フランス・ギャルの肖像

カタギのサラリーマンからCDショップに転職した、というのが自分の運の尽きだと、よく自虐を込めて人に話します。

CDショップ時代の思い出は色々とあるのですが、1月7日に亡くなったばかりのフランス・ギャルについて書いてみましょう。

往々にしてこの仕事をやっていると、安室だの小室だのGLAYだののように(1990年代後半の話です!)「勝手に売れる」「放置プレイにしておいても売れる」商品にはあまり魅力を感じないものです。

やはり忘れられないのはスタッフが耳にして「いい!」と思った音楽を、店内で流したり、プッシュしながら売って行く事なんです。
そこにCDショップに働くことの楽しさみたいなものがあるわけです。

そんな中で、忘れられないCDの一つがフランス・ギャルのベストでした。もう20年も前の話です。

(「フランス・ギャル・ベスト」PHCR-12537 Release:1997.9.26)

何と価格は1,200円!

フィリップス社からかつてリリースされた名盤の廉価再発シリーズの中の一枚でした。
かと言って他にどんなCDが1,200円でリリースされたかあまり覚えていません。
確か10ccの「Original Soundtrack」なんかもリリースされていたという記憶があります。
このベストも1970年にアナログ盤、1989年ぐらいにCD化されたものの再発でした。

これ、自分でも社内割引で購入したのですが、あんまりお洒落な音だったので、むしょうに人に薦めたくなった。
一応「限定価格盤」でしたのでやや多めに仕入れて、店内BGMや試聴機で流してたら驚くほど売れる売れる.....
考えてもごらんなさい、1,200円ですよ。
地道に10枚売ったって12,000円の売上にしかならない。
GLAYのアルバム4枚売る方がどんだけ効率いいかわからない。
でもCDショップに勤めている人間はこういうのが大好きなんですよね。ほぼ生き甲斐みたいになっている。


(フランス・ギャル「夢見るシャンソン人形 -Poupee De Cire Poupee De Son」。セルジュ・ゲンスブールの才気輝く一曲。フランスでのリリースは1965年3月。世界的な大ヒットとなった。日本では同年8月10日に弘田三枝子を皮切りに、10月に中尾ミエ with ブルーコメッツ、12月にミッチー・サハラなどのカバーを生んでいる)

当時の店内BGMなんて、主力新譜のリリース時を抜かせば、店長とスタッフの気まぐれです。
お客さんが来たら何となくその人のファッションでわかるんです。
「このCD流したら、この人買ってくれるだろうな」っていうのが。
それでをフランス・ギャルに切り替える。
すると「これ、誰ですか?」と尋ねてくる。
それで売れちゃう


(フランス・ギャル「ジャズる心 – Le Coeur Qui Jazze」。「シャンソン人形」のB面曲だった。もうタイトルからしてヤバイ!)

このCDが再発された1997年頃には、いわゆるお洒落な「渋谷系」サウンドのブームも終わりつつあったのですが、彼女の洒落た音楽は作られたものではなくガチだったんです。
1960年代の空気やフレンチポップスの瀟洒な空気を包み込んだサウンドに、好きな方にはピーンと来るものがあったのでしょう。

自分が仕掛けたなんて絶対に思いませんが、このCDは口コミでガンガン広がっていったんだと思います。
当時、京都の洒落た雑貨屋さんなどへ行くと、必ずこのCDが流れていたぐらいでした。


(フランス・ギャル「ジャズ・ア・ゴー・ゴー – Jazz à gogo」。日本では「シャンソン人形」より先の1965年5月にリリースされた。当時...1965年ではなくて1990年代後半...自分の中で「ア・ゴー・ゴー」をつけるのが流行っていた。ご老人が乗る電動カーに「おばあちゃん・ア・ゴー・ゴー」と命名したりしていた)

「自分は恋の歌を歌っているけど、恋なんて知らないんだ」という歌詞の「シャンソン人形」は、1965年当時の彼女そのものでした。
鬼才セルジュ・ゲンズブールはそんな彼女に「何か」を連想させる「アニーとボンボン」というとんでもない曲を歌わせたりするわけですが、そんな彼女もやがて大人になっていったのでしょう。


(「アニーとボンボン – Les Sucettes」。「何か」が何なのかは余所で調べて下さいね)

さて、2000年代の初頭だったと思いますが、NHKのBSで「懐かしのフレンチ・ポップス」みたいな番組をやっていました。
当時ビデオ録画し、DVDに焼いた映像を今でも持っていますが、そこでフランス・ギャルがインタビューを受けています。
今から16年前ですから、彼女は50代の中盤ぐらいだったはず。驚いた事に年齢を感じさせない美しさが彼女にはありました。
フランス・ギャル [2001年当時]
だけど、彼女の口からは夫の作曲家、ミッシェル・ベルジェとの死別、長女との死別という自分を襲った不幸が語られてゆきます。
彼女はインタビューでこんな事を言っています。
「こんな激動の人生なんて頭がおかしくなりそう!でも私は正気です(中略)人を成長させるのは幸福ではありません。信じがたい不幸が人を成長させるのです。私はそんな不幸を乗り越えました」