東名高速道路の崩落地点を迂回した話

11日の夜から京都へ行こうと思っていたら、早朝の地震で東名高速が崩れおちてしまった。
とりあえず「なあに、よくあることさ」と呟いてみてから考えた。

ニュースでは京都方面への下り線は静岡ICから菊川ICまで通行止と言っている。距離にして40km程度、この区間を一般道を走らなければいけない。
それならば中央高速でという選択もあった。だけど横浜から中央高速の八王子ICまで行くにはあまりにも手間がかかりすぎる。さらに中央高速ルートだと京都まで30kmは余計に迂回しなければいけない。東名高速と一般道を併用させて走っても、そんなに時間的には変わらないのではないかと思った。
静岡菊川災害通行止
それともうひとつ。
静岡市付近を地図で確認してみたら、この付近は国道1号のバイパスがかなり整備されているようだ。自動車専用道路が通行止区間をほぼカバーしているようにも見えた。静岡IC付近の静清バイパス岡部バイパス藤枝バイパス島田金谷バイパス日坂バイパス掛川バイパス袋井バイパスという具合に国道一号バイパスは連続してつながっているようだ。これを利用すれば、菊川ICどころかもっと先の袋井IC付近までスムーズにゆけそうにみえた。これを使わない手はないと思った。

深夜1時30分に横浜を出発した。
東名高速は恐ろしくガラガラだった。トラックの量は異常とも言えるほど少なく、バスに至っては皆無だった。中央高速を選んだのは明らかだった。いつもなら片側二車線になる御殿場IC以降は深夜でも団子レースになるのが普通だったけど、この夜ぐらいスムーズに走れたことはない。後で知ったけれどこの日の東名の交通量は前年比50%だった。

東名高速の清水ICで降りたのは3時過ぎだったと思う。ひとつ手前の清水ICで降りたのには理由がある。静岡ICでは出口渋滞が起きていたし、このICはバイパスから離れている。いっぽう清水ICは静清バイパスと直接連絡していた。
清静バイパスは首都高速みたいな高架道路で渋滞もなくスイスイと進んでいった。
「これは正解だよ。そんなに時間をかけずに菊川まで抜けられそうだ」とカミさんに言う。
「抜け道っていうのは、こうやって行くものさ」とまで思った。
少なくともここまでは良かった。

状況がおかしくなったのは、岡部バイパスの宇津谷トンネルを越えた付近だった。
突然の渋滞に巻き込まれ、車は全く動かなくなった。

一瞬頭の中に、刀で切られた血まみれの按摩の形相がよぎった。
私のトラウマのひとつに「日本怪談劇場」の第四話「怪談・宇津谷峠」に登場する文弥という按摩がいる。百両の金目当てに文弥は行きずりの男に殺された、やがて文弥は幽霊となっての男の前に現れる。白塗りの化粧に血まみれの形相、当時小学校の低学年だった私は完全にトイレに行けなくなった。彼は京都へ向かう途中、この宇津谷峠を越えた付近で殺されたのだ。

ノロノロと進むような普通の渋滞ではなかった。完全に停止して思い出したようにチョロっと動く。やがて電光表示板によって、この渋滞の原因が藤枝バイパスのトンネル内で発生した自動車事故だと判明した。
「なあに、よくあることさ」と呟いた。
「馬鹿野郎」とも呟いた。
東名が通行止となり、国道一号藤枝バイパスも通行不能。その瞬間から、この渋滞にいる車たちは「路上難民の列」となりはてた。
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一般道ならばわき道に逃げることもできるけど、バイパスだからそうはゆかない。ようやく30分かけて1500m先の岡部にある内谷新田の交差点でバイパスから抜け出すことができた。

高速もダメ、バイパスもダメということで、ほとほと弱り果てながら再び地図を覗き込む。
そうしたら一本の道が浮かび上がってきた。国道150号だ。
内陸を走る国道1号に対し150号は海側を浜松まで走っている。途中から御前崎へと南に大きく迂回はするものの、大井川までは東名高速とほぼ並行して走っている。150号を利用して大井川を越え、そこからは高速に並行している県道79号を利用する。そうすれば菊川ICまでそう苦労せずにたどりつけそうだった。
そこで車を南東方面へとむけ、閉鎖されている東名の焼津ICを通り過ぎて国道150号へと入った。

通行禁止区間をつなぐ幹線道路だから、さぞかしここも渋滞しているだろうと思ったら、道はガラガラだった。一気に大井川を越え、県道79号へと入った。

東名高速の吉田IC近くの交差点を直進する。高速の崩落現場がどうもこの付近らしいということはわかっていたけど、その現場を探すつもりはなかった。まだ京都まで途方もない距離を残していたし、崩落現場どころか菊川ICまでたどり着ける確証もなかったのだ。
曖昧な地図と、道路標識だけを頼りにひたすら県道79号を走る。そうしているうちに見渡す限り茶畑が広がる小高い台地に出た。
夏の夜は短くて、午前4時50分ごろだけど、こんな写真が撮影できた。
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早朝から路上で立ち話しているヤンキーの兄ちゃんに道を尋ねたり、地震の影響で屋根瓦が崩落している民家を横目に見ながらようやく菊川ICにたどり着いたのは5時10分過ぎだった。通常なら35分で通り過ぎるルートを正味2時間10分かけて通過したことになる。

菊川ICの直前までは全く単独で走行していたが、ここへはどこからともなく車が集中してきていて、IC前ではちょっとした渋滞となっていた。様々なルートでここまでたどり着くことのできた、無事に路上難民から生還できた車とともに喜びをわかちあいながら東名高速に入った。

それでも、京都まで250kmの道のりが残っていた。
東名高速崩落現場東名高速崩落現場2
(この2枚は帰りがけ、前日に仮復旧したばかりの崩落現場を撮影したもの)