのまま歩き続けていたら最悪の事態を招いたかもしれない。自転車は盗難届が出されていたものだというが、彼自身が盗んだものかはわからないだろう。

東扇島出口から進入(侵入)してきたのは間違いない。でもあの島には倉庫と工場ばかりで「この人」にとって暮らすのに適当な場所とは思えない。

彼はどこから来たのだろうか?彼はどこへ行きたかったんだろうか?僕はそれがとても知りたかった。

自分の故郷へ帰ろうとしていたのか?
あるいは「ここではないどこかへ」逃れようとしていたのか?
僕はそれが知りたかった。