林家彦六(八代目林家正蔵)の高座をみた話

エー毎度バカバカしいお噺を一席。

長女のiPodに3代目三遊亭金馬師匠の「佃島」「三人旅」を入れていた。
たまたまそれを聞いた彼女が「私も一度寄席に行ってみたいなぁ」と言い出した。歯切れのいい金馬師匠の落語は初心者にもわかりやすい。彼女は演劇部にいたぐらいだから、感じるものがあったんだろう。

「寄席かぁ~、ずいぶん行ってないよなぁ~」

僕が寄席に通っていたのは、もう30年ぐらい前のことだ。
高校一年生(1981)から大学二年生(1987)ぐらいまでの六年間だったと記憶している。当時は市川の行徳に住んでいたのだけど、ここは気軽に寄席に行ける立地だった。

ぜんぜん「落語通」になろうなんて意識はなかった。意識があったら、ノートとペンを片手に高座にかじりついていただろう。
当時はバブル景気の真っ只中、どんどん古いものが壊されて新しくなってゆく時代だった。遊郭だった建物が高層ビルになり、銭湯がどんどんマンションへと変わっていった。僕は現在進行形で消えかねない「江戸前」の雰囲気を楽しみたかった。何よりも「ばかばかしい笑い」を求めていた。

もう少し学術的に聞いていれば、ウンチクのひとつやふたつ語れるのだけど、こちとら笑いに行っているだけなんだから、今でも落語のことはあまり詳しくない。

ダントツに行ったのは浅草演芸ホールで、新宿の末廣亭も好きだった。一番家から近かった東陽町の若竹は一回きりだったと思う。
林家彦六(正蔵)
そんな中で、林家彦六(先代正蔵)師匠の最後期の高座を見たというのはちょっと自慢だ。
それはたった一度だけ、国立演芸場に行った時のことだった。

林家彦六...いや「八代目林家正蔵」と言った方が正しいのだろう。
彼が「彦六」を名乗ったのは、晩年の1~2年だった。その理由に関してはここでは省略する。興味のある人はこちらを読んで欲しい。

正蔵師匠は、明治以来の伝統的な落語の伝承者で、怪談噺や文芸噺を得意とした昭和を代表する落語家だった。
現在は「こぶ平」が正蔵を襲名しているけど、たとえばYoutubeで「林家正蔵」と検索すると、出てくるのはこの「彦六の正蔵」ばかりだ。思えば「こぶ平」も大変な名跡を背負ってしまったものだ。僕なんぞはむしろ「こぶ平」に同情しているクチで、何とかこのプレッシャーをはねのけて彼なりの正蔵を作って欲しいと(一応は)願っている。

ちょっと噺が脱線したな。
僕がみた彦六師匠は、もう「縁側で日向ぼっこするおじいさん」という感じだった。声に張りがなくて、なんとなく呂律も回っていなかった。
でも、とても折り目正しい品格のある人だった。今の時代の人じゃなくて、ずっと昔の人....彼が高座にいる間、きっと僕は「明治」という時代をシェアしてもらっていたんだと思う。

ただ、この時のなんだか弱々しい印象から、僕は「大丈夫かなぁ~」と思っていた。


(師匠の「ぞろぞろ」。そうそう、こんな感じだった。でも今みると何とも言えない古い時代の「いい風味」がある。この風味が好きになってしまえば、あなたも彦六ファンだ。昭和55年12月の高座とあるからJohn Lennonが射殺された同じ月だ。)

今は便利な時代になったものだ。今回この記事を書くにあたって、当時の演芸場の公演をすべて記録している「文化デジタルライブラリー」というサイトを見つけた。たしか春風亭小朝と晴乃ピーチクも出ていたな、という記憶を頼りに探してみたら、それは昭和56(1981)年9月定席公演中席(9月11日~20日)ということがわかった。ちょうど高校一年生の時だ。

彦六師匠はその年の11月7日の高座が生前最後のものとなった。そして翌年1月29日に亡くなられている。
僕がみた高座は本当にギリギリだったことがわかる。


(五代目蝶花楼馬楽時代の「ジャズ落語」。何と昭和6年。信じられないけど切れ味がよくて、モダンでまるで別人)


(「永代橋」。昭和56年10月19日録音だから最後期の録音だ。いい味出してるなぁ~)
当時のプログラムなんかとうに失くしてしまったので、先ほどのサイトのデータを元に、記録としてこの時の演者を書いてみる。僕なんかよりよっぽど落語好きの方にとって興味深い内容でしょう。

前座
落語:古今亭志ん太(6代目 古今亭志ん橋

似顔絵漫談:晴乃ピーチク(2007年死去)

落語:春風亭小朝

落語:八光亭春輔 

俗曲:日本橋きみ栄(1993年死去)

落語:林家彦六(1982年死去)

漫才:大空みつる・ひろし

曲芸:海老一染之助・染太郎

落語:4代目三遊亭金馬 

30年前には、まだ明治大正生まれの芸人がいたことがわかる。
彦六師匠なんかは、そんな時代の匂いを持った数少ない落語家だったと思う。

そうそう、弟子の林家木久蔵(現木久扇)が彦六師匠をネタに新作落語を作っている。


(「彦六伝」)

晩年10年ぐらいの師匠ならともかく、木久蔵さんが前座時代の師匠はダンディで切れ味のよい落語をやってるわけだから、こりゃあ大げさ(笑)
でも、林家木久蔵さんが本当に伝えたいのは、明治人が持つ独特の空気なんだろうなと思った。
お陰で僕は「彦六を見た」と言えるわけだし。iPodには彼の噺が70以上入っているわけだし。

えっ、娘と落語に行った話ですか?
それはまた後日。ヘイおあとがよろしいようで。