倉橋ヨエコと子供たち(7/19 感謝的解体ピアノツアー 東京キネマ倶楽部 )

2012/6/21 木曜日

アンコールの際、はじめて観客側に照明が当てられた。
暗闇に浮かびあがる顔、顔、顔...
別にオカルトではない。

観客を見渡していたヨエコさんが、
僕の娘たち(小6と小4)の方を見て、名古屋弁で叫んだ。
「おおっ、キッズがおるがや~」。

娘たちがヨエコさんに手を振ると、
「こんな歌、聞いても大丈夫?」と尋ねてきた。
娘たちが頭をウンウンと振る。
するとヨエコさん、
「大丈夫なんだ。じゃあね、この曲知ってる?」と言って、
「これっくらいの おべんとばこに おにぎりおにぎり ちょいとつめて~」
即興で「おべんとばこ」を歌ってくれた。

歌い終えたヨエコさん、
「じゃあお次はこれ」と言って正面を向き、
短音階メロディで左手のベースラインもおどろおどろしい、
「おべんと箱(大人向け恐怖バージョン)」を歌った。

「こうすると浮気した旦那に恨みをこめて弁当作っている女、というオカルティーな展開になります」とMC。
観客が爆笑する。

それは娘たちの2年にわたる「倉橋ヨエコ」に対する想いに、ヨエコさん自身が応えてくれた瞬間だったし、8年間にわたる「倉橋ヨエコ」の音楽が何だったのかを、とてもわかりやすい形で、ファンに対して説明してくれた瞬間でもあった。

そして彼女は翌20日のライブを最後に「倉橋ヨエコ」であることを廃業(引退)してしまった。
だから「倉橋ヨエコ」なるアーチストはもう存在しない。
倉橋ヨエコ直筆色紙
ことの起こりは2年前だった。カミさんが小島麻由美ファンのblogか何かで「最近、倉橋ヨエコにハマっています」という書き込みを見たのがきっかけだった。「倉橋ヨエコって誰?」YoutubeでヨエコPVを子供たちとともに見た。
「恋の大捜査」「東京」「盗られ系」、
そして「楯]....こんなPVが当時のYoutubeにはUPされていた。

子供のことだ、ビジュアル面で彩られたヨエコワールドへの入口......映像クリエーター斉藤良浩が織り成す独特の世界.....に大いに後押しされたのだと思う。彼女たちはたちまちヨエコさんのファンになっていった。

「超」のつく音楽好きな親のもとに生まれた娘たちだった。これは幸福な側面と不幸な側面の両方を持っている。親は単に自分たちの好きな音楽を聞いているに過ぎない。だけどそれは当然のように娘たちに反映してしまう。幼児だった長女はモーニング娘。の「恋のダンスサイト」や「とっとこハム太郎」で踊るのと同じぐらいDragon Ashの「Grateful Days」やザ・スパイダースの「ヘイ・ボーイ」で踊るのが好きだった。次女は赤ん坊時代の「歯がため」としてNicky Hopkinsの"The Tin Man Was a Dreamer"のCDジャケットを手放さなかった(いまでも歯型が残っている)。子供だけを置いてライブにも行けないので...親の一方的な音楽への思いいれの強さもあるが....The Who、ムッシュかまやつ、Roger NcGuinn、くるり,そんなライブに連れてゆかれる羽目になった。

しかし、ことヨエコさんに関して明らかに違っていたのは、親から天下り的に「聞かされる、聞こえてくる」のではなく、彼女たちの意志でどんどん「聞き込んで」いった初めてのアーチストだった、ということだ。

両親にとっても「倉橋ヨエコ」は大きな存在となっていった。そう、彼女には、家族全員が「いい!」と断言できる才能と音楽があった。こんなことは初めての出来事だった。我が家にCDがどんどん揃っていった。AmazonあたりからCDが届くと、僕が仕事から帰ってくる頃には、娘たちはそのアルバムを何度も聞き込んでいた。「この曲がよかった、あの曲がよかった」という話を僕に教えてくれた。ドライブに行くときには必ずBGMにするよう要求されたし、CDプレイヤーを自分の部屋に持ち込んで聞いていることもあった。いつまでも曲名が覚えられない父に代わって、曲名を教えてくれた。どんな曲でもイントロだけで瞬時に曲名を言えた。次女は先生に提出する日記に「先生もヨエコをきいてみて下さい」と書いていた。インターネット限定発売の「東京メゾピアノ」というCDを購入した際、紙ジャケが痛まないようにと12cm用のプラスチックのCDケースに入れてあげたら、12cm用のジャケットを長女は作っていた。



