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歴史の切れ端
海の底のルバイヤート
- 2010-07-10 (土)
- 歴史の切れ端
ルバイヤートっていう詩集があるらしい。
“あるらしい”と書かざるを得ないのは、名前だけ知っているのに今までマトモに読んだことがなかったからだ。
先日ペルシア書道展に行った際、その出展作品の中に「ルバイヤート」の詩の一節を引用した作品があった。
それでようやくルバイヤートがペルシアの詩集であることを学んだ。
ふむふむ、作者は11世紀のペルシアの学者ウマル・ハイヤームという人だったんだね。
そんなことも知らないくせに、僕はルバイヤートという書物に対して22年にわたってひとつのイメージを持ち続けていた。
それは”海の底で詠みあげられる詩”というものだ。
1911年のこと。
イギリスの有名な製本会社であるサンゴルスキー&サトクリフ社のフランシス・サンゴルスキーが豪華な装丁によって一冊の芸術品を作り上げた。

その本の名前は「ルバイヤート(Rubaiyat of Omar Khayyam)」。
ペルシア書道の会場で羊子さんに尋ねたら「それはきっと写本よ」と言っていたが、そのとおりだった。
ルバイヤートは前にも書いたとおり11世紀に書かれた作品。それを19世紀の半ばになってエドワード・フィッジェラルドというイギリス人が初めてペルシア語から英語に翻訳した。
サンゴルスキーはその翻訳版をたった1冊製本し、そこに豪華な装飾をくわえたのだ。

表紙や裏表紙、そしてカシの木で作られたケースに1500種類もの色とりどりの革が張られペルシア風の意匠を形作った。
表紙には金泊で飾られた3匹のクジャクが表紙いっぱいにきらびやかな尾を広げていた。裏表紙には金泊を使って民族楽器の図柄が施された。
さらに本全体をルビー、ガーネット、アメジスト、トパーズ、トルコ石など1051個の宝石、象牙、マホガニー、銀などで飾った。花の模様ひとつひとつ、葡萄の房ひとつひとつに宝石が埋め込まれた。彼は、この装丁に2年の歳月を費やしたといわれている。
もちろんこれは読むためのものじゃなくて価値のある宝飾品だ。
製本された「ルバイヤート」は「製本の歴史上、最も大胆な作品」と評され、ウマル・ハイヤームにちなんで「偉大なるウマル(Great Omar)」と呼ばれた。
サンゴルスキーはこの本を経済的に成長しつつあったアメリカで売ろうと考えたのだろう。
「ルバイヤート」は船積みされてアメリカへと渡った。ところがアメリカの税関はこの本に対して「途轍もない」関税をかけようとした。サンゴルスキーはこの関税の支払いを拒んだため「ルバイヤート」はアメリカ上陸を目前にして、再びイギリスへと持ち帰られた。
結局のところサンゴルスキーは「ルバイヤート」をサザヴィーのオークションに出品することにした。少なく見積もってもこの「本」は1000ポンドは下らないだろうと言われていたし、サンゴルスキーもそれ以上の価格で売るつもりだった。
ところがどっこい、運悪くオークション当日(1912年3月29日)が炭鉱ストライキにぶつかってしまった。当時イギリスの工業を動かしていたのは石炭。「黒いダイヤモンド」と呼ばれたゆえんだ。それを掘り出す炭鉱夫たちのストライキはオークションを直撃した。
結局のところアメリカ人によって「ルバイヤート」は予想をはるかに下回る405ポンド(2,025ドル)で落札された。
さてさて、以下の計算方法があっているのかどうかわからないけど、当時のアメリカ人の平均年収がこちらのサイトにあった。だいたい500ドルぐらい(1910年)になっている。2007年の国税庁「民間給与実態統計調査」によれば日本人の平均年収は437万だそうだから、「ルバイヤート」は現在の日本人の感覚でいうと1750万で売れたということになる。充分高価じゃん!
だけどサンゴルスキーのガッカリ感は相当なものだったと思う。ストは終結したのは4月3日のことだった。2年もかけて作り上げた本は数日の差で安値でアメリカに売られることになってしまった。
多くのイギリス人が、「偉大なるウマル(Great Omar)」がこんな値段でアメリカへと売られてゆくのに意義を唱えたようだ。しかし、落札されてしまったものは仕方がない。
サンゴルスキーは苦々しい顔をしていたかもしれないけど、炭鉱ストが終結したことで石炭を燃料としていた船の船主は大喜びしていた。再びイギリスの港には活気が戻った。4月10日、この本はサウサンプトン港から客船に船積みされ、新しい持ち主の待つアメリカへと旅立つことになった。その船の名はRMSタイタニック。

現在もこの本は北大西洋の深海4000m近くに眠り続けている。
僕がこの「海の底のルバイヤート」について知ったのは海洋地質学者のロバート・D・バラード(Robert Ballard)が書いた「タイタニック発見」という本だった。彼は1985年に海底探査で沈没したタイタニックの残骸を発見し、それを映像と写真で記録した。この本の日本語版は1988年に出版されているけど、この本がなければあの映画はなかっただろう。
ロバートが「ルバイヤート」について触れているのはわずか1行足らず。だけど「海の底に宝石を散りばめた詩集が沈んでいる」というイメージは強烈だった。
その本には海底に散らばった様々な「遺品」の写真が掲載されている。

