千木良(ちぎら)

「相模原市緑区」なんていう嘘くさい地名はどうも好きではない。
緑が多いから緑区なんていう安易なネーミング、そこに歯が浮くほどの欺瞞を感じるからだ。フツーに鹿と遭遇するような山道に「相模原市緑区」という標識をみるたびに、それを思う。

相模原市が津久井郡藤野町、城山町と合併したのは2007年のことだった。
この合併で政令指定都市へと移行が進み、橋本、大沢、城山、津久井、相模湖、藤野の各地区は「緑区」となった。

もちろんこうした合併による地名の統一については「制度的に」理解しているつもりだ。
だが、そのひとつひとつに地域には固有の歴史があった。自然環境も生活環境も文化環境も全く異なっていた。何よりもそこに暮らし続ける人たちの営みは様々だった。それらを統合し、文字通り「緑一色」で覆いつくしてしまったことに違和感しか感じないのだ。

美化されたイメージを作り出そうとする軽さ....それは何事もなかったかのように装う後ろめたさと対になるのだと思う。

今回悲惨な事件が起きた「千木良(ちぎら)」は、そんな緑区の一角にある。
人口わずか2000人の集落だ。なんとも浮ついた「緑区千木良」という住所よりも、僕には「津久井郡相模湖町大字千木良」という旧地名の方が余程しっくりくる。

この集落は何度か通ったことがある。祖父が遭遇した「湯の花トンネル列車銃撃事件」の現場とは高尾山を挟んで東と西、という位置関係にあるからだ。辛くも銃撃を逃れた祖父は、徒歩で小仏峠を越えた。神奈川県に入った最初の大字が「千木良」だった。

その集落はまるで「陸の孤島」のようだ。
八王子側から国道20号で小仏峠を越えると、ちょうど登坂区間が終わったあたりが千木良の集落となる。
高尾山と相模川に挟まれた細長い平地に、家々が点在している。

集落に入って行くには「異常気象交通規制終点」にあるやや狭い二差路を鋭角に左に入り込む必要がある。下り坂でスピードを出していると、うっかり通り過ぎてしまうような二差路だ。
千木良二差路
(二差路、Google Street View)より
相模湖の観光を目指すマイカー、中央高速事故渋滞の抜け道として使うトラック、何らかの事情で高速を走行できないトラックは、ここを後目にどんどん先へと通り過ぎてしまう。彼らの視界には小さな二差路など眼中にない。よほど土地勘が良い人でなければ、この二差路を入ってゆくことはない。

かつては完全に袋小路の集落だった千木良だったが、昭和63年ごろに集落の南側に桂橋と若柳トンネルが開通した。集落内の道路は整備され、さがみ湖リゾートや津久井方面への抜け道となった。

でもそれは村の中心を通り抜けてゆく車が増えただけの事に過ぎない。

この場所に「県立津久井やまゆり園」が開所したのは昭和39年4月のことだった。袋小路の集落に影を潜めるようにその施設は開かれた。

犯人の植松聖は生まれて間もない頃、ここに越してきたそうだから、それは平成2年頃と思われる。集落内の交通量が増えてからのことだが、相変わらず閉ざされた社会で彼が育ったことに違いはない。

僕はこれ以上の事を書くつもりはない。
本気であの事件を追及するであろうライターさんが、地域とそこに住んでいた犯人とを結び付けて「何か」を考察してくれる事だろう。

さて、実名を発表されることすらなかった気の毒な被害者の方々。そこには遺族の方々の希望があったという。
被害者の多くが高齢の方々だということも、そうした希望を強くしてしまったことだろう。

しかし一人ひとりの被害者にも生きてきた人生があった。差別に耐える中で、苦労も悲しみも喜びも積み重ねてきた歳月があったはずだ。

中学一年生の時のこと。
ナチスが収容所のユダヤ人をすべて番号でのみ管理したという話を、担任の「ゲンジュウ」から聞いたことがある。

学生運動の経験者でもあったゲンジュウは、こう言っていた。
「人を番号だけで呼ぶことは、大変失礼なことだと先生は考えているんだ。収容所のユダヤ人がそうだった。名前ではなく番号だけで人間を管理する。情を移す余地なんかなくなる。番号で没個性化することで、ナチスはユダヤ人を安易にガス室に送ることが可能だったんだよ」。
新聞の片隅に書かれた「男性(66)、女性(70)」という無機的な被害者一覧を読んだ時、その言葉が頭をよぎった。

一人ひとりの人生を「なかったこと」にしているのは、犯人なのだろうか?この社会なのだろうか?

実名発表がされなかった異様さと、何もかもを覆い隠して「緑一色」で包み込んだ安易な地域のネーミングとが、今は自分の頭の中で結びついて離れない。