そんな長女は「解体ピアノ」の"輪舞曲(ロンド)"を聞いて泣いていた。

ヨエコさんのライブに行くとき、娘たちは必ず彼女あての手紙を書いていた。一度次女にその手紙を読ませてもらったことがある。「ヨエコさんはどうしてあんなくらいうたをつくれるんですか?」みたいな失礼なことが書いてあったのと「好きな歌は"れんあいテム""ロボット"です。」とか書いてあったのを覚えている。今回のライブでも手紙を二人で書いていたけど、最後まで親には読ませなかった。きっと「廃業(引退)」する理由を尋ねていたに違いない。ああそうそう、次女は自分のスライムを小さなハート型カプセルに入れ、それを手紙に封入したらしい。まさに友達感覚。

娘たちに「ヨエコのどんなところが好き?」と尋ねると、即座に「歌詞が好き、あと音楽も好き」と実にシンプルな答が帰ってきた。彼女の生み出す歌詞は、口先だけの詠嘆や美辞麗句を連ねたものではなかった。オトナとしての体裁を取り繕うことはなくて、むき出しの恋愛感情、妄想、怨念、そして情念、それらがストレートに出ていた。これが子供の心のストライクゾーンをついたのだと、僕は考える。

小学生の女の子たちが「盗られちゃいました~」「戻れるならもっと賢く生きてただろう~」「人間辞めても離れない~」なんて歌っているのは、ハタから見ればかなりヘンな話かもしれない。だけど、それは「平成時代」というフィルターでモノを考えているからだ。僕は子供の頃、姉貴と一緒に「アーン、アーン(青江三奈"伊勢佐木町ブルース")」「あなたと逢ったその日から恋の奴隷になりました(奥村チヨ"恋の奴隷")」「ああ抱いて獣のように(夏木マリ"絹の靴下")」なんて歌っていたものだ。

そんな娘たちのヨエコさんへの想いは、ヨエコさんの突然の「廃業宣言」と7月19日のライブ(20日が最終)で、一定のピリオドを打つことになってしまった。

さて、今回のライブに行くにあたって、長女が「浴衣を着てゆく」と言い出した。ご存知の方も多いだろうけど、ヨエコさんのライブでは、ヨエコさんが着物でプレイすることが多く、会場には着物で来る人も多い。僕が「どうせ浴衣で行くんだったら、あの辺りでお祭りでもやっているといいね」なんて何気なく言ったら.....

ドンピシャ入谷の朝顔市だった。
娘たちは大喜び、次女は「金魚すくい、金魚すくい」と連発する。
あのなぁ、ライブ会場に金魚を連れて入れるかっつーの。

会場となる「東京キネマ倶楽部」前は黒山の人だかり、

しまいには行列がJRの陸橋を超えて鶯谷駅の方まで続く羽目になった。

「朝顔市」が目的で鶯谷駅に来た人には、和服姿や浴衣姿の入り混じった集団は、謎に満ちたものだったろう。「朝顔の無料配布かな?」と行列の末尾についた人もいたりなんかしたと思う。仮に「倉橋ヨエコのライブを待つ人たちです」と言ったところで、それを詳しく説明するのにどれほど膨大な時間と言葉を必要とするかわからない。相手が理解したところで、もはや明後日には倉橋ヨエコは存在しない。そもそも明後日からはこの集団が再びどこか同じ場所で同じ音楽を共有する可能性はないのである。

説明し難くて、場違いで、刹那的な集団.....ヨエコさんの「廃業」を見届けようとしているこの集団は、それ自体が最高の演出のような気がした。その集団のかなり先頭に、我々(家族3人と、僕がヨエコ界にひきずり込んでしまったSさんとKさん)がいた。

