...を作った人

僕の叔父(父の弟)は土木の技術畑を歩いてきた人でした。
建設会社に入社してまもない昭和35年から名神高速道路の京都付近の建設工事にたずさわりました。
その場所は京都南インター付近から天王山トンネル手前付近の区間だったと聞いています。
僕は仕事がら、ここを営業車で走ることが多かったのですが、その度に日本最初の高速道路の建設にたずさわった叔父のことを誇りに思っていました。

僕の記憶ではその後の叔父は、名古屋、北海道のどこか、香港などの築港工事、瀬戸大橋工事などのプロジェクトにかかわってきました。相次ぐ転勤でほとんど東京にいることはなかったため、会う機会は滅多にありませんでした。

この数年来、叔父は難病と戦ってきたのですが、あるとき家族に対して「自分が今まで作ってきたものを訪れたい」と言いました。そこで昨年の年末を利用して叔母、従兄弟、孫とともに旅に出たのです。

12月31日には名神高速の桂川PA(京都市)を訪れ、「名神高速起工の地」の看板前で記念撮影をしています。

そして翌1月1日には瀬戸大橋を訪れ、与島PAにある瀬戸大橋記念碑の前で記念撮影をしました。
どちらの写真でも車椅子に座った叔父は、家族に囲まれて幸せそうにニコニコ笑っていました。

叔父に予感があったのかどうかはわかりません。

メモリアルな旅を終え、明日には帰京しようとするその日、1月3日の未明のことでした。大阪で叔父の容態は急変し、そして帰らぬ人となったのです。享年71歳でした。

昨日、お葬式でした。
棺の中の叔父は、今にもニコっと笑いそうな表情をしていたのが印象的でした。

何もないところから形あるモノを作ってゆこうというのは、僕の家では昔から伝統です。そのアプローチや形はまちまちですが、各世代に必ずそんな人がいます。僕自身もささやかではありますが、そうやって生きています。その大小ではかるのはいけませんが、色々とドデカいモノを形として遺すことのできた叔父は幸せな人生だった思います。

こんな叔父に深く敬意をあらわすとともに、冥福を祈りたいと思います。

コメント

  1. いけさん より:

    自分自身も「創る人」の端くれではあるので、なんか、いい人生だったんだろうなと共感できるところがありました。

    最後に自分の仕事を見届けて自分の一生を終われる、なかなかできないし、本当に満足して旅立てたのではないでしょうか。

    ご冥福をお祈りいたします。

  2. あつし より:

    謹んで心からお悔やみ申しあげます。
    でも最後に自分の造られた物を見られて満足だったのではないかなとも想います。

  3. spiduction66 より:

    >いけさん
    ありがとうございます。
    実は誰もが無から形あるものを作っているというは真理なんだよね。でもそれを形として残すことの方がもっと難しい。親戚の自分が言うのはなんだけど、叔父は実にかっこいい亡くなり方をしたと思います。

    >あつしさん
    ありがとうございます。
    叔父は本当に満足して亡くなったと思います。
    棺の中の叔父のちょっと微笑みかけた顔を見て思いました。
    僕もそういう顔で棺に入りたいと思いました。

  4. ishi より:

    心からお悔やみ申し上げます。
    叔父さんみんなに囲まれて良かったですね。
    失礼ながらきっとご満足されたのだろうと思います。

    そう、私は父の最後の正月に父を家に返したかったのですが願いませんでしたよ・・。

    悔いない人生を過ごしたいものですね。

  5. spiduction66 より:

    >ishi
    ありがとうございます。
    大変だけど一回きりのチャンスだもんね。
    何とか悔いのないように生きたいものです。

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。

*

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください