山から来たマイケル

2009/6/29 月曜日

「1969年11月、インディアナ州ゲイリー出身の5人組のリード・シンガーとして12歳のマイケル・ジャクソンが登場したとき、まさか彼が60年代の終わりを飾るロック・ヒーローになろうとは想像もしなかった。しかし、マイケル・ジャクソンは、ゴスペルに親しみ、レイ・チャールズ、スモーキー・ロビンソン、スライ・ストーン、ジェリー・バトラーなど先人たちからさまざまなものを受け継いだ天性の偉大なソウル・シンガーだった....そしていまでもそうだ。」

僕が持っている古いレコードガイド"The Rolling Stone Record Guide"(1982年3月出版)で、音楽評論家のデイヴ・マーシュがマイケル・ジャクソンについてこう書いていた。
しかし、そんなデイヴもこの9ヶ月後にリリースされた「スリラー」によってマイケルが世界のポピュラー・ミュージック史を代表するヒーローになろうとは、想像だにしなかっただろう。
全世界で1億枚というセールスうんぬんを抜きにしても、あれだけ社会が大騒ぎになったアルバムを、後にも先にも僕は知らない。

「スリラー」が大ヒットした時、僕は高校生だった。
マイケルの高度な音楽性もさることながら、このアルバムがヒットした最大の理由は、間違いなくその一連のビデオクリップにあった。たとえば、アルバムからシングルカットされたタイトル曲「スリラー」は、こういうホラー映画仕立てだ。

当時は駆け出しのミュージック専門ケーブルTV局「MTV」のアドバンテージを充分に計算に入れてこの映像は作られていた。そして日本にも「ベストヒットUSA」という洋楽のPVをオンエアする番組があった。そうした番組で流れるPVのインパクトったらなかった。そうしたビジュアル的側面からこのアルバムはヒットしていった。映像と音楽がリンクする形でラジオでもテレビでも曲がオンエアされるというパターンの成功例をマイケルは作り出したのだった。

当時、友人の家にフラっと遊びにゆくと、かなりの確率でこのレコードがあった。普段洋楽なんて聞かないようなヤツでも、このレコードを持っていた。僕は内心思ったものだ「世界で一億枚売れるっていうのは、こういうことなんだな」。
そして、そのブームは、単なるレコードのセールスだけにとどまらなかった。
「俺たちひょうきん族」ではウガンダがマイケルの物真似をして「スリラー」のPVを再現し、それを大人も子供も見て大笑いした。
週刊モーニングに連載されていた「ホワッツマイケル」では猫たちが「BAD」を踊っていた。マイケルが飼っていたチンパンジーのバブルスですら、とんねるずの「みなさんのおかげです」で石橋とキョンキョンによってパロディにされていた。アル・ヤンコビックはパロディ曲「今夜もイート・イット」を大ヒットさせ、日本でも人気者となった。
日本のお笑い番組やマンガでこれだけネタにされた洋楽アーチスト、大人にも小学生の子供たちにも笑えるだけの共有リソースを持ちえた洋楽アーチストというのは、後にも先にも彼ぐらいだろう。

今日、TVは朝から晩までマイケル・ジャクソンの死を報道し、ラジオではずっと彼の音楽が流れていた。1980年のJohn Lennonが射殺された時の大騒ぎとまるっきり一緒だった。

そういう僕も今日は職場のTVで「エド・サリバン・ショー」出演時の映像(1970年)を見ていた。
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「聞かせるソウル」ではなく「踊るソウル」というスタイルに徹底し、70年代のソウルミュージックの方向性を予言してしまったこのグループのリード・ボーカルはわずか12歳だ。
にもかかわらず、この年齢でこの人は見るべきものは見てしまったという顔をしている。
この10年後、さらなる成功を手に入れた彼は、我々の理解を超越した人生を送り、そして早すぎる死を迎えた。
それがなんとなく納得できてしまうのは、僕だけだろうか?

帰宅してから同じ12歳の長女に聞いてみたら、マイケルの死は中学校でも話題になっていたらしい。
「お前たち、マイケル・ジャクソンなんて知っているの?」と尋ねたら、
「歌手だって言う程度しか知らないけど、私たちの間では赤ちゃんをベランダから落とそうとしたり、家に遊園地があるヘンな人って有名だよ」とのことだった。
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そうか21世紀のマイケルの評価っていうのは、そういう感じでとらえられているんだなと思った。
思いながらも、あれから25年以上になるにもかかわらず、いまだに中学生の間でも話題になるだけの「余韻」を持っていることに、改めて驚かされた。