「東京キネマ倶楽部」は昭和45年前後(?)に作られたと思われる往年のグランド・キャバレー、その内装と設備をそのまま利用したライブハウス。そのデザインは「昭和的やたらゴージャス」の一言に尽きる。ここでヨエコさんを見るのは二度目だけど、彼女ぐらいこの雰囲気が似合うミュージシャンも珍しい。

ライブそのものについては木の葉燃朗さんの「いちファンによる倉橋ヨエコ応援ブログに詳しく紹介されている。木の葉さんはインディーズ時代からヨエコさんを応援し続けてきた人。このブログでUPされる情報がどれだけ参考になったかわからない。翌20日、つまり最終ライブも行かれたようで、その両方のライブレポを読めば全てが書かれている。2日間のセットリストはもちろんのこと、ヨエコさんがどんな衣装で登場したのか、どんなに美しく輝いていたのか、どんなことをMCで話したのか、どんなテンションでのぞみ、最後はどんな風に終わったのかがよくわかる。これ以上の文章を僕は書けない。

(ネタバレします)7/19@東京キネマ倶楽部のライブ行ってきました
(ネタバレします)7/20@東京キネマ倶楽部のライブ行ってきました

会場では最前列を確保できた。ドラムセットの真ん前だ。前回とはうって変わってオールスタンディングだったので心配ごとがひとつ。次女は落ち着きのない性格で、ほおっておくと糸の切れた凧みたいにどこかへと行ってしまう。そう、僕にウリ二つなのだ。18時開場のライブは19時15分ぐらいに始まったのだけど、その間、退屈そうに座ったり立ったり....右へグラグラ左へダラダラ......隣のお客さんにも迷惑をかけていたと思う。しかも観客止めの柵が彼女の鼻ぐらいの高さだ。やや見上げるような姿勢をずっと強いられることになる。はたして初めてのスタンディング、しかも3時間近くになるであろうライブを大人しく見られるだろうか?そう心配していた。

ところがヨエコさんが登場すると立ち位置をほとんど変えることなく、終演まで真剣な表情でヨエコさんに見入っていた。
後で「エライな。最後までいい子にできて」と次女に言ったら、
「当たり前でしょ、ヨエコのライブだよ!」と怒られた。それは長女も同様だった。
二人とも真剣な表情で手拍子をし、ヨエコさんと一緒に口ずさみ、音楽にあわせて体を揺らし、そんな風にして最後までライブを楽しんでいた。

1stアンコールは「ジュエリー」でしっとり終わったが、2ndアンコールはバックバンドMEGANE WRENCHのボーカル古城さん(DVDでは「東京キネマ」のステージ後方上段でノリまくっていた人)も登場。何と僕らの真ん前で歌い踊ってくれた。ステージは多いに盛り上がり、最後の曲は「楯」だった。ピアノの最後のノートを打鍵したヨエコさんは、その余韻の中で右を向けながら、ピアノの上に覆いかぶさるように頭を倒しこんだ。まるで余韻の音を確かめるかのように......そして鍵盤を離した。これで終わりだ......

最後のこの話もしなければいけないだろう。バックバンドとともにステージから退場し、ホールが明るくなってBGMが流れ出し、アンコールの拍手も途切れた時だった。

ドラムスを叩いていたMEGANE WRENCHの「いっきゅう」こと一之瀬久さんがステージに戻ってくると、カミさんに「これ、どうぞ」と、一枚の紙を渡してくれた。

今日のライブのセットリストだった。

僕は直感的に、これはヨエコさんが一之瀬さんに託したものだと感じた。
ヨエコさんからの娘たちに対する「手紙のお返事」なんだと思った。
体が震えた。それ以上に表現のしようがなかった。
横で長女がこみあげてくる涙を必死におさえていた.......

