ムネ事件

2007/10/9 火曜日

日頃「下山事件資料館」なんてものを運営している人間としては、
記憶や物証を頼りに、文章を残しておいたほうがいいのではと思った。

今、僕は「通院生活」を送っている。
「通院」と「通販」では一文字違いだが、
その苦楽には天と地ほどの差がある。

通販生活には届くまでの楽しみがあるが、
通院生活には行くまで何されるかわかんない苦しみがある。
病院
これがいま僕が通っている病院。
知っている人は知っているだろうけど、大船のさらに先にある。

横浜で交通事故に遭ったのに、
なぜ大船まで連れてかれたのだろうと思っていたのだが、
横浜近辺で24時間態勢が整っているトコロはここしかないようだ。
夜の10時ならば上大岡からでも15分でゆけるらしい。

これが救急車なら11~2分というところだろう。

さて、僕の事故なのだが、いまだに前後の記憶がない。
警察によると、事故直後には「原付を押していた」などと証言をしていたようだが、そうやって証言した記憶も一切ない。

カクニ君風に言えば「初!!救急車」も、乗った記憶がない。
僕の記憶が戻るのは事故の翌日のことだ。
家族がベットの側にいて泣きながら、
僕に対して事故に遭ったことを教えてくれた時点からなのだ。

人間の記憶は時折曖昧になる。
今の僕がまさにその状態で、前後の細かい記憶が
随分飛んでしまった。
「このDVDソフトいつ買ったのだろう」
「そんな話、したっけ?」
だけど「あの人に貸したお金」とかは覚えているから不思議(笑)。
次第に復活してきてはいるが、まだまだ曖昧な状態だ。
自分では「意識が一本調子だ」と言っている。
(一本調子だから、こういう文章を書ける)

でも、ある12時間以上の記憶が丸々飛ぶというのは今までなかった。
僕の人生がそこにはないようで、それが妙に悔しかったりする。

さて、夜10時すぎに教室を閉めた僕は、
生徒さんから頼まれていたCDを原付の座席BOXに入れた。
生徒さんの家は帰り道の途中で、ポストインしておけばいいだけだ。
そして夜の街へ...そこから記憶は寸断されてしまった。

上大岡の鎌倉街道とはまるっきり反対側に、京急ガード沿いの道がある。
汐見台へのまっすぐの坂道になっているところだ。
ここに右折してガードくぐればヨーカ堂へ入れる交差点がある。

ここが事故現場らしい。

信号は赤だった。
右折の横着をしようとした僕は、
横断歩道を原付を押して渡ろうとしたのだろう(よくやる)。
この道はガードをくぐった先から一方通行になってしまい、
生徒さんの家はその先にある。
だからここから押しても不思議はない。

そこを汐見台側から来たBMW(信号無視?)に突然ぶつけられたようだ。

原付は前部左側からぶつけられたようだ。
いっぽうBMWは車両の前面右側を損傷したようだ。

僕は普段原付を押すとき、車両の左に立って押す。
したがって。BMWは僕の目と鼻の先に突っ込んできたのだろう。

もし僕がもう少し横断歩道を進んでいたら、
BMWと原付に挟まれる形となったと考えるとゾッとする。

その瞬間、原付のアクセルは握っていた右手で急回転したのかもしれない。
あるいはBMWの衝撃かもしれない。

僕は横断歩道のすぐ側そば、道路の中央部に倒れていたようだが、
原付はまるまる3mも離れた歩道手前に倒れていた。

おそらく転倒する瞬間、僕はヘルメットをしたまま顔面正面左側から倒れたようだ。
050512_2120~01.jpg
ヘルメットの「つば」の左に摩擦痕があることからわかる。

このヘルメットは何の気はなしに10年近く使っていたが、
ヒモを結構ゆるくして使っていた。
おわかり頂けるだろうか?
かぶっていることかぶっているけど、
風圧で脱げそうになっている、そんな感じでかぶっていた。

それを事故の一週間ほど前に、
何の気はなしに調節してキッチリ締めていたのである。

倒れた瞬間か直前、ヘルメットが顔に対して下向きにずれたのだと思う。
そして「つば」がアスファルトに激突した衝撃+体重がヘルメットの内側を通して眼底部に集中したのだろう。これが眼底骨折の原因だと思う。ズレるタイミングがずれていたら失明していただろう。

ただ不思議なのは、前歯が3~4本衝撃で脱臼&折れてしまったのだが、
これに対して自慢の鼻(笑)には骨折も打撲もないのだ。

さて、衝撃でヘルメットのヒモをジョイントするプラスチック部品は壊れてしまった。
僕の首周りにヒモの摩擦痕があることから、
一瞬凄い衝撃がかかったのだろう。

僕はそのまま気絶してしまったらしい。
顔面から流れる血で、顔も服も血だらけとなっていたようだ。
現在家に返還された衣服(手術時に切り裂かれた)を見ると、
よくこれで助かったなと思う。

現場には近所の人たちが集まってきた。

誰かが僕をゆすって「大丈夫ですか」と言っているのを、
「頭を怪我している人をゆすったら駄目だ」と怒鳴って、
救急車を呼んでくれたのは、
交差点の前に住んでらっしゃる方だった。

いっぽうBMWの運転手は某企業の人。
運転時のことは「ボーッとして覚えていない」とのこと。

不思議なことだが、僕は事故の2週間ほど前に子どもを連れて
この企業の博物館に遊びにいっている。

僕の親父が40年前にオープンリールのテープレコーダーで録音したFMラジオに、
この企業が提供しているラジオ番組が収録されていた。
それをCDにしていたのだが、生放送のCMなども入っており、
大変貴重なものと思ったので、行ったついでにそれをお貸ししたところ、
礼状が届いたのが事故の前週のことだった。

ここには当時の最先端とベーシックなモノの代表として、
時代を反映するようなニつの部門のキャッチコピーが
「〇〇から、〇〇まで」といった具合に入っていた。
僕はそれを博物館の方にも説明しているのだが、
僕を轢いた人は、そのうちのひとつの部門の人だった。

最後にこの事件がネット上にのっていたのを紹介しよう。

まちBBS神奈川掲示板の上大岡に関するスレ
夢へ羽ばたく上大岡PART45
にこんな書き込みがあったということを教えてくれたのはJunちゃんだ。

63 名前: 神奈さん 投稿日: 2005/04/23(土) 22:28:12 ID:pNPwfbto
さっき、ますだ屋さん前の交差点で人身事故が起きてた。
負傷者が救急車で運ばれていきました。

64 名前: 神奈さん 投稿日: 2005/04/23(土) 23:00:03 ID:iclWCsa2
原チャが今にも歩道に乗り上げそうな勢いで倒れてたな。
大クラッシュだったのかも。

つーかあの和菓子屋の名前がますだ屋と思い出すまで
数分かかった罠

65 名前: 神奈さん 投稿日: 2005/04/23(土) 23:39:04 ID:rQdUz7wY
ますだ屋ってどこですか?

66 名前: 神奈さん 投稿日: 2005/04/23(土) 23:45:10 ID:HZj/O1c.
>>65
京急フラワーストリート側にでて、高架ぞいに下り方面へてぽてぽ歩いていくと
左手に見える、粉まみれの和菓子屋さん。目立たないので注意。

「僕」という存在はネット社会では、
bloggerであり、サイト運営者でもあり、「負傷者」でもあるようだ...
これは一般社会でもそうだろう
企業博物館の件もそうといえる。
妙な形でつながっている(Link)のが不思議でならない。