伊福部昭氏死去

何だかよくわからないが、連チャンで追悼記事を書くことになってしまった。
それでもこの人については書かなきゃいけないだろう。

さてさて、今年になってから相次いで様々な方が亡くなってらっしゃる。
本気で追悼記事を書いたとしたら、それだけで4回は書かなきゃならない。

1月19日 ウィルソン・ピケット(60年代を代表するソウルシンガー。「ダンス天国」「イン・ザ・ミッドナイト・アワー」などのヒットがある)

1月22日 川田正子(戦時中から戦後を通して活躍した代表的な童謡歌手。「兵隊さんの汽車」「みかんの花咲く丘」「とんがり帽子」が大ヒットした)

1月29日 鈴木市蔵

2月9日 小沢三千雄(下山事件と並ぶ「戦後の謎」である松川事件の特別弁護人)

戦後史の中で活躍した人が相次いで亡くなっていったため、「”戦後は遠くなった”ってことなんですかね~」なんて話を、「下山事件資料館」で知り合った方にメールしていた矢先に、今度はこの方の訃報が入ってしまった。

伊福部昭【いふくべあきら=作曲家】
8日午後10時23分、多臓器不全のため東京都内の病院で死去、91歳。北海道出身。(中略)50年代から「原爆の子」「ゴジラ」など話題作の音楽を担当。「ゴジラ」のテーマ曲は、怪獣の恐ろしさを表現し、外国映画にも大きな影響を与えた。ほかに「ビルマの竪琴」「大魔神」シリーズなどが代表作。「日本狂詩曲」など管弦楽、舞踊音楽も多数作曲し、76年から87年まで東京音楽大学長を務めた。03年文化功労者。

これに補足をするならば、「世界で最も有名な日本人映画音楽作曲家」といいきっても、間違いない。

いま僕は誰もいなくなった教室で、「ゴジラのテーマ」をBGMにしながらこの文章を打っている。

かりににこの曲を知らないという人がいたとしよう。しかし「ダウンタウンのごっつええ感じ」の「板尾課長」のBGMだと言ったらピンとくるかもしれない。かつて坂本龍一がやっていたFMラジオ「サウンドストリート」から出現した「福岡市ゴジラ」の原曲だといってもいい。そんな人でも教室にある「ニッポノホンCD(慶応年間から昭和45年に至る名曲を収録した90枚組)」で実際に曲を聞いたら「ああ、この曲か」と合点すると思う。知らず知らずのうちに知っている作品、それが「ゴジラのテーマ」だ。

さて、僕はかつて子供たちにこの曲にあわせて有名な替え歌を歌ってあげたことがある。
「ゴジラッ、ゴジラッ、ゴジラが来たぞっ、ゴジラッ、ゴジラッ、ゴジゴジゴジララ」というやつだ。そうしたら次の瞬間にはもうメロディーまで覚えて歌っていた。

僕にも似た経験がある。小学生の時分、しばしばテレビで「怪獣大戦争(昭和40年)」という映画を放映していた。僕はこの映画に登場する行進曲が一発で気に入ってしまい、口ずさんでいたものだ。また、「大魔神」という映画も時折TV放映されていたが、大魔神が暴れるシーンで流れる恐ろしげな曲にも強烈な印象を持っていた。
前者が「怪獣大戦争マーチ」という曲で、後者とともに作曲者が伊福部昭であることを知ったのは15年も後のことだった。

一度聞いたら忘れられない何か持っている作品、それが伊福部作品の特徴なのだろう。

堀井センセに言わせると伊福部昭の音楽っていうのは5拍子や7拍子という変拍子を使う点が特徴なんだそうな。これって5.7.5の川柳と一緒のリズムなんで、日本人には親しみ易いのらしい。また同じリズムやメロディを反復して使う点(”オスティート”でいいのかな?先生?)が特徴なんだそうだ。「ゴジラのテーマ」にもこの特徴が良く出ている。だからこそ知らず知らずのうちに聴覚から入り込んで、脳みそにインプリントされているのだと思う。

しかし単純なフレーズの繰り返しでもなければ、単純なメロディの繰り返しでもなく、よくよく耳を傾けると実に複雑な構成をしているところが、この作曲家の凄いところだったと思う。

昨年の年末にひょんなことから伊福部昭氏の甥で、東京大学先端科学技術研究センターの伊福部達教授にお会いできた。ご本人も福祉工学の権威で、ロウ管蓄音機再生技術の第一人者だったので、失礼かとは思ったが、やはり叔父上に関する話題を出してしまった。そのぐらい僕にとっては小さい頃から慣れ親しんでいた作曲家だったわけだ。

謹んで氏のご冥福をお祈り致します。

「宇宙基地、我々は脱出する、未来に向かって脱出する、まだ見ぬ未来へ向かってな...(怪獣大戦争より)」