これが砂に埋もれているということはない。子供用の人形、便器、ストーブ、石炭、食堂の皿、浴槽、スーツケース、ベッド、手鏡、ワインのびん、ちりとり...不気味なことに二足揃った革靴もあった。これは遺体のみが朽ち果てていったが「革をなめすときに使う薬品がバクテリアの口に合わなかったらしい」とロバートは結論づけている。

だとすれば「ルバイヤート」も金泊と宝石に飾られた革表紙ぐらいは残っているじゃないだろうか?
当時、そう思った。
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今回、この記事を書くにあたって、青空文庫にある「ルパイヤート」を読んでみた。
豪華客船の処女航海における沈没、贅を尽くした「本」の運命、そんなものを暗示するような詩があるんじゃないかと思ったからだ。
そうしたらこんな一節を見つけた。

よい人と一生安らかにいたとて、
一生この世の栄耀をつくしたとて、
所詮は旅出する身の上だもの、
すべて一場の夢さ、一生に何を見たとて。
ううむ、何だか意味深である。
こんな詩もあった。
この万象の海ほど不思議なものはない、
誰ひとりそのみなもとをつきとめた人はない。
あてずっぽうにめいめい勝手なことは言ったが、
真相を明らかにすることは誰にも出来ない。
あとこんなのもあった。

この永遠の旅路を人はただ歩み去るばかり、
帰って来て謎(なぞ)をあかしてくれる人はない。
気をつけてこのはたごやに忘れものをするな、
出て行ったが最後二度と再び帰っては来れない。
おお、こんな風に読んでいると、タイタニックや「ルバイヤート」の運命を、ルバイヤートそのものが予言しているようにもみえるではないか。
何だかオカルトな話になってきた...........なんてね。
実はこういう事象には理由があったりする。
ルバイヤートに綴られている詩の大半は、飲んだくれだったであろうウマル・ハイヤームが感じていた「人生の無常さ、儚さ」そういうものから成り立っている。「形あるものはいずれ土に還る」なんてことを詠んでいる。
つまりタイタニックやそこに積まれた「ルバイヤート」の運命とは偶然にもテーマが一致した、ただそれだけのことだ。
逆に「沈没の予言」という視点からルバイヤートを読んでみると面白いだろう。解釈の仕方によっては、すべての詩がそうした運命を予言しているかもしれない。
さて、その後の運命の話。
自分の手がけた「ルバイヤート」を安値で買われたうえ、そのものまで失ってしまったサンゴルスキーが亡くなったのは事故からわずか6週間後のことだった。
ウエストサセックス州にある海岸で静養中、溺れかけていた女性を助けようとして溺死したのだ。
そもそも彼は泳ぎ方など知らなかったといわれている。
サンゴルスキーの「ルバイヤード」を復元した人たちもいた。彼が遺したオリジナルの下絵を元にして「ルバイヤード」は6年がかりで復元された。今度は海をわたることもなく銀行の金庫に保管されたが、よりにもよってナチスのロンドン空襲によって直撃弾を受け焼失した。

その後2000年になって「ルバイヤード」は復元され、現在はロンドン図書館に所蔵されている。
僕の頭の中にあったイメージをルバイヤート風に書くと、こうなる。
光も届かぬ海底では、宝石すらその輝きを失う。
それでも「本」は詩を詠みつづける。
一瞬で消えた舟とおのれの栄華は遠い昔。
今は迷える霊魂に対して詩を詠みつづけるのみ。
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あとは余談。
1997年頃、「タイタニック」という船内で繰り広げられるアドベンチャーゲームの日本語版が発売された。船内がCGで再現されていて、主人公はそこを歩くことができるという素晴らしいゲームだった。あの映画を製作するにあたってジェームズ・キャメロン監督も参考にしたいわれている。ところがXP環境ではこのゲームは動作不良を起すようで、今では家のどこにあるかわからない。
だからストーリーをよく覚えていないのだけど、主人公はイギリスの元秘密諜報部員でタイタニックに乗船している。ある男が船内から盗んだ「ルバイヤート」を取り戻すための取引条件として、船が沈没するまでに3つのアイテムを探しだすというストーリーだった。
うまく3アイテムを見つけ出し、なおかつ「ルバイヤート」も手に入れてタイタニックから生還すると、ゲームのエンディングがこうなる。
①ルバイヤートとネックレス:セルビアのテロリストたちの資金源になるはずのものだった。これを主人公が入手したことでセルビアのテロリズムは頓挫する。だからサラエヴォ事件が発生しない。つまり第一次世界大戦が勃発しない。
②絵画:本来必要だったのは絵画の裏に貼り付けられた機密文書だった。だがタイタニックから救出された唯一の絵画ということで、この絵は高値で取引されることになった。おかげでこの絵を描いた人物も有名画家となる。その人の名前はアドルフ・ヒトラー(ヒトラーはもともと画家志望だった)。つまり第二次世界大戦が勃発しない。
③ノート:ロシアの共産主義者のリストだった。これが無事持ち帰られたことにより共産主義者は一網打尽に捕まえられた。したがってロシア革命は発生しない。東西冷戦も発生しない。
つまり20世紀は平和な百年になりましたというオチでした。
御茶ノ水研究会紀要(3)
聖橋
- 2010-06-18 (金)
- 歴史の切れ端
【ここまでのあらすじ】
1978年、当時中学校1年生だった僕とH君は、東京観光気分で御茶の水を訪れました。
まずは神田明神へ行こうと聖橋を渡った僕は、父から借りたカメラで御茶ノ水橋方面、そして秋葉原方面を撮影したのです。
何も考えずに朝のさわやかな空気の中で撮影したこれらの写真が、今では「それなりの歴史の記録」になってしまったことに、図らずも(少なくとも)32年以上も生きてしまったことを痛感する今日このごろです。
【本文】
さて、僕とH君は神田明神へと行き、そこで祭太鼓を叩く方々をひとしきり眺めていたのを覚えている。
そして神保町に向かうべく御茶ノ水橋を渡った際に撮影したのがこの写真だ。

