京都、円通寺裏定点画像

2008/5/31 土曜日

これは今からちょうど20年前の1988年の夏の写真。
円通寺裏のほぼ定点画像1
僕は大学で「古都研究会」なるサークルにいた。
高校時代が「ロック同好会」だったわけだから、恐るべき転進といえるだろう。まあいいいや。
その合宿で京都に行った際、岩倉幡枝の円通寺というお寺の裏手で撮影した。ここには比叡山がとてもキレイに見える場所がある。おあつらえむきに車止めの鉄の円柱が立っていて、それを三脚代わりにして撮影した。
ちなみに前列の一番左が僕。後列左のグラサン野郎は、教室にあるタンノイのスピーカーをくれた男。今でもマイミクのバンコクいちろう君だ。
なお、場所はこのあたり。

まさかこのときは、その後20年にわたって、この場所で写真を撮影してゆくことになるとは想像だにしなかった。むろん京都に住むことも.....
円通寺裏のほぼ定点画像
6年後の1994年4月撮影。隣はカミさん。円通寺には比叡山を借景とした素晴らしい庭園があり(おそらく京都の庭園でも最高水準)、それを見るために春爛漫の季節に行ったのだろう(円通寺庭園の画像は「他称若年寄の日々」さんのblogの画像が素晴らしい)。
このあたりは、江戸時代に後水尾天皇が「比叡山がもっとも美しく見える場所」と称えて、自分の別荘を作ったほどの所だ。市街地に近いにもかかわらず、喧騒を離れた別天地だった。
むろん、僕にとってもお気に入りの場所だった。
円通寺裏のほぼ定点画像
さて、お次は同じ1994年の11月。この年の9月に至近距離の北山に引っ越した僕は、この場所まで自転車で行けるようになった。冬枯れの季節の夕刻に、自転車で円通寺を通って宝ヶ池まで遊んだときの画像。
円通寺裏のほぼ定点画像
1995年3月撮影。右膝じん帯の内視鏡手術を受けた後、リバビリをしていた頃だ。
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手術は1月14日。3日後の明朝、病院のベッドで阪神淡路大震災に遭遇した。
円通寺裏のほぼ定点画像
1995年8月撮影。北山の暮らしは10ヶ月で終了した。11月に結婚を決め、太秦に新居を見つけたからだ。おそらく引っ越す前にお別れに撮影しに行ったのだろう。
円通寺裏のほぼ定点画像
1996年9月26日撮影。この日はあいにく比叡山がガスっていて見えなかったようだ。すでにカミさんのお腹には長女がいる。長女が生まれたのは、この20日後だった。
円通寺裏のほぼ定点画像
2001年2月9日撮影。いつのまに家族は4人となっていた。
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4年ちょっとの撮影ブランクは、夫婦ともに仕事と育児に忙しくて、太秦から岩倉まで行く余裕がなかったことを意味している。
円通寺裏のほぼ定点画像
2004年5月3日撮影。ここからデジカメとなる。すでに僕は京都から神奈川に戻っており、この時は今のオシゴトを始めた直後だった。
円通寺裏のほぼ定点画像
2007年8月12日撮影。3年ぶりの京都。
あろうことかこの風光明媚な場所にも、宅地開発の波が押し寄せていた。

比叡山の借景庭園があるような場所なので、よもや開発はされまいと思っていた。しかし、あの畑のすべては潰され、宅地として整備されていた。
このような写真が撮影できるのも、おそらく今回が最後じゃないかと思っている。
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上の画像は1994年4月撮影。
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ほぼ同地点(2007年8月)。
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これも1994年4月撮影の円通寺の裏道。左手が円通寺の竹やぶとなっている。
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ほぼ同じ場所(50mぐらい手前 2007年8月撮影)。

こりゃあ、あんまりだよ。

人様の土地だ。他人がとやかく言えることではない。
だけど、ここには希少な景観が残されていた。それを自治体が守れなかったことが残念でならない。

この20年間の画像は、時間の流れを表すとともに、失ったものの大きさをもの語っている。

「その2」に続く