ヨエコさん、あなたの8年にわたる音楽活動の中では、2年という短い時間でしたが、我々を楽しませてくれてありがとうございました。あなたの音楽、あなたの生き様から色々なものを得た娘たちは、これからもずっと、あなたの音楽を大事にし続けるでしょう。そして、あなたの予想に反して(笑)こんな小さなファンが居たことを忘れないで下さい。

万物平等平和主義の長女
一番好きな倉橋ヨエコのアルバム
どのアルバムも大好き
好きな倉橋ヨエコの曲
どの曲も大好き

結構ストレートにモノを言う次女
一番好きな倉橋ヨエコのアルバム
「解体ピアノ」
好きな倉橋ヨエコの曲
1:椿荘(「モダンガール」)
2:今日も雨(「色々」)
3:輪舞曲(「解体ピアノ」)

【7/26追記】
「倉橋ヨエコ」の公式サイトで最後の日記「解体しました」がUPされた。

歌を通して人生を暴れることで、自分の殻を打ち破ってきたヨエコさんの想いが綴られている。
残念なことに7月30日でこのサイトも閉鎖し、おそらく彼女の日記も二度と見れなくなるのだが、その日記の最後にこんな文章が書かれていた。

2008年7月25日
倉橋ヨエコを辞めた女より

これを最後のぶつぶつぶつとさせて頂きます。

(追伸)
☆未来あるキッズへ☆
大きくなるにつれて絶対に苦しい事がたくさんあるでしょう。
知らないうちに遠回りしてて
ゴールがさっぱり見えないからぽきっと心の花が折れてしまう事もあるでしょう。
でも、弱い事は悪い事なんかじゃない。
強い子は弱い子の気持ちが分からないけど
弱い子が強くなれば何と!両方の気持ちが分かるから、本当はラッキーなんだよ。
そして、最初は嫌われたって
ズルせずに正直にめいっぱい気持ちを伝えて一生懸命もがいてたら
きっと誰かが見ててくれてるんだよ。分かろうとしてくれるんだよ。
そんな奇跡をある日発見した時、それは無敵の生きるパワーになってるんだよ。
倉橋ヨエコと言う弱い大人も、歌を歌いながら経験して少しだけ強くなったんだよ。
それだけは証明できるよ。
今までちょっぴり怖い歌を聴いてくれてありがとうね。

最後に
宿題は7月中にハイペースで片付けると
後で楽できて夏休みも10倍楽しいよ~。
頑張って勉強してね!

さっさと片付け過ぎて何故か友達の宿題まで喜んでやっていたMで引きこもりのお姉さんより。

じわっときた。
もう深夜なので、明日子供に読ませてあげようと思う。

むろん、ヨエコさんの音楽が大好きで、ご両親に連れられてライブに行っていた「キッズ」は大勢いたと思う。というかここ1年、両親に連れられてヨエコライブに行くキッズはぐっと増えていた。7月20日のライブでもそうした子供さんたちがいたと聞いているし、この日もヨエコさんは「おべんと箱」をキッズたちに歌っている。

でも僕は、娘たちに「最後のメッセージをヨエコさんが君たちにくれたよ」と説明しようと思う。
これは「消防署のほうから来ました」的表現かもしれない。だけど、それはそれで事実だ。そして、ヨエコさんのまなざしにはステージ正面わずか3mの距離で聞いていた娘たちの真剣な瞳は映っていたと思う。

ヨエコさん、素敵なメッセージをありがとう。
娘たちは、これからも色々な音楽、いろいろな言葉探しの旅を続けると思います。
そのいっぽうで、沢山の辛いことに直面すると思います。
そんなとき、貴方の言葉をひもといてくれることを、親として祈っています。
その言葉には経験した人だけが持つ重みがあり、
素晴らしい音楽を通して貴方を知った娘たちにとっては、
ある意味、親の言葉よりも心に響くと思うのです。

この日、この場に居合わせた方々。
●いちファンによる倉橋ヨエコ応援ブログ
(ネタバレします)7/19@東京キネマ倶楽部のライブ行ってきました
●ミュージックライフ
倉橋ヨエコ 「感謝的 解体ヨエコツアー」@東京キネマ倶楽部 [LIVE!LIVE!]」
●ヒカルヒ。
感謝的解体ヨエコツアー@東京キネマ倶楽部7/19
●営業日誌(改)
倉橋ヨエコ「感謝的解体ヨエコツアー
●コドモ デ アソブ
倉橋ヨエコさんな一日
●MESCALINE DRIVE
名古屋鉄道の夜
●Digital Maiden blog
感謝的解体
●赤ちゃんの星と犬について(Babe Starスタッフの方)
礼を言いたいのは、こっちの方だ。2008年度廃業クイーン倉橋ヨエコ。