聖橋(1978)

(2010)
「それほど景観に大きな変化がない」と感じるのが第一印象ではないだろうか。
実はそうではない。一度大きく変化しながら元に戻ったのだ。
ウィキペディアに、数年前に撮影された「聖橋」の画像があった。
見ればわかるとおり、聖橋を圧迫するかのように白いビルが屹立と聳えている。
我々がこの写真を撮影した5年後の1983年のこと。「さぁこれからバブルの時代だぞ!」と言わんばかりに聖橋のたもとに20階建のビルが竣工した。通称「日立ビル」と呼ばれていたこのビルの正式名称は「日立御茶ノ水ビル」。
このビルが日立の本社として使用されたのはわずか23年足らずだった。
2006年には本社は移転、2008年からビルの解体工事が始まり、半年でビルは地上から消滅した。
わずか25年の命だった。お向かいのニコライ堂が築120年になることを考えたら、なんともバカバカしい話だった(もっとも10年ちょっとで解体された磯子の横浜プリンスホテルなんてもっとバカバカしいのだが)。
そんなビルだったけど、地下駐車場が界隈では最も安かったこと、近隣にあった某大学では「ちょっと日立に面接に行ってくる」が合言葉だったことが印象に残っている。
まあとにかく、一時的ではあるけどそしてお茶の水の空の広さが戻ってきた。そして聖橋もスッキリとした表情をしている。
そんな聖橋を、僕は東京で最も美しい橋のひとつだと思っている。
だからもう一枚画像を紹介する。
僕の好きなサイトである土木学会付属土木図書館さんのサイトから許可を得て、転載させて頂いた。

聖橋(1927年頃 出典元および出典許可:土木学会図書館戦前土木絵葉書ライブラリ)
定点観測写真の試みについては「京都、円通寺裏定点画像」を、
画像拡大の試みについては「最も新しき大大阪名所絵葉書(3 難波橋編)」を、
画像とその情報に関する試みについては「『ベスト オブ くるり / TOWER OF MUSIC LOVER』全画像解説」などもご覧あれ。
御茶ノ水研究会紀要 (2)
-秋葉原方面の過去と今-
- 2010-06-15 (火)
- 歴史の切れ端
1978年の御茶ノ水の朝は、空気がよっぽど気持ちよかったんだろう。
聖橋上から御茶ノ水橋方面を撮影した僕は、今度は車道をわたって秋葉原方面を撮影している。

(1978年 聖橋上から秋葉原方面)
たまたま写っていた(あるいは確信犯的に撮影したのかは記憶にない)「うねうね模様」が特徴の丸の内線の赤い電車が懐かしい。そこで32年後は電車を待ち構えて撮影してみた。

(2010年)
その変貌には驚かされる。
僕はこの画像を撮影しながら「リッカーミシンの看板のあるビルはもう取り壊されたのか」と思っていた。
ところがどっこい、自宅で画像をチェックしてみたら、ちゃんと建っているではないか。

(1978年)

(2010年)
建物の形状、窓の位置が一緒だ。
このビル、調べてみたら「共同ビル万世」というらしい。1963年竣工だからすでに築47年が経過している。坪単価が1万円というかなり安い。おそらく景色もいいと思われる。光ファイバー設備も完備しているようなので、あるいは穴場物件かもしれない。
「リッカーミシン」の方は粉飾決算がバレて、1984年に倒産したとウィキペディアにあった。そういえばそんなこともあったなと思い出した。
1978年の写真には他にも面白い看板があった。

総武線鉄橋の左手に「TORIO STEREO」というのがあった。ここは石丸電気の本店ビルではないかと思う。
「トリオ」が「ケンウッド」の前身だったなんてこと、知らなかったなぁ。
ややこしいことに「共同ビル万世」では、リッカーミシンの看板あとが「ケンウッド」の看板だったことを「神田川に架かる140の橋」さんの記事「聖橋」で発見した。
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